話題:身近な死
その連絡は突然でした。
暗いので、悲しくなるので…追記へ書きますね(^_^;)
金曜日の朝。
いつもの朝。
7時前、携帯が鳴った。
母「(母の姉)伯母さんが危篤で、最悪の状態だから今日兵庫へ行くね。」
7時30分会社へ
上司らと班長(主任)へ連絡。急遽、午前中に急ぎの仕事を終わらせて早退。
ここまでの経緯の詳しい内容にすると…
金曜日の早朝に母から緊急連絡。以前のブログでも記しましたが、母の姉である私の伯母が危篤状態で今までよりも危ないとの連絡が。土曜日か月曜日は休む事にはなってたのですがそれどころでは無かったので急ぎの仕事を片付けて、伺書を書いて、兵庫県に住んでいた社員に頼んで現在地から兵庫県への行き方を書いて貰った。友人は空港行きのバスの時刻表データをくれました。
13時前には会社を出て準備。14時前にはバスセンターへ。
飛行機やバスに乗ってなんとか目的地へ。
到着は8時過ぎで病院も8時時までだったけど先に来ていた母が頼んでくれたらしく、5分間だけ面会ができた。
伯母には想像以上にいろいろなチューブが繋がっていて酸素は機械で送込んでる状況。血圧も下がる一方。泣きながら『また来るね』と言ったけど。
6月26日23時23分、帰らぬ人になった。
私が最後。最後に会ってから数時間後、息を引き取った。
伯母の娘である私の従兄弟らは「最後に会えて良かったな。きっと待ってたんよ」と言われて更に泣いた。泣いてたら「めそめそするのは好かん」と従兄弟に言われた。泣かしたのは誰や。
伯母ちゃん辛そうやった。でも本当に会えて良かった。来るまで一人で他県(しかも飛行機だったから)不安だったけど良かった。
最近は血圧も上がってきたとか連絡来てたから安心してたんだよ。
私には既に『ふた従兄弟(従兄弟の子供)』が数人いる。その一人が伯母の孫で現在4歳の男の子。名前は…けんや君。
けんや君は優しい子です。その優しさは私の胸をうちました。これは私が到着する前に既に聞いた話…けんや君が伯母に会って、部屋を出る前に言った一言
「また明日来るな、おやすみなさい」
この『おやすみなさい』って言えない。
私達、大人は『ほなまた明日』とか『また来るね』で終わる。
それと、息を引き取った後…。もともと、お母さんっ子のけんや君。でもこの時からしばらく伯父さん(伯母の夫)の側から離れませんでした。それは伯父さんが一番辛いと感じとっていたから。愛してる人がいなくなった悲しさや辛さが伝わってきたのかも。
すごく苦しかった。
私も歳をとったり、身近にいる人の死をこの先も見送るのかと考えてしまった。母も辛そうだった。だって姉妹だもん。私だって弟や妹が…なんて考えたらすごく辛い。
話をしたり、喜怒哀楽を見たり…。もう二度と会えないなんて想像できないし、できなかった。
泣いて泣いて…泣いてたら…伯母さんに怒られそうだな。
日付が変わってしまったけど、昨日の土曜日にはお別れ。今日の日曜日には鹿児島へ帰宅。予定では鹿児島便だったけど母親と同じく熊本便経由で帰宅。せっかくなので熊本で父と妹、弟と合流する事に。
今はなんとか落ち着いてるかな。母親と親戚ともいろいろ笑い話もしたから。
月曜日からも笑えると思う。…土曜日に仕事で何も問題が生じなかったかという事だけが気掛かり…orz。
今日は帰宅前にメイトでいろいろと購入もします。栄養源補給!!!
あ
あと、『けんや』君は『兼也』君…『謙也』じゃない!お、おしい!←
因みに…外見は坊主て『石田銀』(笑)
ではまた
(ノ ̄∀ ̄)ノ☆.。.:*・°