スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

Many Classic Moments47



*まとめ*




 それから暫く後、銀時が桂と坂本を連れて走ってきた。三人を待っていた時間はほんの数分程だったのだろうが、高杉には無限のようにも感じられた。


 「どうしたんだ高杉、新八くんが崖から落ちて意識がないだと!?」

 新八を抱き抱える高杉の傍らに、最初に駆け寄ってきたのは桂だった。頬に少しばかりの泥汚れがあるが、それ以外は至極きちんとした身なりのままだ。敵をどれだけ斬っても乱れぬ様相が桂らしい。

「ああ……どう呼び掛けても目を覚まさねえ」

 高杉は新八を抱いたまま、ポツリと答える。
 雨雲に隠れた中でも陽は既にかなり傾き、先程から敵の姿も見えない。どうやらここでは攘夷の軍勢に勝てぬと踏んだのか、幕軍は手痛い成果を持って逃げ帰っていったものらしい。戦は終わったのだ。
 しかし戦だけならこれで終わりでいいが、ここに残った誰もが皆、一向に晴れぬ心を抱えたままだった。


 高杉に抱えられたままの新八をチラと見て、その次には切り立った崖に目を馳せるのは坂本である。

「でも、あそこから落ちたんじゃろ?あの高さから落ちて、よう無傷でいられたもんぜよ。運はこっちにある。新八くんもきっと助かる……だからそう悄気るな高杉」

 確かに坂本の言う通り、新八は相当な高さから落下してきたものらしい。なのに、新八の身体には目立った外傷はほとんどない。山の中腹から数メートルの高さを落ちて尚無傷でいるなんて、普通であれば有り得ぬ事だ。だから生きているということ自体が、既に幸運なのだ。僥倖だ。
 しかし、そうとは分かっているのに、坂本の励ましにもギリリと牙を剥くのはいつもの高杉でしかなかった。

「悄気るだと?テメェ誰にもの言ってやがる。ふざけんなクソ天パが」

 坂本への罵倒に込められたフレーズに、傍らの銀時がひょいっと顔を起こす。

「いやそれ、俺に常に言ってる罵倒だよね。辰馬にも応用しだしたお前の語嚢がマジ貧困過ぎて、軽くかわいそうなレベルなんだけど」

 だけど、もうどう評価されようとも高杉は銀時と争うつもりはなかった。真剣な面持ちで新八の身体を見定める桂に向け、検分しやすいように新八を抱き起こす。

「こめかみに傷があるな。頭を打ったのか。外傷は……見てみるから、俺に少し手を貸せ。高杉」
「分かった」

 新八の身体を見ていた桂は、新八の頭の傷が一番気にかかるのか、何度も何度もそこを確かめていた。だがやはり皆の見た通り、新八は身体だけを見れば無傷も同然である。手足は無数のかすり傷だらけだが、骨が折れた形跡もない。軽い捻挫や打撲はあろうが、著しい損傷はどこにもない。なのに、新八は目を開かぬ。
 ほとんど無傷で生還した事への幸福と、なのに一向に目覚めない事への不安が刻一刻と募っていく。


 やがて桂は重いため息を吐いた。

「目立った外傷はないな。かすり傷は至る所にあるが……だが、それ故にこうまで意識を失ったままなのが気にかかる」

 桂の診立てに賛同するのは銀時だ。だらりと下がっていた新八の手を取り、優しく摩る。

「確かに、何かで引っ掻いたみてえなかすり傷がすげーな。でもよ、あの高さからそのまま川に落ちてたら無事でいられる訳ねーよ。岩にぶつかりゃ骨だの何だの飛び出るし、下手すりゃ水面に叩きつけられた衝撃で内臓系が全部パーだって」
「と言うことは……」

 銀時のセリフに言葉を挟み込もうとしていた桂の声を遮り、その後を高杉が受け継ぐ。銀時と桂の顔を、交互に見据えて。

「ただ落ちるだけじゃなく、一回や二回は斜面に生えてる木の茂みに突っ込んで、どっかでバウンドしてんだろう。落下の速度をそれで殺してる。だから……川に落ちてもそこまで酷い外傷は負ってねえ」
「なるほどのう。つくづくラッキーぜよ。さっすが新八くんじゃ」

 高杉の見解に坂本が感嘆の意を唱えた。ふむ、と唸って斜面に生えた木を見ている。

 高いところから落ちた人間が、無傷で済むはずはない。人間の身体ほど柔く、脆いものはないのである。どれほど身体を鍛えていようが、地面や水面に叩きつけられでもしたら、そしてその衝撃で内臓系の臓物が少しでも飛び出そうものなら、大抵の人間は間違いなく死ぬ。だが何かしらの幸運が重なり、その運命から免れる事例がない訳ではない。
 何らかの障害物に細かくぶつかって落下のスピードを殺せたであろう事が、今の新八の生死を分けたと言っても過言じゃない。恐ろしく幸運なことに、新八がほとんど外傷を負っていないのはその為なのだろう。

 高杉や銀時の話を聞き届け、桂はまた深く息を吐いた。新八の青白い額にそうっと手を添える。

「しかしそうも言ってられん。頭を強く打ってるなら、身体以上に脳へのダメージが懸念される」
「脳って……」

 桂の言葉に何かの不吉な気配を感じ取ったのか、銀時がすぐに気色ばんだ。紅い眼を見開き、桂の顔を見る。しかしながら、桂がそれで言葉を区切るはずもない。

「新八くんがこのまま目覚めずにいる可能性も、なきにしもあらずということだ」
「テメェ……!」

 次に気色ばんだのは高杉だった。絞るような声と震える右手で桂の胸元を掴むが、桂は凛然とした声音を決して崩さない。

「止めろ高杉。俺は可能性を口にしただけだ。新八くんをそんな目に遭わせたい筈がないだろう。お前だけじゃない……ここに居る誰もが、新八くんを助けたいと思っているんだぞ」
「っ……」

 しんと澄んだ眼差しで見られれば、高杉も手を引っ込めざるを得ない。ここで桂を殴ったところで、桂の診立てが消える訳ではないのだ。新八が目を覚ます保証など、どこにもない。
 渋々と引けば、桂が居住まいを正すのが分かった。高杉に掴まれて乱れた着物の胸元を直し、きっぱりと口を開く。

「とりあえず、もうここには居られまい。新八くんを城に運ぼう。もうじきに陽が暮れる……此度の戦は俺たちの勝ちのようだな」

 静かに勝ちを告げる桂の声。やはり高杉が立てた作戦のおかげで、今回の戦は幕軍に圧勝したのだ。しかし間接的にとは言え、危険を顧みずに作戦を決行した高杉の判断により、新八は今こうして意識を失っている。
 これほどに嬉しくもクソもない勝鬨が、今までにあっただろうか。これほどに後悔しかない闘いが今までにあったか。しかも高杉の心痛を分かっていてなお、銀時が皮肉るように呟くのだから。

「ああ。勝ったな今回は。どっかのクソ総督が立てたクソみてーな作戦のおかげでな」
「銀時も止めるんだ。こうなったのは誰かが悪い訳じゃない……高杉の気持ちを考えろ」

 銀時の盛大な皮肉を、さすがに今度ばかりは桂が諌めてくれる。だが高杉はもう聞いても居られず、ひどく冷えた新八の身体を無言で背負った。座ったままの姿勢で、新八の腕を己の肩に回す。

「……ヅラァ、てめえの鉢金寄越せ。銀時もだ」

 そうしてから、呟いた。
そんな高杉の行動とセリフに虚を衝かれたのか、銀時は二、三回ほど目を瞬かせる。

「あん?俺らの鉢金なんてどうすんだよ。つーか何で急に新八を背負ってんの」
「俺が新八を運ぶ」
「はあっ!?何言ってんだよお前、無茶過ぎるわ!左腕斬られてんだろうが!やめとけよ、新八は俺が運ぶからいいって!」

 高杉が告げた言葉を、間髪入れずに銀時は持論で撃ち落とす。
 高杉は分かっている。ここは誰が誰に嫉妬しているだの、誰を好いているだのと甘い事を抜かしていい場面ではないことを。銀時だとてそうだ。負傷もなく危うさもない自分の頑健な身体と、片腕もろくに使えぬ高杉の身体を秤にかけて、自分に新八を任せろと言っているに過ぎない。

 だが新八の身体に触れようとした銀時の手を、バシッと容赦なく払いのけたのも高杉だった。

「……触んじゃねェ」
「あ?てめえ……誰のせいで新八が、」

 低く唸るような声を出す高杉を見下ろし、銀時が即座にこめかみに青筋を立てる。だけどすぐさまに高杉に食ってかかろうとする銀時を止めるのは、その背後にいた桂の役目だ。

「銀時!止めろ!……まずは高杉の話を聞こう」

 そして、辛いような苦いような、何とも言えない表情で高杉に向き直った。その目の奥に浮かぶのが、新八への心配だけでなく己へ向けた心配でもあると分かるから、高杉は今度こそ桂から目を逸らさない。


 あの日、桂に初めて新八との事で呼び出しを食らった日。

あの夜はどうしても見ることができなかった桂の目を、今はしっかりと正面から見捉える。すうと息を吸い込み、高杉は話しだした。


「俺の左腕は……使えることは使えるが、普段のような力は出ねえ。だから新八を落とす事がねえように、俺の身体と新八の身体を布で固定しろ。きつく縛れ。そうすれば……」

 先ほど新八が高杉を手当てした時のように、鉢金を捨てた後の額当てはただの白い布と化す。それを包帯のように利用し、新八をおぶった高杉の左肩を中心にしてぐるりと二人を巻けば、一応は新八が高杉の身体に固定される算段だった。
 意識のない新八には自力で高杉の背にしがみつくことはできない。高杉だとて左腕を斬られているのだから、そんな新八を自力で背負い続けるのは土台無理がある。けど確かにこの方法であれば、最初から新八の身体を高杉の背に固定しておくのなら、使えぬ左腕の為に高杉が新八を取落す心配はないだろう。

 だがしかし。


「確かに、お前の脚は健在だからな。できることはできるだろうが、やれば確実に傷に響くぞ。下手をすれば左腕の傷が開く」

 桂がほうと息を吐く。やれやれと言った風情がありありと透ける、その表情。

 左肩を中心にきつく紐を巻いて新八を負ぶうのなら、それすなわち負傷した左腕への影響は免れない。出血は止まってはいたが、人一人分を背負って山道を行くだけの力が高杉の身体に残されているとも思えない。

 なのに次にはもう、高杉は一切考える事もなく口を開いていた。

「いい。かまやしねえ」

 どキッパリと宣言した高杉を呆れ顔で見たのち、桂はしみじみと首を振った。本当に微かにだが、確かに優しい笑みを湛えて。

「……だそうだぞ、銀時。どうする?お前にこの馬鹿を止められるのか?」

 そして今度はもう一人の幼馴染である、銀時を横目に見る。桂に促され、銀時もまた深くため息を吐いていた。

「お前さあ、高杉。お前ってマジバカなー。ほんっと、つくづくバカ……」

 バカバカと罵りながらも、銀時だとてもう高杉を止められぬ事はとっくに分かっている。このバカ(高杉)がどれだけ新八を好いているのかも、つくづくと、嫌になる程分かっている。いや──分かってきていた。

 だけどそうと分かっていてさえ、ハイそーですか、とは行かぬのが世の常。銀時の常なのだ。


「わーったよ。好きにしろよ。その代わり、てめえが少しでも弱音吐いたら新八は俺が奪うからな。てめえが痛そうなツラなんざ見せたら、即座に新八は俺が抱える。俺が新八を横抱きにして走ってった方が早えわ。その方が絶対ェ早えし、絵面的にもマジかっけえ。こういう時のチビはかわいそうだよなー、選択肢少ねえし」

 ぶちぶちと抜け目なく言い募ると、間近にいる高杉の怒りがふつふつと燃えるのが分かった。その怒りのボルテージが冷めやらぬままに、銀時は桂に向けて手を差し出す。

もう片方の手では、己の額当てをしゅるりと紐解いて。


「……このクソ銀時がァァァ……」
「よっし。ならもう縛るぞ。ヅラも額当て貸せや」

 高杉の憤怒も聞き届けず、素知らぬ顔をした銀時はもうさっさと布地だけにした額当てを使い、簡易な固定具を作り始めている。
 そんな銀時と、新八を背負ったままの高杉に目をやり、桂は己の額当てをするりと解いた。銀時に手渡しながら、ふっと唇を緩める。



「全く……つくづく粒揃いのバカが揃っているな、新八くんの周りには」
「まっことヅラの言う通りじゃ。まあ、そんなバカを止められんのがわしらの定めよ」
「ああ。本当だな坂本」


 その密やかな笑みに気付いたのは、当然の如く桂の横合いにいた坂本だけだ。

 

Many Classic Moments46


*まとめ*




 「新八!!」

 見つけた途端に高杉は走り出していた。泥を含んで重くなった川水の抵抗など最早どうでもいいとばかりに突っ切り、ざぶざぶと水を掻き分ける。
 銀時もすぐ高杉の異変に気付いたらしく、高杉の視線の先方向を目掛けて真っ直ぐに突き進んでくる。

「新八ィィィィ!!」

 先程から何度聞いたか知れぬ、銀時の叫び声。新八を呼ぶ声。
 その声を背後に聞きながら、高杉が急ぎ新八の元に駆けつけた時には、新八の身体は水の中に半ば浸かっていた。川縁にある巨岩のすぐ近くに身体を任せている。石のおかげで身体が堰き止められたのか、水流にのって川下まで流されなかったのは不幸中の幸いとも言えようか。

 だけど、新八のその様子。トレードマークである眼鏡なんて崩落の衝撃で簡単にどこかに吹っ飛んだのだろう、裸眼の素顔だ。いかにもぐったりとした様子で力無く目を閉じたその姿に、そして間違いなく新八のこめかみから流れたであろう血の跡筋に、高杉は心からの戦慄を覚えた。

 だって、この光景は先程己がイメージした図と限りなく似ているのだ。

──死。新八が死ぬ、その忌まわしい想像と。



「死ぬな!」

 水の中からザバリと冷たい身体を引き上げ、すぐ近くの川縁に横たえる。銀時もすぐ駆けつけて、すぐさまに新八の身体をその腕に抱いた。
 ピシャッと新八の頬を叩き、銀時が叫ぶ。

「新八!オイ!なあ、俺の声聞こえるか!?」

 大声もいいところだが、新八は目を開けない。ぐったりとしたまま、銀時に抱かれたままで、四肢のどこにも力は入らない。糸が切れた人形のようなその様子に、決して開けられない青白い瞼に、銀時の顔が見る間にさあっと蒼ざめていく。

「っ……ざけんじゃねえ!何で新八がこんな目に遭わなきゃなんねーんだ!」

 それはもはや叫びではなく、咆哮だった。そしてその銀時の咆哮は、紛れもなく高杉に向けられていた。

「何でだよ!……何でこんな、何でてめえなんかを庇って」

 銀時の声が悲痛に濡れる。その怒りも憎悪も、やるせない悲しみも、今だけはまるで己のものかのように高杉は銀時と共有できた。どこまでも近しい自分たちの心の在り方のせいで、辛いほど肉薄に。

けれど、己の不手際を詫びるより何より、高杉にはまだやるべき事がある。



 「……まだ、新八の心臓は動いてる。生きてる……」

 ぐっしょりと濡れた新八の着物の胸に手のひらを押し付け、その鼓動を確かめる。そして呼吸を確かめれば、新八は僅かではあるが息をしている。冷たい身体のどこにも力は入らずとも、目を開けずとも、確かに新八は生きていた。
 ほんの僅かの可能性でも、この生を繋ぎとめることができるなら。ほんの少しでも希望があるのなら、自分はなんでもする。
 だからそうだと分かった瞬間、高杉は迷いなくすっくと立ち上がる。


「ここにいろ、銀時。ヅラと辰馬呼んでくる」

 しかし高杉が言った途端に、銀時ははっしと高杉の右手を掴んだのだ。

「はっ?いや、ならてめえが残れよ。俺がひとっ走り行ってくるわ。その方が早え」
「あ?テメェ何言ってやがる……今は一刻を争う事態だ。俺が行く」

 銀時から胡乱な目で見られ、高杉もまた剣呑な眼差しで応戦する。なのに銀時は高杉の右手を離そうとしない。離すどころか、ぐいと引き、その馬鹿力で無理やりに高杉を座り込ませる。

「一刻を争う事態だから言ってんだろうがバカ。ちったァ頭冷やせや!てめえ今は左腕使えねーんだろ、またどっかで敵と遭遇したらどうすんだよ!闘えんのかよ、確実に勝てんのか」
「勝てる。俺を誰だと思ってやがる」
「いや即答ォォォ!?てめえなんざアホ総督だと思ってるわ!心の底からアホだと思ってるっつーの!てめえが敵と闘えねーから、新八はてめえを庇ったんだろうが!いい加減にしろよ、てめえのエゴにもう新八を巻き込むんじゃねーよ!死ぬ気でてめえを救った新八の気持ちを考えろ!」

 真顔で言い放った高杉を前にしても、銀時は全く引かなかった。むしろ問答無用で叱り飛ばす。無骨すぎるその言葉。だが、飾り気のないその言葉には剥き出しの銀時の心が乗せられている。

 新八が死ぬ気で高杉を庇ったという、その意味。死すら厭わず、高杉を護る為に敵と立ち回り、しまいには崩落に巻き込まれて。それでもか細くも命を繋いで、今なお生きようとしているその身体。
 そうして護られた自分と、護ってくれた新八。自分の独断と、新八の命の灯火。そのどっちを天秤にかけて行動すればいいのかぐらい、高杉にも嫌でも分かる。

 
「……悪かった。俺がここに残る。だから……テメェに任せた、銀時。助けを呼びに行け」

 だから高杉は、今度こそは言うしかなかった。限りなく不本意ながらも、銀時に謝るしかなかったのだ。
 自分の焦る心に急かされて行動しても、動かぬ左腕のせいで遅れを取り、銀時の言う通りに敵に殺されたら元も子もない。それでは助かるものも助からぬ。新八は助けられない。

 ならば新八の為に、ここだけは銀時の言う通りにしてやる。いや……してやってもいい。


 「……ん。分かればいいんだよ、分かれば。ほんっとお前みてーな生き急ぎ野郎、いつおっ死んでもおかしかねえよ。俺も何も言わねーよ。でも、新八は違ェだろうが。新八は……てめえのことを、」

 高杉から出た素直な謝罪の言葉が珍し過ぎたのか、銀時は一瞬だけぽかんとした顔になり、次にはぽりぽりと頭を掻いた。その後で、ぶつぶつと独り言ちる。
 けれど続く言葉をプツンと切り、顔を上げた銀時はもういつもの表情に戻っていた。

「今のてめえなんざ、俺のお荷物でしかねェよ。ならここで新八を護るくれェが関の山だっつーの」
「……チッ、分かったから早く行け」

 しかめっ面の高杉に向けてにっと笑んだ顔は、もういつもの銀時でしかない。
 腕の中に抱いていた新八を今度は高杉の腕にそうっと預け、銀時はすっぱりと立ち上がった。そのまま凄いような勢いで駆け出して行くのを見送り、高杉は新八の冷たい身体をそっと抱き締める。


(お前に言わなきゃならねェ事がある。お前に伝えてェ事が山のようにある。だから……死ぬな)

 しかしどう強く想っても、新八は目を開けない。その大きな瞳で高杉を見つめてはくれない。高杉さん、といつものように笑いかけてくれることさえ。

 ぱたぱたと新八の頬に雨露が滴る。白蝋のように白々とした新八の頬に滴った水滴は、果たして雨ばかりだったのか──それは誰にも分からない。




Many Classic Moments45


*まとめ*



 高杉が何も動けず、声すら出せずにいたのはほんの数秒間だけだった。
 新八が視界から消えたすぐ後、ドッドッとけたたましく鳴り響く心臓を鼓舞するように右手で己の胸を叩き、高杉はふらりと立ち上がる。


 「新八……!」

 足を踏み出すたび、斬りつけられた左腕がズキズキと痛む。そこに巻かれた布は新八のものだ。まだ手当てされて間もないのに、既に白い布地は見る影もなく血の赤に染まっている。だけど、この手当ては確かに新八が施した。新八が高杉の為を思い、高杉の怪我を憂慮して、己の鉢金まで捨てて必死に介抱してくれた。

 ほんのさっきまで、高杉のすぐそばで。


「──っ!!」

 もはや左腕の痛みなど、高杉の意識からは完全に遠のいた。急く心のままに崖の斜面に走り寄り、その辺に生えた木の幹に右手をかけて崖下を覗き込む。轟々と流れる水音が聞こえるので確実に川はあるだろうが、崖が急な為、これ以上ここから身体を乗り出すのは危険である。従って川の流れは感じても、川底までは到底ここでは確認できない。

 新八の身体はあのまま川に落ちたのか、それとも斜面に自生している木々の茂みにでも引っ掛かったか。もし万が一だが、あの崩落の勢いで水面にそのまま落ちていたら。そして川には無数に存在しているだろう巨岩に、身体を強く叩きつけられでもしていたら……命の保証はどこにもない。


「……んな、そんな事、」

 そう思い掛けて、高杉はぞっとした。心から、心の底から“そのイメージ”を恐れた。新八が死ぬということ。もう二度と自分に微笑んでくれぬということ。

 自分が抱いた柔らかなあの身体が、物言わぬ肉になり、ただの屍となって冷たく変わり果てるその想像に。




 「──高杉っ!」

 けれど、無意識にもそのまま深く川底を覗き込もうとし、更に大きく身を乗り出そうとしていた高杉の身体を咄嗟に引っ張り戻す腕がある。ハッとして後ろを振り返れば、頬に血飛沫を飛び散らせたままの銀時の姿があった。

「てめえ何してんだよ!死にてえのか!?こんなぐっちゃぐちゃの崖の上なんざいつ崩れるか知れねーし、危ねえっつの!」
「銀時……」

 自分の敵は全て片付け、そのまま走ってきたのか、銀時の呼吸はハアハアと乱れている。だけどそれ以上に荒く呼吸を乱し、ギリっと唇を噛みしめる高杉の姿に、そして高杉の左腕に巻かれた布とそれを染め上げる血の赤に、銀時もまた何かの危機を察したらしかった。

「あ?てか高杉お前、斬られてんの?すげえ怪我じゃねーか。どうしたんだよ、てめえが斬られるとか何事…………つーか待てよ、新八は?」

 そして本能レベルでの嗅覚によるものか、銀時は新八がこの場に居ないことにすぐ気が付いた。未だ何も言えずにいる高杉の右腕をぐわしと掴み、揺さぶる勢いで尋ねてくる。

「なあ!?新八どこだよ、どこ行った!?てめえと一緒に居るんじゃねーのかよ!」

 高杉が押し黙っている事もあり、次第と銀時の顔にも焦燥が浮かんでくる。そんな鬼気迫る形相の銀時に押され、高杉はようやく噛み締めていた唇をこじ開けた。

「俺がこの腕を斬られてから、アイツが一人で敵と応戦した。ひとまず勝ったはいいが、その後……俺が崩落に巻き込まれそうになってたところを、アイツは俺を庇って……俺の代わりに、」
「はあっ!?そのままここから落ちたってのか!ふざけんなよ、てめえが付いてて何で新八がそんな事になんだよ!」
「誰が好き好んでこんな状況選ぶか!何でアイツが、むしろ俺ァ……テメェこそふざけんな!」
「はあぁ!?ちょ、今何て言い掛けたお前!つーかいつだよ!?新八がこっから落ちて、どれくらい時間経ってる!?」

 訥々と語る高杉の胸ぐらに、銀時の両手が突如として伸びる。怒りのあまりもの凄いような力で掴み締められたその手を到底振り解けず、だけど高杉もまた銀時の言葉に怒鳴り返すことしかできない。

「三分も経過してねェよ、ついさっきに決まってんだろうが!いいから手ェ離せ!退け銀時!!さっさとアイツのとこ行かねえと……!」

 しかし高杉が言葉を紡ぐより数段早く、既に高杉を離した銀時は素早く踵を返す。もう一秒でもこうしていられないとばかり、ドドドと凄い勢いでそのまま走り去っていく。

「新八ィィィィィィィィイ!!」
「おいクソ銀時!俺も行く!」

 銀時の叫びが前から流れてくるのを頼りに、高杉も必死になって銀時の後を追いかけ走る。ズキズキと痛む左腕を無理やり振り切って、今は一刻も早く川縁まで行かなければならない。
 左腕からの出血はもう止まっただろうが、だが高杉はこれまでに血を流し過ぎている。足を踏み出すたび、貧血気味の頭がくらりとするような感覚に陥る。しかしもう四の五の言ってもいられなかった。

「新八ィィィィィィィィ!!!!」
「分かったからもう黙れテメェ!」

 山間にこだまする銀時の声に、高杉の声が即座に被る。それがどんな雨の音にも勝る轟音だったことは言うまでもない。





 急ぎ足を動かした二人が、山裾を流れる川縁に馳せ参じたのはそれから数分後の事だ。


 「──新八、居たら返事しろ!喋れねーなら水音立てろ!」

 川縁に辿り着くなり、もう銀時は躊躇いもせずにじゃぶじゃぶと川に分け入っていく。高杉も急ぎ続こうとするが、

「てめえは入ってくんな!斬られてんだろうが、川なんて浸かってたらまた血ィ出るぞ!死んでもいいなら別だけどよ、つーか死ね!」

くるっと振り返った銀時に怒鳴られた。けれど高杉だとて、銀時の恫喝じみた心配で大人しくなるような男では決してない。

「うるせェ放っとけ!!」

 銀時に構わず、もはや一刻の猶予もないとばかりに轟々と流れる川にざんぶと分け入る。
 川面は酷い有様だった。降り続く雨のせいで水は茶色に濁り、その辺に浮かんだ石や、流されてきた草木がざあざあと間断なく流されていく。しかもその合間を縫うようにして、背や腹を見せた天人や幕軍の屍体も多く浮いている。

 そして、いまだ止まない雨。雨。雨──……


「クソっ!」

 怒りに任せて川面をバシャッとぶっ叩く。視界が灰色にけぶっているせいで、そして目の前に屍体が溢れ過ぎているせいで、思考が正常に纏まらない。キョロキョロと辺りを見渡してみても、新八の姿は見えない。
 もしかすると、山肌の斜面に生えた木にでも引っ掛かっているのではないか。川に落ちなかった身体は、近くの木々の葉が目隠しとなって見えないのかもしれない。
 そう思った高杉が、草の生い茂る川縁に目をやった瞬間だった。

 見慣れた黒髪と、見慣れた戦装束が水面の茶色の合間からふと顔を出したのは。


Many Classic Moments44


*まとめ*



「また敵ッ、つーかもう寝言言ってんのはアンタだよ!ここだけでいいから、今だけは僕の言う通りにしろ!」

 途端に刀を構え直した新八が、もはや高杉を突き飛ばすようにして己の背に庇う。そんな少年の言う通りに渋々と従いつつ、高杉は右手にまだ剣をぶら下げたまま新八の背後に構えた。

「……チッ」

 敵はたった二名であるが、高杉を徹底して護るつもりの新八からすれば、されど二名である。しかも体格のいい天人が二人だ。だから先手必勝という勢いで、ぬかるんだ地面を利用し、ズシャアッとスライディングがてら敵の一人の顎下に剣の柄を叩き込んだ新八の判断は賢明だった。

 平原ではその巨体も物を言うだろうが、こんな狭い地の、しかもぬかるんだ地面がステージでは天人も新八に敵わない。新八よりふた回りも大きな体格差も、こんな場面では圧倒的に不利なのだ。
 それほど素早く攻撃を受けるとは思わなかったであろう天人の一人は、大きく体勢を崩した。懐に飛び込まれ、急所に峰打ちを食らっただけで激しく昏倒してしまう。


「……っし!まずは一人!」

 ズォォンと不穏な音を立てて失神した天人を見やり、新八がぐっと拳を握り締める。だがそのやり方には、背後の高杉だとて物申さずにはいられなかった。

「オイ、何を甘っちょろく峰打ちなんざしてやがる。ちゃんとトドメをさせ。いいから殺せ」

 さっきはそれで怪我を負った事もあり、高杉の口さがない言及は続く。でも新八には新八のやり方があるらしく、激しく気絶している風な天人をちょちょいと足の爪先で突っつくなり、くるっと高杉を振り返った。

「いいの、コレもう気絶してるからそれでいいの!うるっせーよ高杉さんはァ!」
「つくづく甘ェな、テメェは……そして誰に向かって口聞いてやがる。殺すぞ」

 高杉の目の前で敵をブチのめした高揚感からか、すぐに生意気な口を聞きだすメガネの若侍に、当の高杉がふうと軽く嘆息する。やれやれである。これだからガキは仕方ねえ、である(いや高杉の中で)。

 しかしそんな二人を見ていた、残すところ一人である敵方の天人はと言うと──くふくふと気味の悪いような、どこかおかしな笑い声を立てていた。


「くふふ。メガネの後ろに居るのが鬼兵隊の総督……高杉か?おいおい……高杉を庇ってるつもりか?ここで何ができるってんだ、そこの僕ぅ」

 僕ぅ、などと天人が蔑む対象が新八であることなんて、最早誰の目にも明らかである。怪我をしている高杉とピンピンした健康体の新八を秤にかけて尚、この天人が高杉の方に注意の重きを置いていることも。

「さっさとガキは逃げろよぉ。高杉が土産に残ってくなら、ガキの命くれーは捨て置いてやるよ」

 日本刀……とは言い難い、刃がやたらと湾曲した西洋のサーベルに近い刀剣をべろりと舐め、天人は不敵に笑う。その黄色に光る二つ目と、むやみに長い紫色をした舌を持つ異形の姿に本能的に怖気が走る。だけどそんな脅しや見た目だけに屈服するなら、それでは新八の中の“侍”が廃るのだ。

「来るなら来い!そっちが逃げないなら、今度こそ僕は峰打ちで済まさないからな!」


 堂々と正面から勝負を言い渡す。二つの眼に士気を漲らせた新八は、真剣を両手で構えてからガチャリと刃を鳴らした。
 声の高らかなその様子と言い、真っ直ぐに敵を見据える強い眼差しと言い、冷たい雨の最中においてさえも熱すぎる若武者である。どこからどう見てもとんだ青春野郎である。


 そんな若侍の気合い溢るる様子に、天人は忌々しそうにケッと毒を吐く。

「なるほどなぁ、白夜叉や高杉の周りに居るのはやっぱりムカつく野郎だらけだな。こんなガキまで道理を知らねえらしい。なら……死ねクソメガネェェェェェェ!!」
「眼鏡は目の鎧なんじゃボケェェェェェェ!!」


 大きく剣を振りかざしてドドドと走り迫ってくる天人に向け、姿勢を低く取った新八が素早く刀を居抜き──勝負は一瞬で決まった。
 しかしながら、そのままばっさと居合斬り……とはいかず、敵の腹に刃が食い込む瞬間に峰打ちに変えた新八の剣柄が、敵の腹に深々とジャストミートした瞬間のことだ。
 たまらずにゲボォと大きくむせた天人がそのままうつ伏せに倒れたところで、新八はすうっと大きく息を吸い込む。横手にいた高杉をパァァと嬉しげな顔で見て。

「はあっ、はあ……ど、どうですか高杉さん。僕、勝っ……」

 興奮と緊張で満足に言葉も紡げないが、眼鏡の奥の瞳にはまごう事なき勝鬨が浮かんでいる。
 巨体の天人と渡り合うために、敢えて姿勢を低く取ったのは新八の咄嗟の判断だろう。剣技云々ではなく、機転のきかせ方がまず良かったのだ。でも斬られるかもしれぬ恐怖を突っ切り、逆に猛然と仕掛けていった点はさすがに高杉や銀時とも同門の出である。新八は強かった。

 だが素直にそうも言えぬのが、素直に褒める事をしないのが、高杉が高杉たる所以であった(晋助ッ)。


「ああ……確かにな。だがまた峰打ちか、テメェは。今度こそ峰打ちで済まさねえんじゃなかったか?俺だったら確実に斬ってるがなァ」

 足元に転がる巨体を蹴付き、はっと嘲笑う。そんな高杉からバツが悪そうに目を背け、新八はもごもごと口籠もった。

「いや、まあそれはそうですけどね。でもここからさっさと僕らが退散すれば、それでいい話じゃないですか。だからさっさと行きましょう、こいつらが目を覚まさないうちに」
「良くねえよ。現に……」
「っ!」

 高杉がまたも言い掛けたところで、先ほど新八の剣柄が腹にジャストミートした天人の手がピクピクと動く。まだ完全には気絶していないその様子に、新八がさっと緊張を漲らせた刹那、今度は高杉の剣が真上から敵の心臓を刺し貫いた。

 ぐはっとおかしな呼吸音を立てて、今度こそ完全に敵は死んだ。見る間に広がっていく巨体の下の血だまりが、もうピクリとも動かなくなった腕が、地を掻きむしった形のままで事切れた指先が、それを静かに物語っていた。


「……ほらな。テメェの力じゃ、いくら峰打ちをかまそうともこんな巨体のバケモンには数秒も通じねえ。人間とは違ェんだよ」

 敵の身体から剣を引き抜き、片膝をついた高杉が呟く。それに新八は少し黙った後で、小さく口にした。

「でも、人間も天人も中身はそうも変わんないでしょうが。天人から見たら、人間だってどっかの星の天人な訳だし。見た目の違いはあるけど」
「あん?テメェはまたそんな甘ェ道理を……」

 だけど、今度の高杉は新八の考えに言及することはしなかった。
 いや──正確にはできなかったのだ。片膝をついていた身体を起こしかけたところで、ぐらりとその全身が傾いだのだから。

「た、高杉さん!忘れてた!そこ、足場が崩れ掛けてます!」

 大きな身体の天人が二名も打ち倒されたせいか、切り立った斜面の崖はいよいよその重みに耐えきれなくなったらしい。ガラララ……と不吉な音を立てて足元の地面が徐々に粉々になっていくのを爪先が知覚する。急速に軽くなっていく身体の不穏は、流血のせいだけではない。
 このままでは落ちる。高杉は思うが、思うだけでどうもできない。血を流し過ぎたのか、いつものように俊敏に身体が弾まない。

 だから今度こそは、新八がいくら叫んでもどうしようもなかった。どうしようもない筈だった。


「だめですっ!高杉さんは死んじゃだめだ!」

 だけれど、落ちる事を覚悟した高杉の片腕を、咄嗟に伸びてきた新八の両手が強く引っ張った。そのまま全身全霊をかけた新八の力でもって空に投げ出され、高杉は後方の茂みに頭から突っ込む。

 そして急ぎ顔を上げた瞬間、高杉は見たのだ。


「──あ」

 高杉を引っ張り上げた反動で、高杉の代わりに切り立った崖の上に立たされた新八が、次にはもう視界の端から消えていく姿を。

「新八!」

 高杉の声を聞き届けた新八の身体は、とっくにバランスを崩し、既に崖から落ち始めていた。ガラガラと崩れ落ちていく斜面の崩落音に混じり、ドドドと爆ぜる川の水音がどんどんと近くなる。
 びゅうびゅうと風を切る頬が痛いような風圧。



(嘘。嘘だ。僕……このまま死ぬのか?)

 落ちていく刹那、新八はふと考える。せっかく敵に勝ったのに、自然災害の崩落で死ぬなんて。これでは試合に勝って勝負に負けたも同義ではないか。
 だけど、今の新八の後悔はそこだけじゃない。ぶわっと涙が浮かんでは、落ちる重力に従って真上に消え流れていく。


(言っておけば良かったんだ。さっさと言えば良かったんだ。好きだって……あなたが好きなんですって、高杉さんに)




──嫌だ!まだ死にたくない!!





 衝撃を感じた身体の負荷に耐えきれず、すべての意識が弾け飛ぶその一瞬まで、新八はただそれだけを懸命に考えていた。

Many Classic Moments 43

*まとめ*


 ガチャ、ギャリッ、と不穏な剣戟の音が緑の山あいに響く。
 場慣れもクソもない敵の天人連中は、数でこそ三人を圧倒すれど、その剣技の如何においてはもはや三人の敵ではなかった。


 「薄ぅぅぅ!!凄え薄いな、てめえら幕軍の戦構えって奴はよ!!サガミオリジナルの0.02より薄いっつーの、ゴムにも劣るわ!」


 目の前の敵を斬り伏せたと同時に、横合いから飛び出てきた敵をも返す刀の一撃で仕留めた銀時が叫ぶ。敵が放つ剣数の多さなどものともせず、己に傷の一つ付けることさえ白夜叉は許さない。眼前の敵の土手っ腹に穴を開けたと同時、振り向きざまに敵の首を跳ねる姿は、まさしく戦場に降誕せし鬼。

 その冴え渡る剣技はさすがに白夜叉、されどそのセリフの下品さもさすがに白夜叉だった(銀さんクオリティー)。


「うっせェ銀時……少しは黙ってろ。テメェが喋ると俺の士気が落ちる」

 高杉もやや離れた場所から銀時の下品さに言及する。だがそうも言いつつ、一太刀で敵の喉笛を切り裂く剣の神速は瞬きすら許さない。むやみに刀を大きく振り回さず、鍔をなるべく己の身に引き寄せ、斬るよりも突くようにして敵を突き倒した。
 銀時もそうだが、高杉だとて狭い場所での立ち回りなど造作もない。師の教えは実に多方面に及んだから、雨の中での剣の扱い方も知っている。

 数の多さや足場の悪さなどものともしないそんな二名に、やや遅れを取りつつも懸命に立ち回っているのは新八だ。


「ちょっ、もう……何ですか、この敵の数!アンタらの首ってそんなに価値あんの?!」

 文句を付けながら、眼前の敵の刃を己の刀で受け止める。ギャリンッと火花が散り、白刃がぎりぎりと迫り来るは刹那の一瞬だ。しかし高杉と銀時に敵の大多数は引き付けられているので、新八が相手取る人数はそう多くはない。
 だから確実に立ち回れば、こんな状況に慣れている自分の方に分がある。勝ちを重ねていける──だが、新八がそう思った矢先だ。

 敵にぐぐぐと強く踏み込まれた瞬間、足元の地面が大きく傾いだ事にはギョッとした。


「っ!」

 敵と刃を合わせたまま、思わず足元を確認する。見れば、自分の足は崖の間際にあり、すぐ真下からは川音が激しく聞こえていた。ぬかるんだ地面が崩れ掛かっているのか、ところどころで落石や小さな落盤の水音が立っている。

 知らぬうちに崖際まで闘いは及び、それは自分たちの利にもなろうが、如何せん地面のぬかるみからは誰も免れない。
 自分は崩れかかった泥土の斜面に居るのだと知った時、新八の背筋にはさあっと恐怖が駆け上がる。

「や、やば……」

 でもどうにかして目の前の敵を退けようと躍起になっていた新八の視界は、突如として急速に開けた。



「──高杉さん!」

 素早く駆けてきた高杉により、新八と剣を合わせていたはずの敵は、次の瞬間に背後からバッサリと斬り捨てられていた。またしても絶体絶命のピンチを高杉に助けられ、新八はほうと息を吐く。
 高杉はピクリとも動かなくなった敵を見下ろすなり、新八を強く睨んだ。

「何やってやがる……こんな天人、テメェなら自分で倒せんだろうが」

 足元の崖が崩れ掛けている危険を、未だ荒く息を吐く新八は到底高杉に伝えきれない。そんな新八に業を煮やしたのか、高杉はもうさっさと踵を返そうとした。

「さっさと来い。向こうの敵は片付けた。あとは銀時が……」

 言い掛けて、素早く立ち去ろうとする。だがしかし、地に伏せた筈の敵はまだ絶命していなかったらしい。次には最期の力を振り絞ってばね仕掛けの如く起き上がり、後ろを向き掛けている高杉の喉を目掛けて刃を向けたのだ。

「っ、高杉さん危ない!」

 新八の咄嗟の叫びが功を奏した。その叫びが耳に届いた途端に素早く身を捻った高杉が、すんでのところで刀の切っ先を避ける。だけど、数ミリ単位で交わされた刃は高杉の左腕を掠め裂くに至った。

「──!!」

 目の前に鮮やかに飛び散る鮮血。ぐっと噛み締められた、高杉の唇。全てが振り向きざまの瞬きの一瞬の出来事なのに、新八の目にはまるでストップモーションが掛かったようにコマ送りにして見える。
 しかし、そこからは早かった。左腕を斬りつけられてたたらを踏みはしたが、高杉は右腕のみで手繰った刀で瀕死の敵の心臓を素早く射貫く。

 果たして、敵は今度こそ絶命したらしい。ハアハアと息を吐いた高杉が、敵の身体に突き立てた己の刀に掴まるようにしてずるずると地面に膝をつく。でも左手はだらりと下げ、右手のみで剣の柄に額を預ける様子が痛々しい。

「高杉さん!アンタ僕のせいで斬られっ……止血!止血しなきゃ!」

 ずるりと身体を低くして膝をついた高杉の傍らに、即座に座り込むのは新八だった。
 急ぎ高杉の怪我を確かめる。黒の陣羽織ごと斬られた傷口は赤く肉を見せている。骨には届いていないが、鋭い真剣で斬られた為に出血が酷い。

「ごめんなさい、僕のせいで高杉さんが……高杉さんが、」

 半ば泣きそうになりながら、新八はためらいなく己の額を守るための鉢金を外した。鉢金部分をかなぐり捨て、白布だけにしたそれを高杉の傷口にぐるりと巻いてきつく縛り上げる。
 その痛みに物も言わず顔をしかめ、だけど高杉は微かに笑った。

「何言ってやがる。俺が弱えからだ。ちゃんと……殺しとくべきだった」
「違う……違います!殺すとか殺さないじゃなくて、僕を助けに来なきゃ、高杉さんは……ごめんなさい。本当にごめんなさい……」


 高杉の言葉には嘘も強がりも毛頭なかった。今こうして斬られたのは、遠くの敵陣へと急く心にかまけ、目の前の敵の底力を見誤った証拠なのだ。なのに、新八は高杉に謝ることを止めない。
 その悲痛に満ちた顔を見ていれば、いくら高杉だとて分かる。新八のその苦痛。自分が斬られるより、高杉が斬られた事の方が、余程“痛い”に違いないのだ。

 止血の為に当てられた新八の白布が、即座に血の赤に染まっていく。血を吸って重く、より黒々とした陣羽織に包まれた己の左腕を見下ろしてから、高杉は新八を見つめた。

「斬られたことは仕方ねえ。だが傷口は深くねェ。まだ……闘える。俺ァ敵を斬る」

 たとえ四肢をもがれようと、高杉は敵と闘う覚悟をとっくに決めている。これくらいの怪我で鬼兵隊の総督を名乗る男が立ち止まってはいられない。
 けれど、そう宣言した矢先に叱責が飛んでくるとは誰も思わないだろう。それはこの高杉だとて同じく。

「バカですかアンタは!何言ってんの!いくら高杉さんだからって、両手が揃ってなきゃ刀は満足に扱えませんよ!刀と敵を舐めんじゃねーよ!早く僕の後ろに回ってください!」

 さっきまで泣きそうになっていた筈の少年は、もう決然と剣を取っている。高杉のみならず、そちらこそ決死の覚悟を決めたその様子。
 そして高杉を大喝するなり、己の後ろにいろなどと新八は言う。こんな新八の気迫には、さすがの高杉も一瞬は呆気に取られざるを得なかった。

「は……寝言は寝て言え。誰がテメェの指図に従うか」

 それでも高杉は高杉だからして、どうしても皮肉を挟まずにはいられない。なのに新八はブンブンと首を振って、そんな高杉の性分すら看過しない構えなのだった。高杉の言い分などもはや聞いてもいやしない。

 その上、前方にあった茂みから敵軍の天人が二名も飛び出してきたから尚更である。
前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2017年08月 >>
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
アーカイブ