今日は疲れたので杏オクまとめをして寝ます。
私は杏オクのどこが好きなのかを真剣に考えてみた。
オクタヴィアという魔女はいってしまえば化け物だ。でも私はそうは思えないし思いたくもない。
もとは人間。そう考えるとすごく切なくなる。知っている人ならなおさら。
たとえ目の前にいるのが化け物だとしても大切な人を傷つけたくなんてない。
魔女図鑑でオクタヴィアのページを見たときは悲しかった。
もうなにものの声も魔女には届かない、親友の声さえも彼女の耳には届かないなんて…。
誰かもわからず悲しみ、苦しみ、絶望をまき散らす…そんなの辛すぎるなって。
好きな人、大切な人が交通事故で脳に障害を起こしたとする。
その人は世で言うキチガイになってしまった。
手足は何本かない。
それでもあなたはその人を愛せるかっていうのが杏オクとなんだか似ているというかなんというか。
さやかは化け物になって、誰の声も聞こえなくて、自分の絶望をまき散らす存在になった。
そんなさやかをそれでも愛してやるのが杏オクなわけだよ。
愛も勇気も勝ちはしない。神様なんていない。幸せ何てない。
それでも愛してあげるのが杏オクなんじゃないかな。
杏オクは両想いとかじゃないんだよ。一方的で自己満足なんだよ。
だってさやかにはちゃんと好きな人がいるんだから。ただのおせっかい。
そういうところも大切な面のひとつだよね。
オクタヴィアってさ、綺麗な存在だと思うんだ。
さやかはずっと強がって、そして自滅していった…その姿はとても見てられないから。
オクタヴィアはそうゆうの全部なくてありのままのそのままのさやかの悲しみなわけで…
ある意味で素直な自分だと思うの。それはとっても美しいと思うの。
その素直な部分は普通の人から見たらとても醜い部分だと思う。
その部分を見てそれでも愛してあげる杏子がどうしようもなく好きだから。
杏オク…大好きなんだよなぁ。
報われないことが大事なんだ。幸せじゃ意味がない。
愛っていうのはただたんに幸せってもんじゃないんだよなぁ。
ハッピーエンドっていろんなハッピーエンドがあるけど、
杏オクは杏子からみれば自己中心的なハッピーエンド。
オクタヴィアからみれば想われハッピーエンド。
一方的な愛とその優しさを受け取れず絶望をぶつける。
それが私の杏オクかなぁと。