生と死1
10/10/26 14:43
人が生きる事、人が死ぬ事。
それはあっけないものであり、重大なものである。
今回から数回に渡って、人生の中の喜劇を考えていこうと思う。
たまにはこういう哲学的な笑いも有りかもしれない。
尚、記事中からスケッチが生まれる場合もあるので、それは後日「モザイクスケッチ」にて執筆します。
まずは、「誕生」から。
人間は必ず母親から産まれてくる。
男から産まれるのは映画の話だけだ。
産まれた子供は直後に保育器に入れられ、そして母親に返される。
ちなみに、俺は末っ子なので保育器に赤ちゃんが入ってる所を見た事は無い。
両親ももう無理だし…
そして、初めて我が家に帰ってきた赤ちゃんは何を考えるのだろうか?
「ただいま」?
「ここどこ」?
「何あの毛むくじゃら」?
そんな事は赤ちゃんであった我々はもう思い出せない遠い過去の記憶だが、何かしら思ったのかもしれない。
その毛むくじゃらが犬だとわかった事も。
そして、月日が経つごとに言葉を覚え、足で歩くようになり、離乳食を食べるようになる頃には呼ばれ方は「幼児」となる。
幼児になって一番最大の出来事は保育園・幼稚園となる。
初めての共同生活で慣れないコミュニケーションに最初はみんな人見知りをする。
中には初めから馴れ馴れしい子供もいるが、そういう子供の両親はだいたい頭が弱い。
遺伝子とは恐いものである。
ちなみに、俺は保育施設の頃に、仲が良かった奴に頭を殴打されて出血多量で病院に搬送された。
未だに傷も残ってる。
保育園・幼稚園では色んな行事やイベントを経験する。
神社に遠足に行って鈴が落ちてくるまで奇声を上げて揺らし、老後施設に行って心無くお歌を唄ったり、学芸会では大量の桃太郎を演じ、運動会ではかけっこで全員バラバラに走り出したり、プールでなぜかみんな水着を脱いで全裸で走り回ってたり、卒園アルバム用の集合写真撮影で俺だけ帽子忘れて浮いてたりとその他にも色々経験する。
ちなみに、俺の卒園式の日は唇が荒れててQ太郎みたいになっていた。
写真があるから間違いない。
そして、いよいよ「義務教育」となる。
まずは小学校。
一年生では新たな友達と「一年生になったら」を何の疑問も持たずに歌い、初めて漢字や算数を習ったりと慣れない勉強に四苦八苦しながら過ごしていく。
そして、やたらお漏らしするやつがいる。
二年生では算数にかけ算・わり算が加わり、知能の限界を察しつつ、記憶力を鍛る。
ちなみに、この頃の学校外の生活はだいたいみんな後でトラウマを抱える事を起こす。
その他にも無謀な遊びや火遊びにお医者さんごっこなど、テレビゲームやネットなども色々経験していく。
三・四年生になるとだいたいは落ち着き、理性が強く働き始まるようになる。
ちなみに、俺はこの頃までものすごくやんちゃしていた。
覚えてる限りでは、自分でもドン引きする。
もうアレはやらない。絶対に…
五・六年生では低学年から邪魔扱いされたり慕われたりと人望による差が開けてくる。
やんちゃも暴力的になるのもこの頃から。
ちなみに、小学校を卒業するまでに初体験を経験する確立は5%。
次回に続きます。
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