2017-4-3 01:04
SSよりもっと短いSSたち。創作。
全部喪失してることに慄いてなんかいませんじぇ。
*****
知らないって、残酷だ。ということをあたしは知っていた。
知っていたはずだった。
「リツ、帰ろう」
「うん」
彼女の顔を見ながら微笑むけれどどうしてもぎこちなくて、この笑い方はきっともう拭えないんだろう。永遠に彼女が気が付くことはないけれど。
「ねぇ、C組のあの子、出来ちゃったって噂知ってる?」
「なにそれ!」
知らないというのもとても残酷なのに、知っているという事実はまた違った威力を発揮してくる。なんて、人間ていうのはとにかく生きにくく出来ている。
「しかも相手がさ」
「え、まさか同級生とか?」
「後輩なんだって!」
「うわ…どうすんだろ」
知っていた、知らない残酷さ。けれどそんなの知っていただけでしかなくて何の役にも立たなかった。
彼女が死ぬまで。
「子どもは欲しいけど、さすがに今はねー」
そうだねと、また私はぎこちなく曖昧に笑う。だって彼女はもう存在しない。身体も世界も未来もなにもかも、目に映るその姿さえ。
「ねえ、」
「ん?なに?」
だけど彼女は、
「や、なんでもないよー」
「えー!なにそれ!気になるじゃん!」
「ほらあんたの家あっちでしょ」
「ちぇっ」
「ばいばーい」
「また明日ね」
彼女は、彼女にもう新しい朝がこないことを知らない。冬の日に私の目の前で死んだことをしらない。呼びかければ何も無かったみたいに笑ってこちらを向く瞳には何も映らないことも。
全部全部知らずに彼女はずっと生きていて、私は全部全部知っているのに私を生きていける気がしない。今日も目の前で駆ける制服の背中が夕焼けに呑まれていく。
デジャ・ビュ
(それとも、これは私の願望なのだろうか)
(ずっと繰り返しているのを私は、私だけが、)
*****
涙が、出た。
理由は果たして分からない。世界が反転したわけでも身体が浮遊したわけでも精神が分離したわけでもなかった。ただ、いつもの休日の朝にソファでコーヒーを飲んでいただけなのに。
「どうしたの?」
分からない。君の声はかくもしかと聞こえるのに、返事をした自分の声はちゃんと出たかさえも分からない。
呼ばれた気がしてベランダに出る。脇机に置き去りにされた褐色の液体が批難するみたいに微かに揺れた。今日は一日、雨。
「なかないで」
君の指が頬をゆるりと撫でたのに水分は私の頬を濡らして落ちた。雫は儚く崩れ去って、きみの弱い笑顔だけが現実を晒す。ああ、いよいよ頭がおかしくなってしまったのかも知れないけれど、そんなの大歓迎なのだった。
「ごめんね」
だって本当は分かっていたし知っていた。お願いだから謝らないで、きみの声で私はもっとひとりぼっちになってしまう。
そう、だから、でも、でも、
「…ごめんね」
世界が反転したのは君。
身体が消えたのは君。
声が出せないのは私。
体温があるのは私。
手のひらの感覚と愛情と体温と息遣いと声と君と君ときみとそれから、
あいあいがさ
(きみも雨に濡れてよ)
(今日も私、ひとりだけで、)
*****
植物は、箱庭の瓦礫と黒いレールを抱いて眠っている。
(風化、罰、記憶、理不尽、記録、真実、それから、)
(ひと)
*****
君が記憶の中で困ったような顔をして笑った。だから僕は今朝、泣いた気がして目が覚めた。
「…あめ、」
けれど濡れていたのは窓や地面やカラフルな傘であり、僕の頬や顎や瞼ではなかった。それすら哀しくてもう一度目を閉じる。暗い暗い瞼の裏でちかちか光る。それは次第に形を帯びて僕を空間へ誘うのだ。
じわり、
光るのは重く鈍く、草を掻き分けた鉄製レール。
じわり、
暗闇が地面と空に別れて座る。
じわり、じわ、
(あの日は恐ろしく暑くて、)
手入れもされないのに青々と一定に育った草花。彼らの雨上がりに抱いた露が、僕らの足運びでぱらぱらと砕け散っていく。地面が湿気って爪の隙間に入り込む感覚。先頭辺りに居たはずの君の足跡を探して歩く。ぱらぱら散っては地面に吸収される。
ぱらぱらぱらぱら。
僕らの命のように蹴散らされて、なくなって、吸収されて、周囲の植物はそれで成長し、また凛と立って何事もなかった場所になる。そうなるまで、ここは、ここのまま、こうして、あるのだろう。
(此処がここであるだけで僕らは蝕まれていく)
水滴は、彼女の足跡をぬかるみにして消す。いた痕跡。最後の消息。天井なき箱庭に詰め込まれた先。彼女の最後。僕の知らない彼女のさいご、最期、
(隣に、すら、)
たまらなく愛しくて幾度も重ねた美しい背中など到底どこにも見えやしない。瞼の裏にさえ残すことは許されなかった僕はぬかるみに足跡を探して探してあるいは幻想して、歩く。今でさえも、真っ直ぐになんて。
あしあと
(いっそ僕もあの箱に入れて欲しかったのに)