『手紙』作:山田文公社
拝啓
桜が咲くのが待ち遠しい季節になりました。
かわりにとばかりに梅の枝をたぐり寄せて、甘酸っぱい香りを楽しんでいるところです。
先日のお見舞いありがとう、その後お変わりありませんか。
病室で天井を見ていると、ふと君の顔が思い浮かんだので、こうして筆をとった次第です。
これが君に届き、君が見ていると言うことは、もう恐らく僕はこの世には居ないのでしょう。
この手紙は僕にとって君へ当てる遺書のようなものです。
親しい君だけには僕がこの世から去った事を知って貰いたく手紙をしたためました。
当然、君はいい顔はしないでしょうが、僕にとっては最後の我が儘のようなものですから、笑って許してください。
2月25日
園田 修 様
北村 稲治 より
先日、突然友より手紙が届いた。初等部からずっとつきあいのある友からの手紙だった。筆無精の友がこうして手紙をよこす事など、ほとんど無かった。年始の挨拶代わりの年賀状ですらよこさないというのに、手紙が届いた。
私は手紙を読みながら、もう居なくなった友と過ごした時間を思い出し、唇を強く噛み泣いた。
最後に見舞いに行った時も強がってはいたが、恐らく痛みに耐えていたのだろう。そう言った弱みは見せない男だったから、私も早々に見舞いを置いて帰ったのだ。
北村の父が麻酔中毒でなければ、北村は痛み止めを打ったのだろうか、内臓を蝕まれる痛みは気を失うほどだと言う。だが北村は最後まで医者に痛み止めを使わせ無かった。耐えて耐えて、そして耐えきれなくなり、自らの死を選んだ。
最後まで気丈な男だった。昔から変わらずに気丈な男だった。
初めて北村と出会ったのは冬の夕暮れ時の雨が降りしきるなか、私が傘を差して公園の前を通り過ぎようとすると、降りしきる雨のなか、体を震わせて立っている少年が居た。背丈は私より二回りほど小さかったが、小刻みに震えながらも気丈に立つ姿は、なぜか大きく見えた。
「大丈夫?」
私が恐る恐る話かけると、北村は唇を噛みしめたまま強く二回頷いた。だが震える姿と紫に染まった唇を見て私は彼に傘を手渡して走って帰ったのだ。
恐らく放っておけば死んでいたかもしれない。そんな恐怖が北村に傘を押しつけて帰った理由かもしれない。
後日、北村が初等部で隣の学級だと知った。私は見つけて北村に何度か話かけたがほとんど、まったく相手にされなかった。しかし放課後人目を忍ぶように、律儀に傘を干してから返しに来たのだ。
「ありがとう」
北村は短く私にそう言って帰った。私はそんなぶっきらぼうな北村の態度に不満を感じたのだが、やがて北村が親の事でいじめを受けている事を知った。いわく『貧乏が感染する』当時、結核が流行っていた事もあり、それにかけた内容だった。かく言う私も少し北村と話しただけで、誰が見ていたのか知らないが、酷い言われを受けた。そこで初めて北村の行動が理解できた。
北村はこういうふうになることを知っていたから、ぶっきらぼうな態度だったのだ。
「良かったら一緒にお昼食べよう」
そう話しかけたのは私からだった。北村は口をつぐんでいたが、やがて重たい口を開いた。
「僕といると、君にも迷惑がかかるよ」
そう言い立ち上がり移動しようとするのを見て、私は「構わないよ」と言った。いろいろと北村は考えながら渋々と承知してくれた。
それからいろいろ北村と話すようになった。話してみると北村が博識であると知った。休日や暇が在れば図書館で過ごしている内に自然とそうなったと北村は語った。仲良くなり学年が上がったある日の事、北村と駄菓子屋から帰る道に中年の男性に襲われた。私も北村も殴られて、私は持っている金を奪われた。初めて殴られた恐怖で泣いている私とは対照的に北村は黙って唇を噛んで耐えていた。
私が泣きやむと、北村は深く頭を下げて言った。
「園田、金はいつか働いて僕が返す、僕の親父が迷惑かけてごめん」
やがて北村の父親が麻酔中毒者だと聞かされ、時折殴られた痣が父親の暴力によるものだと知った。北村の母親は早くに亡くなって、北村は父親と2人暮らしだそうだ。生活費は国からでる恩賞と生活保護費用で賄っていて、足りない分は北村が町に出て働いた分で補っていると知った。
同じ年なのに北村と僕は住む世界がまるで違っていた。中等部に上がる頃に北村の姿は見えなくなった。父親の酒と薬の量が増えて、学校に行っている場合ではなくなったのだと、ある日夕暮れの川の土手で聞かされた。
「人ってどうやったら殺せるかな?」
ぞっとするような質問を聞かされたのは大学に上がった頃だった。
「物騒な話だな、一体誰を殺すんだ?」
北村は黙っていた。だがそんな事は聞かなくても私にも分かっていた。北村の父親がいよいよ幻覚で奇行が酷くなっているのは近所でも周知の事だった。
それからしばらくしてから、北村の父親が失踪した。
いまでも私は北村が殺したかもしれないと言う疑惑がある。だが、それを聞く権利は私には無かった。
それからお互いに就職して、時折酒を交えながらいろいろと話をした。立場が違っても北村とはいろいろと話ができた。今の家内と婚礼をあげた時もいろいろと奔走してくれた。
「祝儀が出せない分は体で払うよ」
そう言い北村は笑っていた。
子供が生まれた時には、手縫いの前掛けを貰った。
「せめてものお祝いだ」
北村は申し訳なさそうに言った。
北村の顔色が悪い事に気づいたのは子供が就職した頃だった。
「おい、大丈夫か? 顔色悪いぞ」
私がそう言うと、苦笑いしながら体の事を話始めた。
「医者が言うには内臓に悪性の腫瘍が出来ているらしい」
私はそれ以上なにも聞けなくなった。
それから間もなく北村は入院した。貧しい分しっかりと貯金はしていたんだと、北村が自慢げに語っていた。だが時折呻き声を上げて苦しむ。
「すまない、ときどき酷く痛むんだ」
北村は申し訳なそうに私に言った。
「痛み止め……」
そこまで言い私は北村の父親を思い出した。片腕を失った時に痛みに耐えかねて使った痛み止めで中毒になった。北村がなぜ痛みに耐えているのかを知り、もう何も言えなくなった。
見舞いに行くたびに痩せ細っていく姿を見るのが辛かった。それは北村も同じで、鏡を見て自分じゃない人が写っていて驚いたと笑っていた。
最後に見舞いに行った時はほぼ、うなされていた。痛みに耐えながら麻酔を拒否し続ける理由を知らない医者は首を傾げていた。そんな中この手紙が届いた。
後日病院の屋上から飛び降りて死んだと病院へ行き知った。間違いだと思いたかった。やはり気が変わったとベットに横たわり言って欲しかった。見舞いの花は、弔いの花になった。
誰かが手向けた花がある場所は、北村が飛び降りた場所だった。私はそこに花と手紙を置いて手を合わせた。
目を閉じてただひとつを願う。願わくばただ安らぎある最後だったと……私は小さく呟いた。
「ゆっくり休め」
静かな時が流れ、どこからか梅の香りが漂ってきた。
「ゆっくり休め」
こみ上げるものを噛みしめて、ただその一言だけ気丈にこの世を去った友人へ手向けた。