こんなことを言っても仕方ないんだけどね。
くそコロナのせいで誰もが色んな影響を受けて大変な目に遭っている中で、私は部活を一生懸命やっている中高生が本当に気の毒でならない。
私も、今でこそ朝までゲームをやっているただのデブだけど、大昔…中学・高校の頃は部活一筋だった。
全てを部活に捧げたいと本気で思っていたしそう思うことに何の迷いもなかった。
人生の全てだったわけだ。
学生特有の視野の狭さは勿論否めない。
私は一生懸命、必死で練習していたがとても弱かった。
全国に行くんだ!なんて吠えていたけどメンタルは弱くて、他のメンバーは本当に強かったけど私は本当に弱かった。
私のせいで最後の県総体は負けてしまった。
いやぁ、実に弱かった。
ギャグかっていうくらい弱かった。
何十回と勝っていた相手に、最後の最後で初めて負けちゃうんだから。
トーナメント表を見て『まぁベスト8は堅いな』なんて本気で思っていたしね。
今なら私が何故弱かったか、どうすればあの時勝てたのか、手に取るようにわかる。
でもそれは全て経験した後だからわかる結果論なわけで、その先に進んでいたらどうすれば良いかまたわからなくなる。
だから強くて、ちゃんと結果を出せる人は凄いんだ。
弱い相手も同じように努力してきたはずなのに見下しまくっていたり、強い相手を見てびびったり、これは結局勝負できていないんだよね。
自分自身というものが無かったんだよ。
いつだって自分次第だということに、気付くのが遅かった。
でもそういうことを気付かせてくれたのは、全て部活だ。
大好きな部活を一生懸命、精一杯やらせてもらえて私はとても幸せだった。
勝つことも負けることも、全て意味があって教訓になった。

それほど、部活を頑張る学生にとっては大事な局面である総体が中止になってしまったことにより、私は彼らの心中を思うと非常につらい。
ただの1部員だった私でも、公休で総体の会場に向かう時は人生が変わるんだという心構えだった。
強豪の選手であれば実際に今後の人生を決するといっても過言ではない闘いなわけだ。
『これからだよ。まだまだこれからたくさん色んなことがあるんだよ。』
・・・私にはこれは言えない。
だって今の目標を失った学生にとっては総体が全てだったんだ。
たかが部活、では決してないんだ。
でも私が本気でずっと思っているのは、『あの時めちゃくちゃ頑張った、頑張れたという経験をしたこと自体が財産なんだ』ということ。
何の気休めにもならないかもしれないけど、部活を一生懸命頑張っているだけで私は尊敬する。
部活だから頑張れたのかもしれないんだけど、そうだとしてもあの鍛練の日々は本気でクレイジーだった。
だからこそ、負けたけど私はやり通せた実績を誇りに思う。
今回、勝ち負けや順位は残念ながらつかなくとも、努力した日々は間違いなく存在したんだよと云いたい。
あ、ちなみに私は元来結果至上主義なので「みーんな同じように頑張った」とか「平等」とか甘っちょろい概念は大嫌いであり、そういうことを述べているのではないので。
負けたのは、弱かったからであり、精神的なものも含めて努力が足りなかったからだとはっきり言える。
みんな頑張ったんだよ☆ではなく、必死で頑張ってきた人は既に物凄く大きなものを得ているんだよってことが云いたい。

学生時代って一生に一回しかないから、早く取り戻してあげなきゃいけないと思う。