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天城越えとマッハで今年をふりかえる

石川さゆりの背後の巨大なスタンドが気になりすぎて、天城越えに集中できなかったそんな年の瀬(^o^)

今年をマッハでふりかえると

・十代の頃に培ったゴキブリへの鉄の耐性がよみがえった。

・色々な神サイトさまの神作品を目にしすぎて、なんだかんだで幸せだった。

・勉強しないとって思う場面がたくさんあった

・色んな考え方の人がいる。

・乳製品は気分を明るくする。

・人は車とぶつかった程度じゃ死なない。

・ヘタリア五巻。繰り返す、ヘタリア五巻。あれに今年の私の萌えが集約されている。

・(ジョジョッ……ジョジョッ……)



まだまだまだいっぱいありますが、ものすごくはしょるとこんな感じでした。

よいお年を!

さりげなくツリー

悪くないね・*・:≡( ε:)

ガチムチ弾ける肌色の波紋疾走(メンズマッソォスキンカラーオーバードライブ)



頭の悪さむき出しのタイトルとルビですが、もちろん中身も頭の悪さむき出し全回です。


ここ半年くらい、土曜日にやたら雨と曇りの日が多いのは何故なのか。

別に土曜日ばっかりで別の日にはあんまり降らないってことじゃないとは思うんです。別の曜日にだって、雨は普通に降ってることでしょう。

でもここ半年くらいの、土曜日に雨が降るもしくは曇りである頻度がやたらめったら高いのも事実だと思うんだよねこれ!金土とか土日とか日付跨いで天気悪かったり。


わかってるんですよ。これも血液型占いとかみたいに、占いの外れた時の印象より当たった時の印象の方が強いから、例え統計的にはあんまり当たっていなかったとしても、結果的にその人の心の中では『○○占いは当たる』みたいな意識が生まれてしまう云々……みたいなそういうアレだってわかってるんですけど、こう……土曜日が来るたびに『また歩きかよ早めに家出なきゃいけないのかよ』と考えてるような気がするんですよね実際。たぶん気のせいなんですけど。たぶん気のせいなんですけど!


まず間違いなく言えるのは、ここ最近土曜日が来るたびに『今から深夜の二時まで時間ぶっとばないかな』って考えながら生きてるってことだけですかね!(ジョジョッ……ジョジョッ……)


ジョセフの声をどこかで聴いたと思っていたら、銀魂の銀さんでした。ジョセフが『ヘイッ!おっさん』て言った時の自分の中でのものすごいデジャヴの正体
は声でした。ただ何故そのセリフで銀さんだと気付いたのかはいまだによくわからないです。


でもそんなことどうでもいいんです。明日ついに自分を客観視できないジョセフによる『あたしはテキーラ酒をもってまいりましたの〜〜 通ってもよろしいかしら〜〜〜〜(ムホ)』を観れるんだなーと思ったら、もはや明日がどうなったって、おおむねどうでもいいくらいの勢いです(^o^)


あとは、シーザーを、はよ……!

ジョジョ界の初代ツンデレをはよ……!

あとスト様の全裸はばっちりご開帳なさったにもかかわらず、シュトロハイムに拉致られたスピードワゴンさんの生足をなかったことにしたアニメにはいったいどんな圧力が働いたのだろう。別に問題ないんですけどね……!あのジョセフの服バリーン!と、ストレイツォの容赦せん全裸っぷりを見たあとに、また生足とか出てくると肌色率高過ぎてアウトとかまさかそんな理由ではまあ絶対ないよねたぶんというか二部唯一のそういうポジション(サービスショット的な)を果たしてくれるリサリサ先生が出る前から、そういえば肌色にまみれていたんだな二部は!

冷静に考えたら、敵側であるサンタナもワムウもエシディシもカーズも、皆ほぼ全裸か肌色だったよ二部は!


もはや普通に服を着ている主人公達が卑怯に見えるくらいの着てないもしくは布面積小さいっぷりだった敵のコスチューム。そんな思い出の残る戦闘潮流を、このブログは応援します。

音楽は皆のものだけど個人的なものでもあるよねの巻と、制服フューチャリング音楽プレイヤー

昔聴いていた音楽を今改めて聴いてみると、思い出芋づる式過ぎて、もはや釣り上げられてデッキの上でビッタンビッタン悶える鮮魚状態という話。

それが当時長いこと流行ってたアーティストのベストアルバムとかだったりした日には、下手するとその一枚でほぼ全ての青春が網羅されてしまったりなんかしたりもしてもう言葉にならない。

これが『自分の好きなアーティストやアルバムベスト3』とかに入るようなやつだったりすると、ちょっとまた違ってくるんですよ。

死ぬほど好きとか言っちゃって差し支えないほど好みの曲の場合、だいたい全力でその曲を聴いてしまうので、主に思考は曲そのものに向き、そこに纏わる思い出も多くはその歌手関連のことになるので、そこにメロウだったりナロウだったり激しくロウだったりするおもひでがぽろぽろするよな余地は、そんなにないのです。


確かに、友達とこのバンドのライブ行ったなー楽しかったなー、という思い出もしっかりと存在するのですが、そこに懐かしさやら過去の悲喜こもごもが胸にグサグサくる感じはなくて、もっとある意味限定的でライトな感覚です。ライトっていうのは大した思い出ではないと軽んじているということではなく楽しさ一辺倒でさっぱりと明るく、かつ腫れ傷的にじくじくとノスタルジーを引きずったりはしない、次の瞬間にはさっと頭の中から退場して、いい気分だけを残していってくれる――だいたいそういう感じの、おおざっぱに言えば『いい思い出』ということです。


デッキの上の鮮魚状態に陥る音楽というのは、たいてい『物凄く入れあげてた訳ではないけれど、なんだかんだでよく聴いていた、というくらいの温度で好きだった曲』というのがポイントな気がします。


好きのレベルが小躍り大興奮レベルではないから、楽曲と過去の経験が結び付く思考の隙があるというか。わりととるに足らないけど生っぽい思い出がモロモロ涌いて、よきにしろ悪きにしろ懐かしくて死ぬ勢いです。


たとえば小学校の給食室の憂鬱な匂いとか、旧校舎と第2校舎を繋いでいた日の差さない渡り廊下の、ひやりとした冷たさとか。友達の着ていたスカートの色とか眼鏡のフレームとかそういうどうでもいい感じのやつから、休みの日にダラダラ遊び倒したとか、誰かの誕生日会やったとか、ケーキ焼いたら大喜びでペロッとたくさん食べてくれたとか、わりといい感じのやつまで、小学校から高校の修学旅行くらいまで、さらにそれ以降と芋づるゴロゴロ大漁一本釣りで一気に思い出してしまう。いかに音楽というものがみんなのものであると同時に、個人的なものであることか!


私の学生時代はもっぱらMD(金銭的にリッチな人はウォークマン←勿論今の十代に『ウォークマン』もしくは『iPodじゃない方』と言って通用するであろう方のやつ。デジタルメディアプレイヤー的な名前の、今も使われているアレの最初の方のやつ。中には音にこだわりありのCD派という猛者も)を使っていたので、休み時間に友達と気軽に新しい音楽を交換したり共有したりできてたんですよね。軽くて複数持ち運べるから。このCD よりも音質の悪い感じもノスタルジーに拍車をかけてる感じ。当時のMD というものの音質がそういうものなのだから、別に誰が狙ってそうなったという訳でもないのに、狡いっすわー、あざといっすわー! と、TVの芸人みたいに誰にともなく言いたくなります。正気を失っているとしか思えない。


そのMDも次第にアルバイトなりなんなりで資金を得て、各々iPodなりウォークマンなりに変わっていくので、必ずしもMDだけがそうであるとは言い切れないのですが、やっぱり私はあの小さな四角いメタリックボディと数枚のカラフルなディスクのワンセットに青春の香りを感じます。そこに別にいい音はしないけど、デザインがものすごく凝っててかわいいイヤホン(おおむね1000円〜2000円で買えるようなやつ)がついてくると完璧。


あの録音の面倒さとか、CD よりはずっと小さく軽いとは言え、ウォークマンなどに比べてかさ張る体積、別のアルバムを聴きたくなったらいちいち取り出してディスクを入れ換えるという僅かな手間がかかったりする。だけどタイトルや曲名を、リモコンでディスクそのものにちょいちょいと入力できたりするというデジタルな一面も持っている。そのちょっと前時代的でローテクとハイテクの間に佇んでいる感じが、余計に懐かしさを醸すのかも知れません。


ウォークマンと言えば、昔のエヴァの映画でカセットのウォークマンが印象的な使われ方をしていたと思うんですけど(序破Qのやつはまだ観てませんが、そっちでもカセット使ってたりするのでしょうか。ところで式波って誰なのwというのは冗談で、とにかく他にカセットが登場する作品をよく知らないし、私自身の生活にもカセットはあんまり馴染みのないものだったので実体験の引き出しもなく、唯一覚えてるエヴァを選んでみました)カセット、CD、MD、そしてiPod筆頭のデジタルメディアプレイヤー的なやつ、スマホ、モノは変われど、制服を着るような年齢の女の子や男の子が、バスや電車の中でそういうものを身に付けて物憂げな顔をしてるのを見ると、ああ、いいなあ、青臭いなー、と思わされる。この感じはきっと世代問わず共通だよなと思いました。


あれくらいの年齢の子とポータブルプレイヤーって、なんか絵になるんですよね。なんなんでしょうね。

結局なんの話してたんだっけ。

タイトルなし

JR とか乗るの久しぶり過ぎて、ドアのボタン開閉システムが理解できずに暫く自分の中で時が止まったの巻。

というかね、地元のJR の駅が綺麗になりすぎてて軽く今浦島ですよ。

学生の頃は垢抜けなくて芋臭かった気になるアイツが、十年でとても綺麗になっていた。同窓会で隣に座るアイツは綺麗なスカートを履いて化粧を覚えて、アイツはそこに立っていた。十年ぶりのアイツの笑顔は俺の知らない笑顔だった。アイツは五年前に結婚したらしいが、今は独り身らしい。やがて昔の仲間と楽しむうちに、同窓会はたけなわとなる。アイツは、トイレに立つ前に俺に向かってささやいた。――二次会、エスケープしない?……それともオバさんの私にはもう興味ない?

みたいな。なにかそういう感じのシチュエーションで展開するフランス書院的な本に登場する、都合よく寛容かつ都合よくエロい熟女に思いを馳せる主人公のおっさんみたいな。今、そういう心境です。わかんねーよ。ああ、俺の知ってるアイツはもういないんだな、みたいな。いやわかんねーよ。

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