スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

       底の無い穴

こんばんは
かなりご無沙汰してしまいました
6月の頭から更新してなかったんですね びっくりです

更新してなかった間にもちらほらと読んでくださっていた方たちがいたようで、ありがとうございます 拍手やコメントもありがとうございました

話題:孤独感

更新していなかった間に何か特別なことがあったというわけではないんですが

この3ヶ月弱の間は今までに無いくらいに精神的に不安定な日々を過ごしていました ここ最近は煙草とアルコールに頼り切りといった体たらくです 完全に自分が進むべき方向を見失ってしまいました

いつかの記事にも書いていたのですが、やはり生きていく中でどうしようもない寂しさというものがありますね

大なり小なり誰しも寂しいという感情は持ち合わせているのでしょうが、このどうしようも無い寂しさは気付いてしまったが最後で、どうやっても埋められないものだと思っています

どれだけ密に関わっている人であっても、完全に相手のことを理解することはできません なぜなら人の心は見ることができないし、表にも出てこないから

どれだけの愛情や愛着を持ったとしても、やはり人は自分が一番かわいい 他人のいかなる苦しみよりも自分の爪の小さな逆剥けが一番気になるものだと、かの有川浩さんも言っていました

そうなってしまったときどうすればいいのかというと、やはり最後は自分でなんとかするしかない この世で一番頼れるのは結局は自分自身です 厳しい世界ですね人間の社会は

同時に、人の寂しさを最も癒してくれるのは人であるとも思うけれど、関わり方を誤るとお互いに傷付いてしまう

他人を傷付けて自分を守る人、他人を守るために自分が傷付いていると勘違いしている人、自分を守るために自分を傷付ける人

人によって対処の方法は違うけれど、結局は誰かが誰かを傷めつけることで生きている

私はそんなときに煙草やお酒の力を借りるのですが、やはり良い方法とは言えません

難しいですね生きるのって

     曖昧に身勝手に

こんばんは
前回も拍手くださった方、読んでくださった方、ありがとうございました

話題:優しさ

「優しさってなんだろう?」と一度は考えることがありますよね 私も一時期ずっと考えていたのですが、なんだか優しさとは何かを考えること自体が偽善のように思われてやめました

とはいえ、今またこうやって優しさについて考えているのできっと明確な答えは出ないんでしょうね

優しいは易しいにあらずといつかの記事で書いたような書かなかったような気がするのですが、どちらにせよ、誰かにとっての障壁や苦労を取り除くことだけが優しさではないですよね

人に優しくするのも、誰かのためを思って行動することも、結局は自己満足だと言う人たちもいますが、それを言い出すとなんだって自己満足で完結できてしまう

逆から考えると、誰かが自分に優しくすることで満足を得られているなら、それはそれで幸せなことなんじゃないかとも思います その人が満足してくれるに足りうるものを自分は持っているということですから

しかし、優しさはときとして恐ろしい凶器にもなりうる

優しくされた側は、個人差こそあれ、その優しさに頼ったり甘えたり依存したりする 故に、その優しさに裏切られたときに受ける傷は自然と大きくなる

無邪気な善意や優しさが、かえって人を傷付けることがある 何より恐ろしいのが、その事実を知らず、考えず、気付かない素直な人たちです

とはいえ、裏切られることを恐れてばかりでは人を信じることはできません こればかりは予測できないし、好きな人からの優しさなら喜んで受け取ってしまいます

誰にでも優しくて親切な人ほど、心のうちは残酷なほど冷めていたりする でないと誰にでも笑顔になれるはずがない

人の優しさを素直に受け取れない人は、程度の差はあれ、どこかで優しさに傷付けられてきたんでしょうね 普通に傷付くよりも厄介な傷です

あまり良い方法ではありませんが、ときには優しさを拒むのも一つの手かもしれません




      味のない食事

こんばんは
毎度のことながら間が空きました
2週間ぶりくらいかなぁと思っていたら最後の更新が4月末だったので驚愕です 前回も拍手や購読してくださった方、ありがとうございました

話題:思ったこと

みなさん退屈していませんか

退屈することって思っているよりも恐ろしいことだと思うんです

毎日心身ともに余裕が無くなってしまう程忙しいのもまた辛いことですが、何をしても退屈という状況は生殺しにされているような辛さがあります

やることが無くて退屈というよりは、何をやってもつまらなくて退屈なんです むしろやること、やらないといけないことはたくさんあるのに退屈なんです

いくつになっても、わくわくできることが何かしら無いとやってられない

わくわくすることといっても、何も高尚なものである必要はありません 食べることでも寝ることでもお金を稼ぐことでもなんでもいいんです

人によって人生の目的や生きる意味は異なりますが、私個人の場合、ときめきを無くしてしまっては生きる意味なんて無いんです 本気でそう思います ただ毎日の生活を繰り返して、死んでいるように生きるのは嫌です

そして、人って退屈するとたまにとんでもない行動に出てしまったりもする

退屈だと強い刺激がほしくなる 強い刺激を得るためには、多少のリスクを冒さないといけないこともある それが後々にあなたの心や体や生活を壊してしまう可能性だってある

まぁ、ある程度心身ともに健康な人なら、退屈を感じることもあまり無いかもしれない その人の感じ方考え方次第で解消できるものだと思います

ぜひとも退屈の無い人生を

       「花酔い」

こんばんは
前回も拍手下さった方、新しく購読して下さった方、ありがとうございました。

最近良いペースで読書が進んでます。

やはり人間の脳なんて頼りの無いもので、すごく感動したことでも、そのときの新鮮な感覚をいつまでも頭に留めておくことは難しい。

というわけで、ちゃんと文字としてまとめて残しておかなくてはと、記録しておくことがいかに重要かを再認識した次第です。

自分の気持ちも感情も思想も、知らず知らずのうちに意外と忘れ去ってしまうものですから。

前置きが長くなったところで本題の読書記録です。

話題:恋愛



恋ではない、愛ではなおさらない、何か―。浅草の呉服屋の一人娘結城麻子はアンティーク着物の商売を始めた。着物を軸に交差する二組の夫婦。かつてなく猥雑で美しい官能文学。(amazonより引用)


最近とくに思うのですが、どうして複数の異性と同時に関係を持つことがいけないことだとされているのでしょうか。

一人の男の人に、自分が欲しているものの全てを与えてもらうことは不可能だと思うんです。

精神的な拠り所になってくれる人、肉体の欲求を満たしてくれる人、世でいうところの「普通の恋愛」を一緒に楽しめる人…。挙げ出すときりが無い。

10代20代の恋愛の延長線上には結婚があると意識している人が周りにもいますが、ただ好きだという気持ちだけで生涯の伴侶を選ぶことは難しい。

愛しているなら多少の障壁も乗り越えられると言う人もいるだろうけれど、やはり生活の安定は心の安定にも繋がってるわけで、そう簡単にはいかない。家族同士の付き合いや家柄という問題も付いてきますし

生涯の伴侶に安心感を求めることは比較的簡単ですが、穏やかな状態が続くと刺激が欲しくなるのが人間の性なんじゃないかと思う。そうなれば新たな刺激を別の人に与えてもらう必要がある。なぜなら安心感と刺激は対にあるから。背徳感こそ最大の刺激だと思う。

肉体関係に限定した話ではありません。体の関係を持つことだけが男女の関係じゃない。

私には今恋人がいます。その人は私に絶大な安心感と信頼を与えてくれるし、何よりも私のことを大切にしてくれる。

でもそれとは別に、永遠に片思いし続けている人がいて、性的に魅力を感じる人がいて、遠くにいるけど大好きな人がいて、兄弟のように特別な人がいる。

付き合って結婚する過程だけが恋愛じゃない。そんなの私にとってはつまらなさすぎる。生涯一人だけと決めている人を批判するつもりはありません。ただ私はそれでは満足できないんです。

まさにこの小説にある、「恋ではない、愛ではなおさらない何か」を欲しているんです。もちろん愛も恋も欲した上で。すごく強欲ですが。

心と体は分かち難いものですが、心と体のそれぞれを満たしてくれる異性が別々にいたっていいじゃないですか。

先日この話を酔っ払った勢いで友人に話したところ、「え、それただの尻軽女だろ」と一蹴されました。そうじゃないんだよ!と反論したかったのですが、うまく説明できるぴったりな言葉が未だに見つけられずにいます。

しかしこの「花酔い」は、まさに私のそんな考えを代弁してくれました。

官能的な小説ですが、情景描写が露骨な性描写ではなく、美しい情景の中で描かれているところに引き込まれしまいました。

      半端者の独白

こんばんは
少しごぶさたしました

4月になって年度も変わりましたが、最近絶不調です 何もしたくないし何も考えたくない

気分にムラがあるのは以前からずっとそうなのですが、今みたいに不調な日が続くと、これから先やっていけるのかという漠然とした不安が押し寄せてくる

人間として存在していく以上、社会の中で生きていくということは避けられない まぁ避ける方法が全く無いというわけでもないのですが、それには誰かに養ってもらうとか、他人の力を借りる必要がある

しかしそれは「社会」がなかなか許してくれない 冷たい視線が送られてくる

「社会に対して責任が無い」という言葉を口にする人がいますが、そんなこと誰よりも本人が一番痛感してるし焦りも感じてる

「責任」という言葉を軽々しく使う人が多いけれど、簡単に相手に責任を押し付けることほど無神経なことって無い

そしてこんなことを逐一神経質に考えている自分にも嫌気がさしてくる

何も考えたくないから色んなものでごまかそうとしてみるけど、夜になればふいに不安が蘇ってくるし、埋めようとすればするほど埋められないことを自覚してしまう

ポジティブな言葉をかけてくれる人もたまにいますが、言われれば言われるほどどんどん気持ちが沈んでいく 励ましの言葉は場合によるととんでもなく鋭利な言葉になる

「気を紛らわせて問題を後回しにしても何も良いことは無い、行動あるのみ!」なんて言われても、その原動力自体が錆び付いてる状態じゃなかなか行動に移せない 第一、そんなこと初めから知ってるし、前にも後ろにも進めないからまた更に悩んでいく

こんなこと言うとただの甘えだと言われるんでしょう お前よりも苦労してても頑張ってる人がいるんだと言われても、それはその人の話で、その人と私の感情も気力も思想も環境も全く異なる

あなたの言うその「お前よりも苦労してるけど頑張ってる人」との比較で私を見るのではなくて、ただ私単体の感情を見てほしい しかしわがままのようにも聞こえる

なんでも比較でものを見ると、とんでもなく冷たい言葉が出てきますね

甘えだと言われても仕方の無いことだと思う

同じ経験をしたことがある人にしかこの感情は理解してもらえないかもしれませんね
前の記事へ 次の記事へ