話題:妄想を語ろう

会長のお伴で銀座の超高級寿司店に行く。裏路地にひっそりと軒を構えるR70指定の要人専用隠れ家的存在で、外から見て、此処が寿司屋だと気づく人は恐らく居ないだろう。何故なら表の看板に【普通の民家】と書かれているからだ。更にその下には駄目を押すように[断じて政財界の大物が密かに通う高級寿司屋ではありません]の表記が。

当然、入店への警戒も厳重で、合い言葉を言わない限り入り口の扉が開く事はない。玄関戸のインターホンを押すと向こう側から「レフェリーのジョー樋口は……」と言ってくるので此方はそれに対して「肝心なところで必ず失神する」と答える。それが合い言葉だ。意味が判らない方も多いと思うが、昭和のプロレスではお約束の場面だ。そして、政財界の大物というのは総じてプロレス(概ね昭和の)が好きなのである。

この寿司屋、通路を挟んでカウンター席の後方にお座敷はあるが個室はない。個室が必要となるような会合は料亭や割烹で、オープンな交流は寿司屋で、要人たちはそのように使い分けているらしい。よって、此の場所で密談が交わされる事はまずなく聴こえて来るのは他愛もない会話ばかり。中でも毎晩のように繰り返されているのは……

「見ましたか?あの中日の宇野のプレー!平凡なショートフライを頭で受けて落とすとは何とも笑えるプレーですなあ!」

「ごもっともごもっとも」

「天覧試合で長嶋茂雄が村山実から打ったホームラン、あれはファールではなかろうか?」

「はて、どうですかなあ」

と言った会話。

政財界の大物は総じて(昭和の)野球が好きなのである。そして、年寄りは遥か昔の話を昨日の事のように話し、しかも同じ話を無限に繰り返し続ける習性がある。今の2つの会話は最低でも一晩に十回は耳にする事が出来る。

さて、そういった“極上のサロン”であるこの店だが、寿司屋である以上、当然出される寿司も超一流で、そこには普通の店ではお目にかかれないネタも存在する。通常、マグロは大トロが最高級部位である事が多いがこの店はその上に激トロ、超トロ、鬼トロ、東京メトロ、ベネチオデルトロ、となりのトトロの六種が存在する。これらが食せるのは店の大将に常連及び寿司通と認められたごく僅かな人間で、その数は12人となっている。我が社の会長はその―通称マジェスティック・トゥウェルブ―1人というわけだ。

そして、超高級寿司屋の超高級寿司屋たる所以(ゆえん)を見る事が出来るのはその値段だ。

『当店はすべて時価となっております』

何と恐ろしい!

パンドラの匣から飛び出したとも云われる恐怖の言葉【時価】。それが無数に見られるのである。

イカ―時価。タコ―時価。ハマチ―時価。ブリ―時価。真鯛―時価。サーモン―時価。ウニ―時価。イクラ―時価。ヒラメ―時価。

すべて時価なのだから一々お品書きを壁に掛ける必要はない気もするが、そこはそれ、頑固一徹、職人気質の大将の生真面目さによるものなのだろう。或いは客にプレッシャーを掛けて愉しんでいるのかも知れない。

更に恐ろしいのは、この【時価】が通常の寿司ネタだけでなく“すべての品”に適用されている、という点である。

【コーラ――時価】

コーラまで時価というのは只事ではないだろう。いや、その前に、コーラが置いてある時点で“ろくな寿司屋ではない”ような気がしないでもないが、もしかしたら深い事情が存在するのかも知れない。例えば、アメリカからの来賓に対して「そちらのヤンキーな文化に敬意を払っております」という意志表示であるとか……。もっとも、そうすると次の――

【プッチンプリン――時価】

――は誰に対して敬意を払っているかいまいち不明ではあるが。

そしてトドメ。うつ向き加減で寡黙に仕事をこなす大将、その頭上の壁にはこう書かれている――


【大将のスマイル――時価】

返す返すも、恐ろし過ぎて、とても独りでは来られない店である……。


〜おしまひ〜。