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     曖昧に身勝手に

こんばんは
前回も拍手くださった方、読んでくださった方、ありがとうございました

話題:優しさ

「優しさってなんだろう?」と一度は考えることがありますよね 私も一時期ずっと考えていたのですが、なんだか優しさとは何かを考えること自体が偽善のように思われてやめました

とはいえ、今またこうやって優しさについて考えているのできっと明確な答えは出ないんでしょうね

優しいは易しいにあらずといつかの記事で書いたような書かなかったような気がするのですが、どちらにせよ、誰かにとっての障壁や苦労を取り除くことだけが優しさではないですよね

人に優しくするのも、誰かのためを思って行動することも、結局は自己満足だと言う人たちもいますが、それを言い出すとなんだって自己満足で完結できてしまう

逆から考えると、誰かが自分に優しくすることで満足を得られているなら、それはそれで幸せなことなんじゃないかとも思います その人が満足してくれるに足りうるものを自分は持っているということですから

しかし、優しさはときとして恐ろしい凶器にもなりうる

優しくされた側は、個人差こそあれ、その優しさに頼ったり甘えたり依存したりする 故に、その優しさに裏切られたときに受ける傷は自然と大きくなる

無邪気な善意や優しさが、かえって人を傷付けることがある 何より恐ろしいのが、その事実を知らず、考えず、気付かない素直な人たちです

とはいえ、裏切られることを恐れてばかりでは人を信じることはできません こればかりは予測できないし、好きな人からの優しさなら喜んで受け取ってしまいます

誰にでも優しくて親切な人ほど、心のうちは残酷なほど冷めていたりする でないと誰にでも笑顔になれるはずがない

人の優しさを素直に受け取れない人は、程度の差はあれ、どこかで優しさに傷付けられてきたんでしょうね 普通に傷付くよりも厄介な傷です

あまり良い方法ではありませんが、ときには優しさを拒むのも一つの手かもしれません




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