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志村けんさん

こんばんは。
年度始めではありますが、大好きな方が亡くなったので気持ちを整理するために書こうと思います。


コロナで志村けんさんが亡くなったという報せを職場で聞き、本当にショックでした。
すぐ病院から出てきて、また笑わせてくれると思ってました。

正直、今まで志村けんさんをそこまで好きだと思ったことはありません。
コントもすべてで笑うわけではありませんし、TVでやっていたら見るという感じでした。
だから志村けんさんの番組を必ず追うというわけではまっっっったくなかったです。

ただ報せを聞いてすぐにトイレに駆け込んで涙を堪え、帰りの車で泣きながら帰ったとき、生活の中にたくさん彼の影響があることを知りました。

実の姉妹のように育った従姉と、よくバカ殿を録画して観て笑ってました。
お互いに両親が共働きで、寂しさを紛らわせていたことをよく覚えています。
何度も何度も同じものを観ましたし、新しいバカ殿が放送される度に録画して。

父は元々志村けんさんが大好きだったので、私が幼い頃から志村けんネタがつきませんでした。
それは今でも続いています。
むすっとしていることが多かった妹は、ドリフの再放送の度に腹を抱えて笑っていました。

そして私が幼い頃、父がTVの志村けんさんを観て言った言葉をよく覚えています。

「この世で一番難しい仕事は、人を笑わせること」

幼いながら、納得したことを覚えています。
その言葉に影響されて変態兄妹を書いていたことも忘れません。
泣ける話はたくさんあるけど、笑える薄桜鬼の話ってあんまりないなって思ったので。
ここ数年は書きたいものを書いているので中々笑いまでいかないんですが……。

長い間、たくさんの人々を笑わせてきた志村けんさんには、たくさんの人々に惜まれ、見送られてあの世に旅立って欲しかった。
それが突然やってきたコロナに奪われ、家族ですら見送りができないような状態で旅立たせてしまったことが悔しくてなりません。
もっと盛大にお葬式やお別れの会をやって、本当にたくさんの人々に見送られるとばかり思っていました。

それが袋に入れられ、顔も見れず見送りもできず葬儀もできないなんて悲しすぎます。

先程まで志村さんの追悼スペシャルをやっていて、たくさん笑った反面、もういないんだという実感がわいてきて結局泣いてしまいました。
今もまだ涙はとまりません。

高校時代から突然の別れは何度も経験してきてしまっているので、「またね」がないことは重々知っています。
ただあまりに志村さんは突然すぎて、まだしばらく立ち直れそうにありません。
まだまだたくさん、人々を笑わせたかっただろうに。

私が生まれた時には既に志村さんは大きな影響力を持っており、当然のように存在していました。
そんな偉大な人がいなくなってしまったことに、大きな悲しみを感じています。
最期何を思ったのか、苦しまずに逝けたのかということばかり考えてしまいます。


日本を代表するコメディアン、志村けんと同じ時代を生きられたことはとても幸せなことでした。
たくさんの研究と努力を積み重ねた結果の素敵なコントをありがとうございました。
心から尊敬申し上げております。

できれば「おやすみなさい」という台詞は、あと20年後とかに言いたかったです。

本当にありがとうございました。
おやすみなさい。
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