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         「恋」

こんばんは
前回も拍手やコメントありがとうございました 返信は追記にて

今回は久しぶりに読書感想です この前までボリス・ヴィアンの「日々の泡」を読んでいたのですが、難しくてなかなか読み進められず読書のペースが格段に落ちてました 訳文は慣れないので読みづらいですが、特有の表現が見れるからたまに読むくらいが私は好きです

他の言語から日本語に訳される段階で訳者の意図も多少は影響する それを読み解くのが楽しいという人もいるのでしょうか 如何せん文学は私の専門ではないのであくまで私見ですが やはり私は日本の作家さんが書いた本が好きです

前置きが長くなったところで本題



1972年冬。全国を震撼させた浅間山荘事件の蔭で、一人の女が引き起こした発砲事件。当時学生だった布美子は、大学助教授・片瀬と妻の雛子との奔放な結びつきに惹かれ、倒錯した関係に陥っていく。が、一人の青年の出現によって生じた軋みが三人の微妙な均衡に悲劇をもたらした…。全編を覆う官能と虚無感。その奥底に漂う静謐な熱情を綴り、小池文学の頂点を極めた直木賞受賞作。(amazonより引用)


本屋で「恋」という潔いタイトルに惹かれて買いました 面白かったです 一気に読んでしまいました

この小説では、物語の舞台となる軽井沢の美しくてみずみずしい自然の描写とか、学生運動が盛んだった当時の退廃的な感じとか、そういった物語の核となる空気感がさり気なく、かつ嫌味無く書かれていて、すごく引き込まれました

情景や人間の心理が言葉で巧く描かれている文章を読むと、「わかるわかる!!」と共感混じりに感動しますよね

この小説で私が一番感動したのが、情景や登場人物の感情や心理はもちろん、登場人物同士の微妙な関係性がすごく細かく描写されていたところです

この微妙な人間関係を、登場人物の台詞や情景描写、心理描写で読み手に伝える、巧みな文章に感動しました

確かに現実の人間関係も、この小説のようにすごく繊細で厄介なものです 感情が生まれてくるのも人間関係の中で、物語は人によってしか語られない

人と人との微妙な関係性を物語の中で表現することは、情景や感情を表現することよりも遥かに難しいことだと思います

やっぱり小説は面白いです 楽しみ方や美しさの見出し方が何通りもある そしてその分書くのは難しい しかし表現する楽しさがある

恋愛や性の深淵(のようなもの)を覗いてみたい方にはおすすめの一冊です


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 彼女の肌は水面に揺れる

こんばんは
前回も拍手、コメント、新規購読ありがとうございました 拍手コメントへの返信は追記にて

ここ最近は真面目というか堅いことばかり書いていたような気がするので、今日は多少肩の力を緩めて更新します 恋愛カテゴリにあった話題ですが恋愛要素は薄いです

話題:フェチ

今までにもたまにフェチの話をしてきたのですが、しかしやはり、自分が美しいと思ったものの美しさを言葉で表現し尽くせない自分の表現力の無さが恨めしい とはいえ、書いていかないことには力も付きませんので

このブログを読んでくださっている方はほとんどが女性だと思うのですが、みなさん裸の女性はお好きですか ちなみに私はすごく好きです

やらしい意味は全く無いと言えば嘘になるのですが、単なるエロさよりも、女体って見てると安心感というか心が安らぐ感じがしますよね

全裸の女性にはあまりエロさや色気を感じません むしろ裸だと色気とは別の、生命力とかそういった類の神秘的なものを感じる 生まれたままの姿だし そういう意味での魅力や美しさは感じますが、色気はあまり感じない

やはりエロさや色気を演出するためには、ちょっとした布でもいいので何か纏っていた方がぐっと魅力が増しますよね 色気って見てる側の想像力を掻き立てないと成立しない

日本の女性だと余計にそうなんじゃないかと思う 始めから開けっぴろげにされるよりも、剥いでいく楽しみがあった方がいい じれったさが無いと

見えるか見えないか、触れるか触れないかの微妙な加減が1番わくわくする

セックスを引き合いに出すと嫌悪感を抱く人もいますが、正しい手順を踏めば、もっと高尚な行為に近付けるんじゃないかと思うんです

その正しい手順に必要になるのが、さっき言った想像力やじれったさだと思う

お互いの体と気持ちに、お互いが美しさを見出していく必要がある セックスは単なる交わりじゃない 交わりだけの行為はお互いに退屈と疲れしか生まない

なんだか話が飛躍してしまいましたが、そういう楽しみ方もあるんじゃないかってことです

想像力を使うことは日常を面白くする1番簡単な方法だと思う次第です
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     勝手にしやがれ

こんばんは
前回も拍手くださった方ありがとうございました

話題:思ったこと

「主張には必ず批判が伴う」という話を以前にもしたような気がするのですが、近頃は本当にその言葉を痛感する毎日です

子どもの頃から、私にはばりばりの優等生キャラのいい子ちゃんの猫被りな部分と、何かと反抗したがる斜に構えた生意気な部分がある(ように思う)のですが、優等生キャラでやってたときに生まれた変に高いプライドが本当に邪魔で仕方が無い

何か言葉を発する前に、優等生の私が、相手がどう思うかを考えてしまって本音が言えない 生意気な私からすればそれが悔しくて歯痒くて仕方無い

全ての人から好かれ愛されることは絶対に不可能だということは分かっているのに、どうしても人からの評価が怖くなってしまう

人から嫌われることを厭わないことと、批判を恐れないこと無しに主張や表現をすることは難しい

嫌われても、批判されてもいいやと思える覚悟が無い 故に前にも後ろにも行けなくて中途半端

とはいえ、人から好かれることを嫌う人はいません だから当然の心理と言えばそうなんだけれど、私にとってはそんな本心が最大の敵でもある

人から好かれることを求めることが悪いことだと言いたいのではありません 他人の為に生きたい人なら、それもその人の生き方です

でも私は傲慢で強欲なので、他人よりも自分の為に生きたい もちろん自分一人だけでは幸せになれないけれど

他人の評価を指標に生きていたくない 自分の生きたいように生きたい 自分の理想を実現することが一番の目標なんです

人と関わること無しに人は生きていけないけれど、時として足枷にもなる

それに、他人に好かれることばかり気にしている人に魅力があるとは到底思えない

そんなつまらない人間にはなりたくない

       核と過渡期

新年あけましておめでとうございます 遅ればせながら、今年もよろしくお願いします

2015年をどんな1年にしようか考えてたら、もう今年も一週間以上経ってしまいました

とはいえ、今年は去年よりもうちょっと更新したいなぁとは考えてます 誰の為でもなく私の為に

色々考えて散らかり放題の頭の中を整理するには、私の場合文章にするのが1番手っ取り早いのですが、去年はそれを怠り過ぎてあちこち迷走してしまったので

もしかしたら更新が増えるかもしれませんが、たまに覗いて読んでいただければ幸いです

話題:私の生き方

今日の本題
書こうと思ってた内容にぴったりの、なんかかっこいいタイトルの話題があったので

あなたの生き方は?と訊かれても、抽象的過ぎてよく分からないけれど、信念とか核となるようなもののことを言うのかなぁと思います

自分の考え方の核と成るものは、無意識のうちにも意識のうちにも、誰でも持っているものだと思います 信条と言ってもいいかもしれない

私の信条として一つ例を挙げると、いつでも自分の主張を持つことです

私は割と我が強くて主張も激しいので、よく周囲の人間と衝突してしまいます

人と衝突せずに上手くやっていける人がいますが、もちろん良いことだけど、悪く考えれば他人に無関心か我が無さ過ぎるかのどちらかなような気がするんです

主張したいことはたくさんあるけれど、主張する相手と場所も考えないとだめだなって最近思います 話を理解してくれない人に話しても、自分が不利益を被るだけならやめといた方がいいなって 通じないのに伝えても無意味ですから

いくら主張があると言っても、全てが一般に支持されるというわけじゃない 主張の代償には必ず批判があります

でもなんとか社会的に生きて行かないといけないわけで、自分の主義主張ばかりしていたのでは周りが離れていってしまいます

だから私の生き方として一つ決めたのは、内には明確な主義主張を持っていても、1番表層の部分では理性的に生きていくことです

心の中で中指立てていたとしても、表はにこにこ笑っているくらいがいい 逆に言えば、理性の内側に自分をしっかり持っていたい

個人の信条を主張し合うと必ず衝突します 人に嫌われてばかりでは社会的には生きていけない

もちろん自分を貫き通して生きている人もいます それもその人の生き方です

でもやっぱり、主張したいのなら人に嫌われる覚悟と勇気が必要ですね

     しじまの難破船

こんにちは
気付けば前回の更新から一月も経っていました 一月も前ですが、前回も拍手くださった方々、ありがとうございました

話題:将来への不安

将来の目標はありますか
私は高校生のときに今の目標を持ち、それを叶えるべく大学に入学したのですが、最近色々なことに揺らぎまくってます

選択肢が比較的多くあるということは大卒の利点の一つだと思うのですが、人って選択肢がたくさんある程迷ったり悩んだりするものですよね 贅沢な悩みではあるけれど

今まである程度自分の進む先が用意されてきたけれど、大学を出た後は自分で全て決断して選択していかないといけない

どんな悩みも選択も、最後に決断を下すのは自分しかいない 自分の問題を解決できるのは、結局のところ自分しかいない

使い古された教訓ではあるけれど、どんなときも自分の頭で考えるということを忘れてはいけない

何も考えず周りの進むように自分も進んでいけば、悩みも葛藤も無い

でも気付いたときには、自分が本来行きたかった目的地から遠く離れたところに居たりするもので、気付いたときにはもう遅い 流されるだけ流された先で、誰かが自ずと方向を示してくれるわけでもない

でもまぁ、悩んだり迷ったりするのも決して悪いことではないと思うんです 何の疑いも無く盲目的に進んでいくのもそれはそれで危険なことだし

あちこち揺らぎながら、一つの目標を目指す覚悟を確固たるものにしていくんじゃないでしょうか

つまり私が今揺らいでいるのは目標への覚悟を決めるためで、決して無駄な時間や労力を費やしているわけではない たぶん むしろそう思いたい

何事も覚悟無しには突き進むことなんてできない もちろん覚悟が決めきれないなら別の道を選んでもいい

難しいですね大人になるのって