*獄都夢主の忌瀬が現世に来ている話。
*あの日あの時から少しずつ進む時間。
*夢小説なのに誰とも絡みません(←爆)
【:†鬼女は現世にて春を請い願う†:】
(春よ。春よ。どうか、願わくは――)
とある港町に、冷たくも春の風が吹く。
カーキ色の制服の上に、モスグリーンのダッフルコートを羽織り、萌木色のマフラーを着けた忌瀬は、使い古された地図と小型カメラを片手に、現世を訪れていた。
使い古された地図の日付は、六年前と同じものだ。所々に走った文字が書き加えられ、赤いバツ印が付けられたそれは、現在は記入される見込みは無い。記入される役目を終えて尚、忌瀬の手の内に有るそれは、かつての記憶の名残を醸し出している。
「……六年、か」
ポツリと。忌瀬は淡々と言葉を紡ぐ。
声音と共に、白い吐息が風に消える。
現世の日ノ本は、昔から天災の絶えない土地だ。日ノ本が『日本』と呼ばれる様になってからも、それは昔から変わらない。
時代が変わっても。世紀を重ねてても。
人智を越える力に打ち勝つ術は無い。
しかし、天災に抗う術は持っている。
それが、せめてもの救いだろうか。
或いは、生きる故の宿命だろうか。
「…………」
僅かに目を細めて薄曇りの空を仰ぎ見ながら、忌瀬はあの日を思い出していた。
あの日。荒れたのは現世だけではない。
天界も冥界も現世の余波を直に受けた。
無論。地獄の首都『獄都』も。そこに住まう獄卒たちも。その例外では無かった。
連日現世から流れ着き、増え続ける魂。
行き場を失った土地神や道祖神の対応。
荒神の鎮魂や祈祷や封印やその他諸々。
上層部は現世との折り合いを徹底した。
割ける人手は割けるだけ割かれ続けた。
業務により眠れない日が幾日も続いた。
慌ただしく目まぐるしい日々が続いた。
業務が終わる頃。現世は凪の様だった。
人は住処を追われ。大切なものを失い。
『日本』は、痛ましく喪に伏していた。
「…………」
カサリと。拡げた地図が風になびく。
忌瀬が手にしている地図は、現世に派遣され、生者に紛れて復興作業を手伝った際のものである。現世の現状把握と、彷徨う魂の連行を兼ねた視察を目的としていたが、忌瀬個人の所用も含めた一環であった。
忌瀬が負った所用は『捜し物』だった。
現世から流れ着いた魂を鎮める為に、各々の魂と最も縁の有る代物――『遺品』を捜す為に、忌瀬は現世と獄都を往来した。
誰に頼まれた訳では無い。ただ、魂の抱えている未練を少しでも軽くし、次の世に早く廻れる様に働き掛けたかっただけだ。
輪廻の流れに滞りが生じてはならない。
地が荒れて、天まで荒れては敵わない。
だから、今回の現世への往来も。
それに準じる為の、行動である。
決して、憐憫や同情の類いでは無い。
そんな獄卒の他意など人には無用だ。
強い者たちに対して異形が哀れむなど。
そんなものは無礼以外の何物でも無い。
「――確か、この辺りだったよね」
忌瀬が訪れた港町。そこはかつて瓦礫の山だった。悲しみが積まれた場所だった。
今では、あの頃の瓦礫が撤去され、港に船が戻りつつある。人の有るべき営みが少しずつ、戻りつつある場所になっていた。
忌瀬は海を背にして、カメラのシャッターを切る。人の活気が戻りつつある港町の現状を切り取り、光景をカメラに収める。
今では大分回数の減った、捜し物。
とある審判待ちの魂の『遺品』は、『故郷』だった。生まれ育った大切な場所の『記憶』だった。その未練を軽くする為に、忌瀬はあの日から、この港町の写真を撮り続けている。気休めにしかならなくとも、忌瀬は撮って来た写真を魂に見せる。その度に、最初は嘆いていた魂が、今は何処か寂しそうに穏やかに微笑むようになった。
六年目の今日。写真は六枚目となる。
あの魂の進む道程は明るいだろうか。
現世の未練を断ち切るのは難しい。
それでも、道は閉ざされていない。
平和な水面に小石を投げる様に。
天災はいとも簡単に平穏を砕く。
現世はこんなにも、儚くて脆い。
けれど、この地で生きる魂は強い。
昔からそうだ。昔からそうだった。
強かに。勇敢に。前に進めるのだ。
「――早く、暖かな春が来れば良いな」
春が暗い悲しみの底に沈むのは残酷だ。
春は笑顔が一番似合う季節なのだから。
かつて。草木も生えないと呼ばれた場所に、桜が咲いた様な。そんな優しい春が。
早く、現世に暖かな春が来れば良い。
そう小さく呟くと、忌瀬は陽炎が揺れる様に、冷たい春風の中に姿を消した――。
(春よ。どうか、君の優しい訪れを願う)
◇
はい。皆様こんにちは。
早朝出勤から帰って来て物凄く眠たいのにドキュメンタリーを見てそれ処じゃなかった燈乃さんです(←見事に眠気が飛んだ)
もう、六年になって仕舞うのですね。
決して消えない傷痕を抱えながらも、各々の道を行く子どもたちや現地の方々の直向きさに、胸を打たれるしかありません。
今回の夢小説は、今日見たドキュメンタリーの内容を元に綴ってみました。デジカメを片手に、記録を撮り続ける子どもたち。震災から廃線になってしまった線路や、家族の写真を真剣に撮り収める姿の背景に、『当たり前の日常が当たり前じゃなくなって仕舞う恐怖』が、未だに色濃く残っているように見えました。
『記憶を形に残しておく』と言う『記録』の作業。決して忘れてはならない光景。誰かへの想い。大切な人の面影。輝いていた頃の思い出。それが胸の中に残っているから、生きるのが辛い。反面、それが有るから、大切なものを忘れずに前に進もうと、生きようと足を踏み出すことが出来る。
無言で流れて行く時間は優しくて、それ以上に手放しで残酷なものだから、人は思い出を『記録』し続けるのでしょうね。
六年目と言う節目の年となりましたが、改めてご冥福をお祈りさせて頂きます。
ではでは、今回はこの辺で。
*