SONGS見た。
神様だった。
思えば私はLUNA SEAを「神様」と言ってきたけど「神々様」とは言わないんだ。
それはLUNA SEAが神様だから。
ってのは置いといて。
感情が動くより前にぼろぼろ涙が出てきたよ。
SUGIZOさんが『もう一個バンドをやっているのでつくづく思うが、みんなが元気で生きていてくれさえすればそれでいい』みたいなことを言ってた。
この言葉の重さよ。
それは皆感じていることだろう。
私も色んな思いが巡った。
皆が生きている間にそれに気付けただけで全然違うよね。
そして思い出した。
Jが言ってることが相変わらず実に端的で、25年位前の幼い自分がどれほど彼に救われていたか。
彼は非常に不器用な人間だと思った。
人間味に溢れていて、脆く崩れそうなバランスを必死で保っていたような、繊細な印象を持っていた。(昔の私調べ)
だからこそ彼の言葉はいつも重く、深く、強烈に心に響いた。
多分私はJに凄く共感しているんだと思う。
いや、私の哲学はJの言葉により構成されたといっても過言ではない。

でね、今夜何が言いたいかって、何かの事情で幸せを感じられない人間でも、素晴らしい何かに出会って一瞬で世界が変わることってある。
その何かを探求すること自体が幸せになるかもしれないし、生きる意味や支えになる人だっていると思う。
私はこんな素晴らしい音楽やメッセージがあるなら、この世界って意外と面白いのかもしれない、捨てたものじゃないって思った。
その積み重ねで、人間は生きるモチベーションを保てるのかもしれない。
生きることに意味とか意義を見出だしたがるのは人類だけで、動物とは本来生に執着し種を保存することが使命なはず。
つらくても楽しくなくても何にも無くてもつまらなくても悲しくても嫌でも、皆それなりに躓きながら生きてるんだよなと。
死ぬの怖いから生きてる、でもいいんだよな。
音楽を聴くのが好きだから生きてるでも、ご飯食べたいから生きてるでも、サッカー観たいから生きてるでも、何でもいいんだよな。
それでも死を選ぶ人は、必ずしもネガティブな選択じゃないと私は思う。
生きられない人は生きられないし、死にたくない人は生きるしかない。
Jが昔言ってたことで、『環境のせいでできないってことはないと思う』的なのが1番忘れられない。
その前後にありがたいお言葉が色々とあるわけだけど、何でも結局自分次第だよね。
一方で自分にはくだらないものでも、誰かにとっては生きる意味であるかもしれないわけだから、他者の領域を蹂躙することはしてはいけないわけだな。

ちょっと何が云いたいかわからなくなってきたから一旦忘れよ。笑
まぁ私にとってはLUNA SEAは生死について密接な関係がある概念らしく、まさに信仰でありどうしても思考の変遷を分析したくなってしまう。
寝よう。