尾骨や仙骨の外側は、皮膚をとおして自分の手で触ることができるけれども、内側は体内にあるから触れない。だが、直覚することはできる。

これ、ここは丹田球の一部分ともいえるし、肉体内の中心軸の最下部ともいえる。ここがチカラのセン、エン、テンとして有るのか無いのかで、身心はだいぶ違うものになる。武道にたとえるなら白帯黒帯みたいなもんだ。ここの有る無しが、フワフワスピリチャルやフィジカルだけの体幹メソッドと強健術や真体功との違いだ。ここが無いなら座禅を組んでも「無念無想」を「念ずる」ことになるであろう。ゴクローサン。


人に指圧などするうえでも、白帯身体と黒帯身体では出力の質が違う。白帯身体でおこなう指圧や整体はただの肉体労働であるが、黒帯身体なら「整体している自己が相手をも整体する」のである。武道的にも、黒帯身体であってはじめてほんとうの意味で急所を突くということができる、まったく力を込めることなく。


黒帯身体は楽である。自己整体作用などは自然と起こるし、そんな身体を維持管理成長させるためにトレーニングなどする必要がない。「生」と「トレーニング」にはなんの分け隔ても無くなるからです。あくびをするのと真体功をするのに優劣も区別もありません。


たんに整体療法では、相手の白帯身体を黒帯身体にシフトチェンジさせることまではできない。だけど、「パーソナル整体トレーニング」とか銘打って、今までとは質の違う整体というか、ボディワーク通信というか、なんかそんなことできないかな。