昨夜の11時頃、私はふと思い立ち、pixivのブックマークを整理し始めた。

そういえばこういう絵好きだったなあ、この話は今もかなり好きだなあ、などと軽く思い出に浸りながら作品にタグを付け、再び見返して楽しめるように作品を選り分けてゆく。

そういうごく簡単な作業が深夜の3時になっても終わらなかった時、そこで私はようやく疑問を抱いた。

そういえば私、いつからブクマにタグとか付けなくなったんだろう?

pixivを始めたばかりの頃こそ公開ブクマと非公開ブクマを使い分けようとしてみたり、好きな作品のジャンルであれこれ細かいタグを付けてみたりと、隅々まで整理の行き届いた状態を目指してしていたわけだが、その殊勝な心がけはいつから失われてしまったのか。

PCの画面の端には、数字の列がこう並んでいる。

未分類(2684+154)

とりあえずブックマークしただけでタグを付けていない状態のものが公開で2684件、非公開だけでも154件もあるということだ。

惨憺たる有り様というか、完璧なイングリッシュガーデンも人の手が入らなくなればジャングルの風情というか、つまりこれらのブックマークは一度も省みられることなく、部屋の隅に積みに積まれた積ん読や積みゲーの類いとまったく同じものなのだ。

最初の方こそキチッとキチガイじみたきちんとさできっちり隙間なくキチキチに本棚を埋めていたのに、途中から脳がキャパオーバーを起こし、なにがなんだかよくわからなくなって片付けを放棄する。これは汚部屋住人あるあるの定番現象だ。

そして昨夜の私を苦しめていた数字の羅列は、間違いなく私が汚部屋住人気質であることを示唆していた。

私はこの状況をバーチャルゴミ屋敷および、ブックマーク過多による脳内本棚のオーバーフローと呼んでいる。嘘だ。今、勝手に名付けた。

『これいいなあ、ブクマしておこう。タグは面倒だからいいや。そのうち読み返すし、その時まとめてやろう』

その時は本気でそう考える。だが、やろうと思うだけで実際にはやらないのだ。全然やらないのだ。

それに気付くまで、実に2834回も同じことを繰り返してきているわけである。ここまで頑なに一つのパターン化された思考に、我ながらちょっとした狂気すら感じる。何がお前をそこまでさせるんだといいたくなる程の怠惰だ。

ではこれらのブクマされた作品群は一度も読み返されることなく、一度味わえばそれまでと言わんばかりに見向きもされなくなるのだろうか?

実はそんなことはない。

pixivで見つけたあの漫画また読みたいな、あの絵をまた見たいな。確かブクマしておいたはずだけど。

一般的なpixivユーザがそう思い至った時にとる行動は、言わずもがな『作品をブックマークから探す』の一択であろう。

だがバーチャルゴミ屋敷の住人ともなれば、そこがひと味もふた味も違ってくる。
ブックマーク内を辿ればあるはずのものを、わざわざ一から検索して探すのだ。

『確かあれはああいうタイトルだった、有名な作家さんのあの作品の隣にあった、そうそうこれだ。ほらやっぱりブクマしてた。ほらねやっぱり。ブクマから探すよりこっちのが早いし』

怠惰と怠慢を重ね続けて、もはや何が便利なもので、どのように使えば便利に感じられるのかさえよくわからなくなっているのだ。
ブックマークの意味とは?と答えのない問いを誰にともなく投げかけずにはいられない。

荒涼としたネット砂漠の片隅に、私はたった一代でそれはそれは立派なバーチャルゴミ屋敷を築き上げてしまった。

だが勘違いしてはいけない。そこにあるものはどれも珠玉のコレクションばかりで、本当のゴミなど一つもありはしない。珠玉のコレクションを取り揃えた秘宝館も、整理整頓されていなければゴミが散乱して見動きすら取れないがらくた屋敷の風情を醸すというだけのことなのだ。

つまり真にゴミなのは、屋敷の住人つまりこの私に他ならぬという、そういう話。