静かな騎士の棟の廊下……
そこにたたずむのは、隻眼の騎士……シュタウフェンベルク。
彼は一人、窓から外を見つめていた。
その青い瞳は陰り、暗い色をともしている。
冷たい秋の夜風が吹いて、彼の短い黒髪を揺らした。
ふぅ、と小さく息を吐き出す。
ぼんやりとした表情で見上げる月は満月。
美しいその夜空をともに見上げる仲間も友人も恋人も家族も……いない。
正式にいえば、自分の仲間として戦い命を落としたベルトルトの双子の弟、つまり彼のもう一人の兄であるアレクサンダーは生きている。
そして、事件後に彼は弟であるシュタウフェンベルク……クラウスを迎えに来た。
しかし彼自身が、兄を拒んだのだ。
一緒にはいられない。
……居たくない。
自分は一人で大丈夫だから帰ってくれ、といったのである。
無論、それは本心ではなかった。
自分にかかわったあらゆる人を自分の所為でなくした。
そんな直後に一人きりでいるのはあまりにつらい。
理解者が一人残っているだけでも心強かった。
けれど……
それと同時に、不安なのだ。
自分と一緒にいることで、折角生き残ったもう一人の兄さえ、失ってしまうのではないか。
そう思うと、怖くて近づくことさえできないのだ。
でも、そんなことをいったところでアレクサンダーがあきらめるはずがない。
だから、一緒に居たくないと酷いことを言って、アレクサンダーを追い払ったのである。
一人でいれば誰かを傷つけることはない。
誰かと一緒にいたら、また失うかもしれない。
そんな極端な想いが、彼をさらに孤独にした。
どれほどつらくとも、苦しくとも彼は弱音を吐かなかった。
自分ひとりで生きて生けると、胸を張り続けていた。
そうしないと、死んでしまった愛しい人たちに申し訳がないと、そう思って……――
しかしそうしていても、やはり寂しいものは寂しく、辛いものは辛い。
そんなときはこうして一人で、月を見上げるのである。
―― 綺麗な月ですねぇ
そういってはしゃいでいた副官の顔を思い出す。
あれは、一年前だっただろうか。
"十五夜"の話を皇御国の文化に詳しいカナリスに聞いて、月見をした。
はしゃぐ副官と弟の隣で、カナリスが作ってくれたダンゴを食べた。
月は美しく変わらないのに、自分は一人きりになっている。
そんな対比が苦しくて、辛くて……寂しくて堪らなかった。
手を伸ばす。
広い広い星空に。
そうすれば、遠くに行ってしまった彼らに手が届く気がした。
しかし触れるのは冷たいガラスだけ。
その現実に打ちのめされて彼は静かに涙を零した。
「シュタウフェンベルク……?」
不意に後ろで聞こえた声にシュタウフェンベルクははっとする。
そうして振り向いた視線の先には、長い緑髪を背に揺らす魔術医がいた。
彼は、この城の中でシュタウフェンベルクに冷たい視線を向けない数少ない人間の一人である。
ディアロ城の騎士たちにも少なからず慕われていたヒトラーを殺めたシュタウフェンベルクを恨む騎士が多かったのだけれど、彼は変わらなかった。
むしろいつも心配そうに、彼の表情を見つめていたのである。
しかしなかなか声をかけてくることはなかった。
かける言葉が見つからなかったのと……後は、シュタウフェンベルク自身が、彼に声をかけられないようにしていたのである。
彼がかかわればきっと彼も変な目で見られる。
部隊長である彼が信頼を失うのは、痛手だろう。
そう思って、シュタウフェンベルクは緑髪の彼……ジェイドを守ろうとしたのである。
しかし今は夜中。
おきている騎士のほうが少ない。
そう思ってジェイドは声をかけてきたようだった。
窓辺に立ち尽くしているシュタウフェンベルクのほうへそっと歩み寄るジェイド。
そして彼はそっと、白衣を彼の肩にかけた。
「風邪を引きますよ」
そういいながら彼はそっとシュタウフェンベルクの頬に触れる。
普段冷たいジェイドの指先が温かく感じる程度には、シュタウフェンベルクの肌は冷たく冷えていた。
「……ありがとう」
小さく、礼を言う。
するとジェイドはふわりと穏やかに微笑んだ。
変わらない微笑。
やさしい手。
それがなんだか酷く心地よくて……――
つぅっと、頬に涙が伝った。
ジェイドはそれを見て驚いたように目を見開く。
驚いたのはシュタウフェンベルク自身もで、彼は慌ててその涙を拭おうとした。
こんな情けない姿を、彼に晒すわけにはいかない、と。
しかし涙は止まらない。
シュタウフェンベルクは躍起になってそれを拭おうとしたが……
ジェイドはそんな彼の手首をそっと掴んだ。
「……腫れてしまいますよ」
そういうジェイドは悲しげな表情をしていた。
痛々しいと、そう思っていたから。
シュタウフェンベルクの思想は、理解していた。
流石に人を殺したことを仕方ないということはできないが、だからといって彼がこんな扱いを受けるのは不当だと思っていた。
何とか力になってやりたい。
そう思って、彼はここに来たのだ。
ただただ涙を零すシュタウフェンベルク。
ジェイドは痛々しげに彼を見つめ、そのまま彼をなで続ける。
少しでも、ほんの少しでもいい。
彼の心の重荷が取れたら良い……そう思いながら。
***
暫し泣きじゃくっていたシュタウフェンベルクだったが、やがて彼は意識を失卯ように眠ってしまった。
ジェイドはそんな彼を抱き止めて、そっとベッドに運んでやる。
ぐったりとした彼。
ただでさえ華奢だった彼。
しかし今は窶れているというのが正解であろうくらいに痩せてしまっている。
それが彼の心労の大きさを物語っていた。
「……一人で耐える必要などないのですよ」
ジェイドはポツリ、そう呟く。
その声は、眠っているシュタウフェンベルクには届かない。
届いたところで、きっと彼は受け入れはしないのだろうけれど……――
眠るシュタウフェンベルクの表情は決して穏やかとは言えない。
苦しんでいるであろうことが見てとれた。
「……どうしてあげたらいいんでしょうね」
もうそれは、ジェイドにもわからない。
どんな言葉もきっと彼を癒すことはできないのだろう……
ジェイドはそう思いながら辛そうに顔を歪めていた。
自分にできること……
それは、きっと彼が早まったことをしないように見ていてやることくらい、だろう。
そう思いながら、ジェイドは小さく息を吐き出したのだった。
―― すべてはそう、守るために ――
(愛しいと思う人たちだから。
私のせいでそんな人たちを傷つけたくはないんだ)
(貴方のせいではないのに、一人苦しむ。
あぁ、僕はどうしたら貴方を助けてあげられるでしょう?)