マツコちゃんが、「ポン酢KGB」って表現していて、さすがセンスがあるなと思った。
KGBの是非は置いといて、日本の警察のように正しいとされる機関ではなく、ある主義主張を持った人たちが、煽動することを目的として活動する過激な団体っていう意味で的を射ている。
「自粛警察」とか「マスクポリス」は、「取り締まる側」があたかも正しい行動を取っているかのような意味合いになるから、表現としてはふさわしくないんだろう。
私も自粛ポリスって勝手に言ってたから少し反省する。
だからといって自粛KGBとか、それこそ○シュ○○とか使っちゃうと、もはや勝手な正義感を振りかざしてる馬鹿者を揶揄する意味を越えて不謹慎にすらなるから使わないけど。

何が言いたいかって、他人を批判してマウントとることでしか生き甲斐を見いだせない人間が多いらしい。
気に入らなかったら拷問して殺しちゃうやばい奴らと、やってることは全く変わらない。
勿論私も他人をボロカスに言うし、嫌いな人は徹底的に無き者にする。
でもなんていうのかな、自分に影響があることで主張しているだけというか、SNSとかで攻撃している人の気持ちはサッッパリわからない。
思っても云わなくていいことってたくさんあるじゃん。
世論の参考程度に、Twitterとかを検索することはあるけど、それ以上でもそれ以下でもない。
言い過ぎると自分にバチが当たる気がするから、そこは非常に小心者なんだ。
カッとなって、暴言吐きそうになった時、『これを言ってこの人が死んじゃったらどうしよう』っていつも考える。
思い止まる。
それくらいひどい言葉が頭に浮かぶことは頻繁にある。
でも、私がひどいと判断しなかったとしても相手にとっては死ぬほど傷付いてしまうかもしれない。
このブログだって、どう思われているかなっていつも良くも悪くも気になっている。
コメント欄を付けないと、私が言いっぱなしになり民主主義に反するとも思っているんだ。
でも私は怖い。
以前コメントをくださった方は、私の政治的な意見に対し批判的なものが1度あっただけで、概ね楽しくやりとりさせて頂けるようなものだった。
でも、家族や友人に面と向かって言葉を投げ掛けるように、責任と良識を持ってコメントしてくれる人がどれくらいいるだろう。
ネットとは恐ろしいもので、コミュニケーションのほぼ全てがネット上のものである人に比べると、私はアナログ人間であり、画面上の文字にもちゃんと血を通わせたい。

まぁだからある意味では、政治家は相当に神経が図太くないとやっていられないと思う。
これだけ批判されて、どんなにお金をもらったって私は御免だ。
メンタルが持たない。
でもだからって、殺してもいいつもりで批判してはいけないんだってこと。
自分の主義主張がどんなに正しいと思ったとしても、それは人の命より重要なことか?と。
コロナ禍で自分の些細な行動が他人の命を奪ってしまうかもしれないということもあり、他人より自分に対して気を張っていかなければなぁと思う。