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僕は、走っていた。
「早く行かなきゃだめなんじゃない」
そんな風に声をかけられて、行かないわけにもいかない。でも。
「…うん」
この国はおかしい、と思う。だけど今の方法以外、僕たちが生き残る方法なんてものはない、とも思う。
僕たちが暮らすA国では、義務教育を終える15歳の3月31日に子供はランク付けされる。スポーツが得意だったり、勉強が得意だったり、歌が上手かったり…。階級はSからDまでで評価される。僕と彼女はAランクに位置づけられていた。僕は学力で勝負することを決め首都の有名私立高校へ、彼女は3歳から続けている新体操を本格的に指導してもらうために地方の高校へ行く予定だった。しかし3日前に彼女が、政府が作成した育成プログラミングを体験していたときの不慮の事故によって右足を負傷してしまった。彼女が新体操選手を目指すためには五体満足でいることは必須である。しかし彼女の右足は少なくとも3月31日までには治らない。それはランク評価では、Dランクに相当する。
A国では10数年前から人口が爆発的に増加した。原因は技術革新、政府の少子化対策、育児に対する奨励。今では人口が増えすぎてしまった。それに対する国の対策は“弱肉強食”だった。Dランクという評価をされた子供はCランク以上の人間の食糧となる。工場に収容され、機械によってミンチにされ、加工され、食べやすいように味付けされる。
今日は僕が上京する日だ。部屋も契約済だし、あとは僕が行けば新しい生活が始まる。それは彼女が居ない世界での生活の始まりを意味する。
今日は彼女が工場に収容される日でもある。彼女は今ごろ病院で政府の人間が来るのを待っているのだろう。
僕は、走っていた。あと15分後に出発する電車に乗らなければ新幹線には乗れない。だけど、僕が行くべき場所は違う。
僕は、走っていた。僕が行くべき場所へ、間に合うために。
ああ。思い浮かばない。
センスない。
今日15時間くらい寝た。就活は面白いほど放置しますた。てへ。
テレビでやってたブリジットジョーンズの日記見て、なんか自分見てるみたいで苦しくなった。
あの身体のダイナミック具合とか。
あんな巨乳じゃないけども。
お腹の出具合とか。あたしか。っつって。
今日ES書かなきゃもう書く時間ないのに。
あーあ。
明日バイトだけど早起きして書こうー
一日ぐらいオフは必要だよね。ってことにしてください。
今日はゆっくりお風呂入ってぐっすり眠ろう。(15時間も寝といて眠れるのかってゆう問題はおいといて)
もう3月だね。みんな元気?
あたしは元気でいるよ。
寒い冬にはマフラーよりも
「寒いね」と言い合えるあなたが居れば良かった
(寒いね…/aiko)
youtubeでaikoがうたってる「今度きみにあったら」があるんだけど。
めっちゃ好き。癒。
あ、パソコンからなので長くなってもあしからず。
許してちょ。
今日は目覚まし無視し続けて12時過ぎに起きて
布団めっちゃ勢いよく干して
昼ごはんテキトーにすませて
ボーっとして(就活まだやりたくないな的な)
じゃあクッキー焼くかってなって
16時ぐらいまで没頭して
やることなくなったから就活しつつパソコンの前でgdgdしてるわけですね。
腐っとる\(^o^)/
でもいいんだ。楽しいから。aiko。
で、たまには発想の転換でもして、
真面目なことでも書いてやろうかと思って、色々考えてたんだけどね。
あたしの脳みそも限界あるからさ笑
私は答えの出ない疑問を巡らせることが好きです。
しかし哲学や心理学などの知識は無に近いので、自分が今まで感じたことをただ、考えます。
私は、この世にないものを考えます。
今、日本のみならず世界はたくさんのものであふれかえっています。
時が経つに連れ、歴史も膨大な量になり受験生は大変だろうな、だとか携帯電話はどこまで進化し続けるのだろう、だとかテレビは、次はどんな流行りが訪れるのだろうか、だとか。
宇宙に行ったらなにしようかな、どこ住もうかな、だとか。
とにかく、他人からしたらどうでも良いことだとか、ちっぽけなことを考えます。
私はこの世にないものを考えます。
「無色」とはどんな色なのだろう、と。
もしかしたら、「無色」という存在は世の中に生きている限り、出会えないのではないだろうかと思います。
手をかざして指差せば、「ここが無色だよ」という風に成りかねないけれど。私のなかには、そこには色が存在するわけです。それは「透明」という色なのです。透けてみえる色。屁理屈だ、なんて言われてしまえば話はここで終ってしまうので、もう少しだけお付き合いくださるのならば、
では無色はどこへ行けば見ることが出来るのだろうか?
私はその答えは、2つあると思います。
ひとつは、宇宙の果ての果てのホワイトホールにでも入ってしまって、いっそ死んでしまえば見えるのではないかと思います。
(ここでも、行ったことのない「ブラックホール」だの「ホワイトホール」だと言った場所にどうして自分たちの創造の色を当てはめるのか?といった疑問がでますが、それはひとまず置いといて)
死の世界には、人間の想像がつかないような場所なのではないかと思うからです。
それはきっと、母親の母胎に居る時と同じような、何かあたたかいものに包まれて、光の見えない場所なのではないかと思います。
目を開けているのか、瞑っているのかすら分からないような、そんな「色」の世界。そこにはもしかしたら、「無色」が存在するのかもしれません。
だけど、私たちは生まれてしまったのですから、二度と同じ場所には戻れません。それは、創造するしかないのです。
そう、創造することで色が見えてくるのです。
ふたつめは、私たちの頭のなかに「無色」たる色が存在するのではないのかと思います。
私たち人間は今まで命のリレーをつなぐとともに、様々なものを創造し、カタチにしてきました。
便利なものや、要らないものまで、それはそれは様々なものを。
創造すれば、私たちはカタチにすることが出来るのです。
聖徳太子は、青い広い空を見て、その果てに行くことが出来ると考えたでしょうか。
織田信長は、自分の子孫が何か得体の知れないナイフのような光る物体を脚にはめて、氷の上をくるくる回ることを、考えられたでしょうか。
その答えはNOではないでしょうか。
しかし私たちには考える脳があります。
実現することが出来る現実があります。
創造することは無限です。誰にも邪魔されることはない。
私たち人間にも、いつか絶滅する日が訪れるのでしょうか。
それはきっと、誰もが創造することを止めた時なのではないのでしょうか。
私たち人間は、生きるために創造を止めないのではないでしょうか。
私たちは、創造することで強くなれる。
そんなふうに思います。
私は、この世にないものを考えます。
私は、生きるために考え続けます。