美容院

自分の好みを理解してくれて、且つ、周囲ウケも良くしてくれる(というか私の担当さん曰く自分好みにしてる)美容師さんにやっと出会えました。
今の美容院に通い始めて、担当さんに出会って、1年になります。

本当に毎回ドストライクな髪色とカットをしてくれるので、感極まって「私◯◯さんに出会えて本当によかったです」をちゃんと言えました。告りましたね〜。



私は美容院に軽いトラウマがありまして。
過敏な思春期に髪をバッサリいかれて毎日泣いた事とか。しかもその髪型から、パパにオイルショックってあだ名で呼ばれてて、更に自分を嫌いになりました。パパのバカー!(笑) 何でオイルショックかと言うと、当時のおばさま達の髪型を検索してみてください(笑)
高校卒業して、初めてブリーチ入れてハイカラーに挑戦した時は、当時流行ってた原宿系ゆめかわパープルをお願いしたのに、終わった頃には鏡の前にヴィジュアル系バンドのロン毛紫頭が居て。←これはディスってるんじゃなくて、マジで私に似合わなさすぎるだけです。
今文字にすると笑えますけど、10代のオンナノコしてた私にとっちゃ充分トラウマになり得る素材です。

これには私の、自己肯定感の低い性格にも問題があって。自分の見た目に自信がないからこそ、自分を印象付ける役割の大きい髪型というものはとても重要なのです。その髪型が全てのモチベーションに繋がったりもしちゃう。
自分に◯◯は似合わないって頑固に思い続けたり、1人の友達や男性に言われた事を信じ続けるのも、私の性格のヨクナイところです。
例えば、私は自分が明るい髪色は似合わないと頑固に思ってたから今まで暗いトーンでお願いしてきたし、1人の友達に短い前髪は似合わないと言われ、元カレに前髪は長い方がいいと言われ、それを忠実に守ってきた事がありました。

そんなこんなで、美容院に行った時は必ず自分がしたい髪色髪型の写真を美容師さんに見せるのです。
たまに美容師さんが、〜した方がいいと思う。とプロとして提案してきても、信じられずにやんわり断ってきました。
おまけに、これは100パー自分のせいなのですが、新しい髪型を気に入る事は少なくて、1年前までは美容院を転々としてました。


でも、今回は例の担当さんに初めておまかせしました。1年通って、初めてのことです。なんだか上から目線な言い方かもしれないけど…私にとってそれは、信頼の証です。

部屋で撮った写真だから分かり辛いけど、太陽に当たるとくすみピンクに光ってくれるのです。かわいい〜。
春はもう終わりそうだけど、私の頭はお花みたい!


今の担当さんは、私の見た目に対する思い込みや、軽い一言で私の中に植え付けられたネガティブな意見を、全部ぶっ飛ばしてくれました。
「ほんとうに素敵です」「あもこさんに絶対似合うと思ってました」と、心からの言葉だと信じられる表情で言ってのけるのです…。すきー!



そして、数ヶ月前からヘアケアを、担当さんが選んでくれたミルボンのAujuaシリーズにしてから…もう髪の毛が生まれ変わったように扱い易くなったし、見た目もよくなった!
私の髪の毛は人の数倍細くて柔らかいそうで、所謂猫っ毛というやつ。こう言うと可愛らしいけど…実際はめちゃくちゃ扱いが大変なのです…。見た目がパサついて見えるし、汗をかくとうねるし、広がるし、自分でアイロンしてもまとまってはくれないし、で全然カワイクない髪だったのです。
でも、ヘアケアーを変えてからは本当によくなったと思います。勿論お金はかかるけど、この感動には変えられません。



美容院に行った帰り、エレベーターの鏡で見る自分がすきです。自信をもって、街を歩けるのがすきです。
髪色髪型を変えただけで、無敵になった気分。女って楽しいな〜〜〜と思える瞬間。


こんな気持ちにさせてくれる美容師さんって素晴らしいお仕事だなあ。

私のこの嬉しい気持ちを伝えたくて、冒頭の告白に至るのです。



努力が実ったかもしれない話

働き初めて、2年生も終わりに近付いてきました。

新人の時はお仕事を覚えるのに必死でした。3年目の先輩が新人をマンツーマンで指導する制度だから、お仕事中や月1の反省会で自分の良かった点・改善した方がよい点を直接先輩に言ってもらえた。
1年生の時、ある先輩に「先輩の目が離れる2年生からが本番、その子の1年目で学んできた事・能力や努力の差が出る」って言われた事があって、私の中でその言葉の印象が強く残ってた。


そして、2年生になりたての去年4月5月くらいかな?私はお仕事でやらかしまくってたのです。
ちょうど初の緊急事態宣言が発令された頃で、アウトドアな私はプライベートも充実してないし…散々だった記憶が…。

そんな中で、上記先輩の言葉が頭にこびり付いてるわけです。


上司との面談で、「このままじゃ自分がいつか大きな事故を起こしそうでこわい。自分のする事全てに自信がない。この仕事に向いているか分からない。もっと自分らしく、楽しく働けるような、自分に合った仕事があるのではと毎日考える。」と半泣き状態で伝えました。
その時、上司は「約20年働いてきた俺でさえ、この仕事が自分に合ってるかは分からない。でも、俺から見るとあなたみたいな性格の方がこの仕事に合ってると思うよ。俺はこわくないヤツ・自信があるヤツの方が、いつか大きい事故起こすと思う。あなたが今やりたい仕事があるなら応援するけど、無いなら辞めさせる事はできない。」と言われました。
正直、そのまま辞めてしまいたかった程の私は、その上司の言葉をあんまり理解しないまま…言いくるめられたな〜辞めたかったな〜と思ってました。


就職の時に希望の部署を3ヶ所書かされたのですが、私の希望は1つも通らず、今の部署になりました。
初めは毎日泣いてました。希望が通ってる人も居るのに、なんで私は違うの?こんな仕事をやりたくて、学生時代に勉強したんじゃない!免許を取ったんじゃない!今後のキャリアに影響するから早く違う部署に行きたい!って、今の部署に不満しか無かったです。

だけど、この約2年間、泣きながらも私は勉強しました。
お仕事中は一生懸命働いた。自分の仕事をいい加減だとは絶対に思わない程には。
当たり前ですが仕事に慣れてきて、自分で考えて行動できる事や自分の仕事に対して感謝される事を楽しいしやり甲斐があると思えるようにもなりました。

でも、同期の中に1人だけ全くやる気のない人が居るんだけど。私がどう頑張ろうと、この人と同じ給料なんだよな。って、自分が一生懸命になるほどバカみたいに思う時もたくさんありました。


ある日、新人の子にお仕事の悩みを相談されました。
「私はここが希望の部署じゃない。こんな所に居たら時間の無駄だと思う、こんな仕事勉強にならない。」って。
私が1年生〜2年生の始めの頃の悩みと同じでした。
だけど、今の私がそれを聞くと内心カチンとくるくらいには、私は一生懸命働いたし勉強もしてきた。
それが、時間の無駄だとは思いたくなかった。



そして最近、上司と後期の面談がありました。
その時の私は、前期の絶望的〜〜〜ッ!な相談内容をあまり覚えてなくて、上司に聞かされた時笑っちゃいました。
スランプから抜けたって事ですね(笑)

私には学生時代からの仕事の夢があるので相談して、その為に3年目で職場を離れたい事もハッキリ言いました。
怒られるかな、また引き留められるのかな?とドキドキしてましたが、浅はかでした。
上司は「前向きになってくれて嬉しい。その夢はあなたにめちゃくちゃ合ってる!いい事聞けたー!!」と喜んでくれて、おまけに余裕があれば、次の就職先に関連する他部署への研修も考えてくれると…。

嬉しい反面、こんないい上司をはじめスタッフ…この上ない様な良い人間関係のこの部署をあと1年で離れる寂しさや勿体なさがあります。
上司にそう伝えると、「俺もここの人間関係は良いと思う。けど、そう思えるのはあなたの人柄よ。あなたは真面目やし、よく頑張ってるから、あなたを悪く言う人は1人も居ない。」と言われて…もう、なんていうか、ぶわわ〜〜〜って沸き上がるものがありました…。


上司の言葉で報われました。
私のやってきた事って、間違ってなかったんだって。
私のしてきた努力って、無駄じゃなかったんだって。



っていう、すんご〜〜〜く嬉しかった話!

更に、フィッシュ活動1位で賞金をいただいたのです!
私の今までの人生、1番ってあまりなかったから、嬉しいね。


今日もお仕事頑張ってきます。




2020年

2020年、コロナで大変な1年でした。こんなにあっという間に過ぎた1年は初めてです。

私にとって、2019年のスタートは最悪だったけど、最終的には楽しかった!濃かった!成長した!と思える1年で、これから先も記憶に残り続けると思う。
それに比べて2020年は…あんまり記憶に残る出来事がないな…。


私の、綴る価値も無い2020年ハイライト↓

1月:セ◯レに沼ってる
2月:友達と遊びまくって気を紛らす
3月:セ◯レ切る
4月:緊急事態宣言でここから男性と一切遊ばなくなる、家と仕事の往復、こもってドラマにハマる、病む
5月:太り始める、病む
6月:病む
7月:病む
8月:病む
9月:病む
10月:久しぶりの地元の集まり楽しかったけど、もちろん病む
11月:記憶ない、病む
12月:焦って、やっと行動はじめる


クソみたいなカレンダーを作り上げてしまったけど…良かったことも沢山ありました。


gotoトラベルを使って、家族みんなで旅行に行けたこと。

それに、同期のみんなとも旅行に行けたこと。
私みたいな面倒な性格の人間が、社会人になってから旅行に行けるような友達ができたってすごく大きな事。
前と比べると、頑固さが無くなったし、友達や相手に求める事が少なくなった。(今まで相手に求め過ぎて、勝手に1人で病んできたから)
友達との、ちょうどいい距離感が掴めたってことかな。

職場の先輩と話してて、無理せず楽しいと自然に思えるようになった。
人間関係が良すぎる!と思える職場に居る事。
信頼されてると感じるようになった。

なりより、職業柄この状況でもお仕事ができて、ご飯が食べられている事。
その当たり前に思ってた事が今では有り難く、幸せに感じます。



来年の豊富は、
美容と快適な暮らしにお金をかける、健康な生活を心がける、1日1日を大切にする、自分の心と身体を大切にする、自信をもつ、SNSに時間を割かない、です。

私の人生は何かと奇数が関係してて、奇数でツいてた出来事が何度もあります。だから!2021年は幸せ間違いなしです!今から楽しみ。


明日で私のブログは4周年!
いつも読んでくださってる方々、嬉しいコメントまでくださる優しい方々、みなさんいつも有難うございます。
みなさん、よいお年をお迎えくださいませ〜。





あの子の話

今でも思い出すと、少し悲しくなる友達のお話しをしたい。


私は小さい頃から人見知りが激しい子だったの。
だけど、小学生・中学生の頃は自然と周りに友達は居てくれてた。改めてほんとうにありがたい事ですよね。

高校に進学してからは1からの友達作りが始まりました。もちろん、嫌でたまりませんでした。
自分から話しかける勇気なんかないです。
入学式から数日経って、やばいぼっち確定かーと思い始めたそんな私に、新しい友達ができた瞬間を今でも鮮明に覚えてます。


身体測定の日、測定が終わった子から体育館に集まるっていう仕組みで、出席番号が早い子ほど体育館で暇を持て余すって感じでした。
私は早い方だったからぼっち体育座り待機でした。
だんだん人が集まってきて、ステージ前は所謂陽キャ女子の輪ができてました。

その中の1人の子が、まじで私の笑いのツボで、盗み聞き(キモい)してた私は1人で小さく笑ってたんです。
そしたら、陽キャのリーダーが「そんなとこで1人で笑ってないで、こっちにおいでよ?」って私に言ったんです。

なんか、うまく言えないけど、すごいですよね。
私なんかには絶対言えない台詞とコミュ力だし、その観察力に今でも感心しちゃいます。
私は嬉しくてたまらなくて、うん!!!!って返事をして、お尻を地面に着けたまま開脚でその輪に近付いて行ったの。(説明が難しいけど、とにかく可笑しな行動で)

私は興奮してるから無意識だったけど、それが皆にはすごいうけたみたいで、一気に打ち解けました。
グループは、私含め9人でした。


その中に、すっっっごく大好きだった友達がいたんです。
初めて、私からもっと仲良くなりたいと思った子でした。その子のお話しです。



当時、私はZipperとかKERAが好きな古着系だったんですけど、私の住む田舎ではギャルが主流で青文字系は少数派でした。
その子は、私の趣味とバッチリな唯一の子でした。

毎日、ファッションのことを話すのが楽しかった。少数派だからこそ、なんか2人で結束力みたいなのがあった。
友達になったばっかりなのに、きっと友達になることが運命で決まってたみたいな、前世で友達だったみたいな、そんな感じだった。

9人のグループに属してたけど、私たち2人は特別仲良しだった。もちろん皆すきだったけど、正直私にとっては、その子以外は上辺だけの関係だった。

何年も前だから美化してるのかもしれないけど、その子と居る時、女子特有の誰かの悪口とかそういうマイナスな話はしなかった。明るくて楽しくなるような話ばっかりしてた。
はじめて2人で、特急で片道2時間かけて都会へ繰り出して、だいすきな古着の店に行った時も、楽しかった。


よく私のこと、あもこは可愛いから、あもこはすごい、あもこは〜できるから羨ましいって褒めてくれてた。
私からしたら、その子がすごく羨ましかった。

ぶりっ子な私とは正反対の、その子のありのままのサバサバした明るい性格が好きだった。
その子は小学生の頃からずっと続けてるスポーツがあって、もちろん高校の頃も部活で忙しかったの。今考えると、習い事ピアノ・習字な私とは面白いくらいやっぱり正反対(笑)

さっぱりしてるようで、その中に女の子らしさもあって、男女ともに好かれる性格で人気だった。


そんな子を、私が独り占めしてて皆んなに申し訳ないなと思いつつ、とっても自慢の友達だった。ほんとうに大好きだったの。



私は文系の進学コースで、1〜2年はクラスのメンバーがほとんど変わらなくて、その子ともずっと一緒に過ごしてたの。
3年生になってからは、私のクラスに進路変更した子が追加みたいな感じになったの。

その時に追加になった子たちはたったの数人だったから、最終学年にしてかなりアウェーだったと思う。
その中に、だいすきな友達と同じ部活の子と、私の中学からの友達が居て。
私とだいすきな友達は、別々にその子らと居るようになった。

大人になった今なら、どんな人とでも仲良くなる努力をしてみるし、多少我慢すれば一緒に過ごせるけど。
女子高生だった私たちにそれは難しくて、4人で一緒に居ることはできなかった。お互いの友達同士が、仲良くなれそうになかったんです。



ケンカしたわけじゃないのに、私たちはだんだん離れて行って、最終的には同じクラスなのに全く話さなくなったの。


あんなに仲よかったのに、あんなに2人で沢山話して笑ってたのに。

あの時の私、なんで行動しなかったんだろう?
あの時の私にもっとコミュニケーション能力があれば、4人で仲良くできた?私たちの関係壊れなかった?



私には今、大切な友達が居て、とっても幸せ。
だけど、たまにその子の事思い出して、つらくなる。



SNSさえも繋がってない。
高校卒業して、どんな人生送って、今どこで何してるんだろう?


たぶん、本当に素敵な子だったから幸せに過ごしてるんだと思う。

会えるなら謝りたいし、この気持ちを伝えたい。
話せなくなった分、今までのこと全部話したい。

でも、その子にとって、私はもう忘れた存在だったら?別になんとも思ってなかったら?
それに、今のままじゃ会うのは恥ずかしい。私は自信持って、会えない。



私行動しなかったら、一生この事後悔するんだろうな。






いつもたくさん拍手ありがとうございます。嬉しいです。
追記はコメント返事です。
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自己肯定感

最近、お仕事でやらかしたり、うまくいかなかったり。それに、恋愛もしてなくて。
1人で居る事には慣れてきて、寂しいと思う事の方が少なくなった。気楽でいいとも思うようになったけど。

1人の時間が多いからか、自己肯定感は相変わらず低くなってました…。



私ナジャさん大好きなんだけどね、一般人の悩み聞く番組で、年齢と太ってる事を気にしてる女性に年齢とか関係ない、気にせんでええし、見た目のコンプレックスは武器やと思わな!それを好きな人は絶対におるって言ってて…。
ナジャさん、、、大好き、、、

ほんとうに元気出た言葉だから、残しておくし、私が女の子の子供ができた時は同じ事を言いたい。

生まれた時から見た目も性格も褒めて、自己肯定感高い子に育てて、クズになんか絶対に捕まらないようにしてあげたい。



あとね、
私がまだ一人暮らししたてほやほやの頃、都会の美容室に行った時の話。
今よりずっとコミュ障だった私は、美容室がほんとうに苦手でした。とくに男の美容師さんが。

男の美容師さんに肌めちゃくちゃ綺麗だねって褒められたんだけど、その頃の陰キャ丸出しワイは心の中で″はやくこの時間終われ〜〜〜っ接客でそんなん言わせるの申し訳ない…″と思いながら、そんな事ないです…って否定したの。
そしたらその美容師さんがいやいや、親に感謝しなさいよー?そのポテンシャル。努力もあるやろうけど、生まれ持ったもんよ?実家帰ったら、ちゃんとありがと言うんよ?って言われたんです!!!!!

なんか、初めての褒められ方で衝撃でした。
私は家族大好きだから、どんな褒め言葉よりも嬉しかった。
そうよね、私の見た目や性格を褒めてくれるって事は、家族も同時に褒められてるんだよね。嬉しい。
その褒め方、私もマネしようと思った。


こうやって綴ってると、どんどん昔の話を思い出して、だらだら長くなっちゃうんだけど。
上の話で思い出したの…私学生の頃のバイト先で、一時期正社員の姉と一緒に働いた事があったの。
その職場に居たちょっとこわいおばさんに、「あなた達姉妹はいい両親に育てられたんでしょうね」って褒められたの。
嬉しくて、家帰ってすぐママに報告した(笑)

そしたら、ママは笑いながら嬉しい〜〜〜って言って、泣いてた。
今でも思い出すよその場面( ; ; )



私、もっと自分に自信持たなきゃ!!!!

私の見た目で、私の性格なのは、この世にひとりなの。
同じ人なんか居ない。たった1人の自分を自分が愛してあげないと。
私が、この人素敵だなって相手の事を思うように、私の事を思ってくれる人は必ずいるんだからね。




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