螺旋状に突っ走って死にたいプロフィール
2015/3/18 Wed 12:06
10分構想(9回目)


話題:突発的文章・物語・詩

「とある一生」

どんなものにも魂があり、どんなものにも一生がある。人の一生を人生と呼び、やたら感傷に浸る私たちの勝手なる思い込みで、私たちが作り上げた物品にさえ魂を付与する。それを傲慢と呼ぶことだってあるだろう。
私は全てに一生があるとは思ってないが、一生があるものはたくさんあるとは思っている。私が最近目の当たりにしたとある一生をお話ししよう。


私達が目にしているものが世界の全てではない。それは誰しもがわかっているはずだ。無意識にわかっているはずだ。私達の生活はほとんどが科学により成り立っていると、ほとんど思われている。それは間違いではない。が、正解でもない。私達は便宜上、そうやって仮定である常識を構築して、その常識にとりあえずは従って生きている。困ったことに、仮定であるこの常識を当たり前であり、正しいことだと思い込んでしまう。

私も例外ではなかった。あの場面に遭遇するまでは。

「アレ」を見かけたのは、仕事が終わり、同僚と飲んだ帰りだった。

酔っ払って見た幻覚、そうであればどんなによかったか。

私の部屋まであと少し、そんなときだった。私の視界に黒く蠢く「アレ」が入り込んだのは。
大きさは100pくらい。黒い塊。それがフラフラと蠢いている。歩いている、という表現は正しくないのかもしれない。しかし、その物体は意志を持って進んでいるように思われた。気味が悪くなった私は、足早にそいつをおいこした。

それ以来、私はどこでもそいつを見かけるようになった。昼夜問わずだ。
そいつを便宜上、「アレ」と呼ぼう。アレは、どうやら私にしか見えていないらしい。そして、いろんな形が存在する。大きさ、形は様々である。

ある日、私はアレが生まれる瞬間を目にした。何もない空間に、突如出現したのだった。
そして、アレが死ぬ瞬間も目にした。目の前にいた、アレがいきなり動きを止めると、ゆっくりと溶けるようにして消えていった。

アレがどのようにして生まれ、どのようにして死ぬのか。
条件はわからないし、そもそもアレがなんなのかわからない。しかし、私達の想像の外にあるものが生まれ死んでいく、そんなこともあるのだ。




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