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久々の高熱


こんばんは、高熱でダウン中の夢路です。さきほど熱を測ったら39度でした(ヾ(。・ω・)ノ
でも気分は割と元気なので、みんなに心配されません←

朝、父がずっと風邪気味だったのでその病院の予約に6:30から行って、帰ってきて8:00ぐらいにやっぱり眠たくて寝たのね。
んで起きたら頭痛はやばいし、身体もだるいし……で、熱を測ったら微熱程度でなんだよーってなってたんだけど
だるくてだるくて仕方なかったので昼からまた寝たら夕方6:30まで寝ちゃってたというwwww

それから起きて熱はかったら38度もあったからね。昼間に父と病院行けばよかったよ、ほんと。

明日は仕事です。でも明後日休みなので、明後日は病院行こうと思います。


ちなみに父はインフルでした(-ω-;)
私がうつってなきゃいいんだけど。

んー、解熱剤を飲んだけど冷えピタ貼ったほうがいいのかな。でもものすごく寒いんだよ。
でも明日のためにもはっておこう。


ではおやすみなさーい(つω-`)

新しい季節



そうだ。もうひとつ、書いておきたいことがありました。
連続でごめんなさい。



最近、母の精神的なものが再発してきました。


母は過剰に心配性になったり、周りの音に敏感になったり、
そんなことがたまにあります。
ここのところは割と落ち着いていたのですが、最近になって再発し始めてきたんじゃないかな?

出かけるときにガス、電気、戸締りはきちんと確認しないと気がすまないし
もともと眠りの浅い人だったけれど、自分が寝ている間に火事などは起きないかとか
いろいろと気になって寝られず3〜4時間しか寝られない。


そしてそういう時は
家族でテレビを見ているときに私や姉が一言でも話すと
「うるさいから黙れ」と怒られる回数が多い。

もうね、本当に一言だから。
「そういえば」という言葉の「そう」までも言わせてもらえないから。
あとはテレビだけでなくてもなにか母が作業している時にも
一言でも喋ったら怒られる。


でも本人もそれは自覚しているようです。
私が「お母さん、最近心配ごと増えた?」ってきいたら
「やっぱり?お父さんにも言われたんだ」って言ってました。

なんだか最近はいろいろと忙しいからかな?


でも前よりはなんとなくわかるから、
喧嘩をすることもなくなった。
前はこういうの続くとそれが精神的なものだとは知らなかったし
受け入れる心は持っていなかったので喧嘩になってましたww


母も前とは少し変わったような気がする。



なんか、今思ったけど
お互いに少しは変われたのかもしれないですね。



なんだか恥ずかしいような、心地いいようなww



もう眠気が半端ないので寝ます。
おやすみなさい。

しぬこと

早いものでもう3月。
私も就職してから2年目が終えようとしています。
本当に早いですね。

というわけでお久しぶりです、夢路です。


最近は暖かくなってきて過ごしやすい日がつづいていたのですがどういうわけか、
今日はまた冬に戻った寒さでしたね。

でも

今日の雨はずっと見つめていたい雨でした。

昼休みにご飯たべて、外で傘をさしてぼーっとしてました。
今日は人が少ないので見つかることもなく、
あっという間に昼休みが終わった←


あとは最近本当に「生」と「死」についてばかり考えていました。

この前、ワタリの友人のお父さんがなくなりました。
つい先日、ワタリのおじいちゃんがなくなりました。
そして数日前、父と母の友人がなくなりました。


父の友人はまだ定年退職をして1年もしないうちに。
その訃報を聞いたとき、父は静かに涙をこぼしました。

私は小さい頃しか会ってないから顔はわからないけれど
そのおじさんが優しかったこと、父と笑い合っていたこと、
そして大きな背中は、いまでもしっかりと覚えています。

「ずーっと一緒だったもんね。お母さんがヤキモチやくぐらいに」

母がそう言ってました。
明日葬儀があるそうです。
2人でお別れを言ってくるそうです。


-------------

死にたくない。
死んで欲しくない。
死なないで欲しい。

この間考えていて気がついたのは
なぜ私たちは「死ぬこと」を否定してしまうのだろう。
と、いうこと。

それが「命」と「意思」をもったものの「本能」だから?
その先になにも「みえない」から?


私はわからない。
死んだあと、どうなるんだろう。
どこかへ行くのだろうか。
それとも私はそこでずっと時が止まってしまうのだろうか。


友達の友達のお父さんも。
友達のおじいちゃんも。
父の友人も。

--------------

みんな、「器」と呼ばれる体は「うごかない」から
すべて燃やされて灰になってしまうんだ。
うごかないから、死んだ?
うごかないと死んでしまう。

自分の体をとめれば、自分は死ねる。

そう考えると、結構単純に思えてきたかも。


とか思ったけど、それは死ぬためにどうすればいいのか、ということで
みんなわかっていること。
知りたいのは「なぜ死ぬのか」。
死ぬ「意味」がわからない。



その対であるなぜ「生きるのか」ということもね。





あー、でも。
さっきの私の「体をとめれば死ぬ」という考えには少し考えるとこがあるな。
自分で言うのもなんだけど。

「体を動かすため」の延命治療なんていくらでもできるものね。
例えば、機械に繋がれて動いているけれど「意思のない」もののことは
「生きている」というのだろうか。


これは人それぞれだよね。


今は亡き祖父がそうなっていたんだけれど、
その時、私はどう思っていたんだろう。

呼吸はしている。でも。
私たちのことは、祖父にはみえていたのだろうか。
声は聞こえていたのだろうか。
祖父に「意思」はあったのだろうか。





…私たちは、「自然のままに。次に危なくなったらもう、延命治療は続けなくていい」という選択をした。
きっとそれって「自然のままに」とか言うけれど
死んでしまったその時、うごいていた祖父自身が「とめる」という選択をしたんじゃないのかな。
それって「意思」があるということだよね。


祖父だけではなく、きっと多くの死んでしまったものは死の間際、「死ぬ」ということを「選択」するのかもしれない。
それならば、きっと、選択をした「意思」はあるわけで、最後の最後まで「生きている」んだなあ。








あーーー、だめだ。めちゃくちゃになってきた。
久々の更新だというのに、乱文でごめんなさい。
自分でもきっとわけがわからないと思います。

最近、考えを書き留めていなかったので長文になりました。

とりあえず、私は元気に過ごしています。
もう知恵熱を出す前に寝ます←


久々にこんなに考え事したな。

more..!
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