にこ


話題:スーパーナチュラル

ディーンのこういう笑い方好きだなー、と、写真をあれこれ見ながら描いたんですけど結局なんか違うという残念な現象

ニュアンスだけでも伝わったれ……!

目尻にほんの僅かな笑い皺がぴっと走るのがかわいいです

兄弟に魅せられる日々は続いていた

SPN シーズン2を観始めました。

ディーンの目と口角だけできゅっと笑う顔が破滅的にかわいくて甘ったるい色気に満ちていて、ディーン無精髭&いかつい系ファッションだけどまじ美人顔、美人オブ美人、金星人、ミューズの系譜、などと酒に酔った頭で痛いことを考えていたらとっくに時間はド深夜というかド早朝っていう。おはようございます。

ネョラョテってなんなのですか



これを見て下さい。

これはドラマの中のモブ女性が、吸血鬼のリーダー(男)とその恋人(女)に襲われようという、緊迫のシーンの一部です。

緊迫のシーンなんです。

大昔から生きてきたイケメン吸血鬼(にんにくも十字架も太陽も平気)の恐ろしさに身を震わせるべきシーンなんですよ。

その二の腕に謎の日本語タトゥーさえなければですけど!

『ネョラョテ』ってなんなんでしょう。TVが反射してネョがうまく写ってませんが、確かに『ネョラョテ』です。

たぶん日本人でも発音不可な字の羅列ですが、この人はカタカナをなんとなくライン模様として取り入れたのでしょうか。それなら『ラョラョラ』とか『ネョネョネ』じゃないんですか?そこをあえて一音ずつ微妙に変えてきてるのは何のこだわりなのか。


それともこれは日本人には自国のカタカナ文字に見えてしまうけど、全く別の文化の文字だったり、本気でこういう模様だったりするんでしょうか。


ただ一つだけわかっていることは、この人がシャツを脱ぎ捨てた瞬間、話の緊張感が一気に消し飛んだというこの事実ですよ。




日本のハロウィン

十月と言えばこぞってオレンジ色のかぼちゃ野郎共の飾り付けがスーパーはじめ様々なお店の売り場を占拠する季節ですね。


でもハロウィンって正直、クリスマスやバレンタインに比べたら全然定着してないですよね。


そういう家庭の方針でもない限り、クリスマスを楽しみにしない子供ってまずあんまりいないじゃないですか。

幼稚園でクリスマスの歌は習っても、ハロウィンの歌(そんなものがあるのかは知らない)は習わないじゃないですか。


それからバレンタイン。菓子メーカーの陰謀だの、友チョコだの逆チョコだのそういう積もる話は置いとくとして、実際問題

『2月14日のバレンタインはなんだかんだいって恋愛ごとのイベントである』

ということを知らない女子小学生は、現代の日本にはまずいないですよね。


下手すると就学前の幼稚園児でも『となりのももぐみの○○くんにチョコあげたい』とか『パパチョコあげたからお返しちょうだいね』とか言い出しますよ。

男子側にしたって、それを知ってるからその日一日をそわそわと一喜一憂しながら過ごすわけですよね。


それと比べると、どうしてもハロウィンはそういうメジャーど真ん中な存在にはなれない感があるというか。さすがにどこもかしこも仮装パーティー、みたいな感じにはいかない所あるじゃないですか。

あくまで

アミューズメントパークや雑貨・コスメブランド、製菓やパンなどの会社やソーシャルゲームの会社が乗っかって期間限定のイベントや商品を出す



興味のある消費者が普通に楽しむ


的な。クリスマス商戦という言葉はあっても、ハロウィン商戦という言葉は今後も出てこないかもな、くらいの今ひとつ感。


でもなんかそれもわかる気がします。

もちろん八百万の神の国にキリスト教文化の上っ面だけはギリギリ捩じ込めても、ケルト的なそれは土壌が違いすぎて定着しないとかそういうクソ真面目な話が展開するわけではなく


ほんっとうに、ただ単に、まだこれといった『日本におけるハロウィンの過ごし方』のスタイルが確立していないからというのが本当の所のような気がします。


バレンタインやクリスマスのように、最少二人で過ごせるイベントと違い、子供を仮装させて各家庭をまわり、トリックオアトリート!とやるのは時間も手間もかかるし決して個人やいち家庭でできるイベントではないので、このスタイルはまず日本のハロウィンにはならない気がしているのですがどうでしょう。


どこかの企業が自社商品とからめた何かを提示して、それがうまく流行ったらハロウィンもメジャーになるのかな。


それに日本には既に、お盆という文化がありますしね。

いくらクリスマスも正月も両方祝う、よその宗教も独自スタイルで取り込んで楽しく乗っかっちゃう日本人とはいえ、お盆を二回もやるのはちょっと違うよねー……ということなのかなと。

おまけにハロウィンと日本のお盆は死者の魂に対するスタンスが微妙に違うようなので、ただのイベントごととはいえ躍る阿呆になりにくいのかなと。


日本のお盆において、死者の魂は帰ってくるものであり迎えるものであり、来年もまた来てね的なウェルカムなものじゃないですか。


甦った死者に襲われないように仮装するとか、干し首とかそういう不気味感あふるる概念はないじゃないですか。


死者の側からしたら、夏にねんごろにおもてなししてくれたおうちに秋になってからもう一度行ったら、始めから襲われたり悪戯されるの前提で、ドア開ける瞬間からめっちゃ警戒されてたっていうなんだか傷付く二度目のシャバ。それが日本のハロウィンだったりするんでしょうか。なんかもうよくわかりません。


とにかく何が言いたいって、私の中でのハロウィンの位置付けは毎週のように期間限定で売り出されるかぼちゃの味がするお菓子的な何かを折に触れてはムシャつく、かぼちゃ強化月間であるというただそれだけの話だったんですけどなんでこんなに長くなってしまったんだろう。この一行から上は全部、ただかぼちゃ食ってるよっていう話をするためだけの前フリですからね。

いつもありがとうございます&SPNの兄かわいいの巻

いつも閲覧&拍手をありがとうございます。もはや何のサイトやブログなのかわからなくなりつつありますが、ひまつぶしの種にでもしていただけたら嬉しいです。


ガンダムWのパイロットの毛の話と、聖おにいさんのゼリーの話におそろしくアクセスが集中していたので、みんなガンダムWと聖おにいさんが好きなんだなって勝手に思いこんでホクホクしてました。もしかしたら毛の話とゼリーの話が好きなだけだったのかもしれない。


ところで最近、海外ドラマをいくつか観てました。


大河のように壮大なシナリオが一話ずつ進展するスタイルではなく、一つのシナリオがすっきりと一話で完結する時代劇スタイルをこよなく愛する私にとって、海外ドラマ(っていうか、主にアメリカとかのやつ)は見やすくていいです。


一話完結で途中からでも数話見落としがあっても充分楽しめるのでそこが好きです。人気が出れば出るほどおそろしく作品の息が長くなる所はちょっと嫌ですが。


でも最後にあからさまに気になる展開を持ってきて『次回に引き!』っていうのがない。あったとしてももう少しスマートに、そして頻繁にはやらないっていうのが本当にいいと思います。


あれを頻繁に、下手すると毎回やられると


『いつもこっちがお前のことばかり考えてると思うなよ!言っとくけどこちとらお前がいつ打ち切られても、全然続きが気になったりとかしないんだからな!好きとか全然ないからな!お前がどれだけエンディング数分前で煽ってきても、こっちはあくまで『最悪観なくても最後のオチだけググればいいか〜』程度の視聴態度でしか臨まないからな!』


みたいな、謎のツンデレ通り越して『気になるアイツのこと全然気にしてないどころかむしろ嫌いな素振りすら見せるオレ。そしてその結果、勇気を出して告白しようとするも因果応報、横から魅力的かつ優しいイケメンにかっさらわれて、フられるのを待たずして失恋するオレ』というBLおよび少女漫画界に度々登場するかませキャラ(人気作品もしくは作者に気に入られた場合、のちにフォローが入ったりする)のような心境に陥ることもしばしばだったりします。


それで何を観たのかっていうと『アリー my Love 』と『スーパーナチュラル』のシーズン1です。今さらとか言わない。両方ともシーズン1だけボックスを手に入れたんです。


アリーマイラブは一度観たことがあるから特筆することはないんですけど、スーパーナチュラル、これは大変だ。


こういうブログですから正直にぶっちゃけます。兄かわいいなー。っていうか兄弟かわいいなー。なんじゃこりゃ。四話の飛行機の話辺りで一気に好きになりました。


兄の大人の態度とちょっと子供っぽい態度の使い分けが絶妙すぎる。一見手のかかる自由なでかい子供の匂いをさせておきながら、弟や助けた子供なんかの前ではしっかりお兄さんしてるし、父親とのやりとりとか見てると、自由度は低く責任は重い長男のポジションをしっかりこなしてるし。弟の前では兄貴風吹かせまくりだけど、その癖弟(と父親)がいなくなったら一人で生きていくのちょっと難しそう、と感じさせる謎のギャップが素晴らしい。


弟の兄に対する『僕が大人にならなくちゃ、折れてやるよ大人なんだからチキショー』っていう態度とか、でも結局感情大爆発で喧嘩しはじめる所もいい。他の人にはジェントルな態度で接してるけど、兄にサミーって呼ばれたり子供扱いされると結構簡単にムキになるし、大人ぶってた化けの皮がベロっと剥がれるその感じがかわいい。兄にずけずけとキツいこと言ってみたり、何も言えなくなったり、急に素直になったりこの弟は大変だ。


この兄弟って、同じ悲劇の下に人と違った生き方を余儀なくされた二人ではあるんだけど、その実、抱えてる悲しみの根本や性質にズレがあって、それゆえに父親に課せられた生き方に対する考え方も正反対で、おまけに二年間の離別がさらなる違いの溝を深めてるから、お互いがお互いの考え方や違いに翻弄されたり驚いたりしてる。知ってるようで知らない人。ものすごく近い他人。時として愛憎半ばの複雑な感情も渦巻いてたりして、久しぶりの再会から終わりの見えない旅路の中での、お互いのことを手探りしてるあの感じが、私の中でものすごく萌えポイント高いな、って思いました。
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