仲良しな先輩のお母様が亡くなり、どんな想いで毎日過ごしていたんだろうかと話しているうちに、
涙が止まらなくなり号泣してしまったところ、ひたすら後輩に慰められていた。
そして後輩から『私のお父さんは16歳の時に亡くなって・・・』という話を聞かされまた衝撃を受けた。

先輩のお母様は末期ガンで、ご自宅で緩和ケアのみ行っていたそうで、結果的に2年以上闘病していたらしい。
50代では病気の進行は速く、最後は寝たきりになり、家族で介護をしていたと。
そんな中弱音を吐かずに気丈に振る舞っていた先輩。
先輩の部下から今日『ぬめちゃん仲良いのに知らんかった?』と、ふと何気なく言われたが、
そんな事私には受け止められないだろうし、先輩は決して誰にも弱さを見せなかった。
老人を在宅介護しているその部下に、制度等をこっそり相談してきたのが先週の事だったそうだ。

だって年末まで楽しく遊んでたんだよ。
年が明けてからいきなり先輩は誰とも話さなくなって一人で思い詰めてた。
1度か2度、大丈夫か聞いたけど、今となっては大丈夫だったはずがない。
でも、お母様が闘病中ということ自体誰も知らなかったんだ。
私はその事実に、無力感でいっぱい。
きっと知ってても何をしてあげられたわけでもないけど、ほんとに何も出来なかった。
子は親を見送るもの。
本来それが自然であり遅かれ早かれ起こること。
どんな状況であろうがつらい。
物凄くつらい。
でも、私は今、先輩が親の死に直面したことより、友人としての無力感でつらい。
彼女は誰に弱さを見せられるんだろう。
頼れる人はいるのかな。
張り詰めた糸が切れて、今こそ弱っているんだろうけど、こういうときにどう接するべきか考えてる。
とにかくそっとしておくべきだろうと思う。
でも大人として、弔意を表する必要もある。

生きているのに、目の前にいる家族が確実に近いうちに亡くなるとわかりながら接するのって、何て残酷なの。
突発的な死が残酷じゃないと云ってるわけではなくて、何も手立てがなくただ過ごすのは、私の想像の及ばない虚しさだろう。
耐えられない。
容易に耐えられる人なんていないんだろうけど。
命の尊さを改めて知る。

先輩のお母様がせめて痛みから解放されていまは安らかでありますように。