ゴロゴロゴロ……と低い雷鳴が響く。
一度ペンを走らせていた手を止めた白髪の少年は顔をあげた。
窓の外を見れば、いつしか黒雲が空を覆っている。
その様子を見た彼……ヘルガは目を細めた。
どうやら一雨ありそうだ。
そう思いながら溜め息を吐き出す。
この時期は少々雨が多い。
突然の大雨も、こういった雷も。
「気が滅入るよな」
小さく呟いた彼はもう一度ペンを握り直して、書類にペンを走らせた。
少しずつ近くなってくる雷鳴を聞きながら。
どれくらいそうして仕事をしていた時だろう。
不意に、ピカッと光が部屋を明るくした。
その刹那ばちっと音がして、暗くなる。
「……停電したか」
彼は小さく呟く。
そして立ち上がると、魔術で指先に光を灯した。
そこでふと気づく。
ぐるり、と部屋を見渡したが、部屋には誰もいない。
「……リト、昼寝か」
そう呟くヘルガの声には、少し焦りが浮かんでいる。
灰青色の瞳も小さく揺れていた。
彼が探しに向かったのは友人であり仕事仲間であるリト。
彼はいつもこの時間、昼寝をしているのだ。
天気が良い時には外で寝ているが、こういった天気の時には仮眠室か何処かで寝ているはずだ。
別に、昼寝をしていることに関して突っ込む気はない。
彼の体質であるし、それを上官たちも容認している。
……問題は今こうして停電してしまったことだ。
そのままヘルガは部屋を出る。
そして仮眠室を目指した。
中から微かに気配を感じる。
小さな啜り泣きも。
此処に彼がいたことには幾らか安堵した。
もし見つからなかったらもっと焦ることになっただろう。
そう思いながらヘルガは部屋のドアを開ける。
「リト」
室内にいるはずの友人に声をかけ、魔術の明かりを部屋に向ける。
ベッドの上に小さな布の塊が座っていた。
「っ、……ヘルガ……」
掠れた返事が返ってきた。
布団をべりっと剥がしてやれば、そこには涙目の友人……リトがいて。
ヘルガはそんな彼の頭を撫でてやる。
びくっと小さく跳ねる肩。
あぁ雷が鳴り始めた時点で迎えに来てやれば良かったな、と思いながら、ヘルガは彼に声をかけた。
「大丈夫か?」
「うぅ……っ」
震えながら彼はヘルガにすがりつく。
小さな体はかたかたと震えていた。
昔仕事中に暗い部屋に閉じ込められ、殺されかけたことがあるリト。
あの事件以来、彼は暗闇が苦手なのだ。
例えそれがこうした事故で起きたものであっても……
「大丈夫だよ、リト。ただの停電だから……すぐに戻るよ」
ヘルガはリトを宥めるようにそう声をかけた。
二人は同い年なのだが、精神年齢がリトの方がかなり幼い。
こういった事態の時に慰めるのは大体ヘルガの仕事だった。
リトも、これがただの停電であることは理解しているらしい。
しかし頭で理解することと体が理解することとは話が別らしく、彼の体の震えは止まらない。
「うん……っ、でも、もう少し、傍にいて……」
リトはそういいながらヘルガにすがり付く。
ヘルガはこっくりと頷きながら、怯える友人の背を優しく撫でてやっていた。
***
なかなか、部屋の明かりがつかない。
ランプはあるし、それに明かりをつけてやれば良かったな、と思いながらヘルガは息を吐く。
今からランプを取りに行こうと思ったらリトを離さなければならない。
そうしたらきっと彼は怯えるだろう。
そうなるくらいならこうして抱いてやっていた方が幾分ましなはずだ。
ヘルガはそう思いながら、リトを抱き寄せてやる。
子供のように啜り泣く彼は、まだ落ち着かない様子だった。
普段いつも子供のように明るくはしゃいでいる彼。
任務の時には幾らかきりっとするものの、基本的には子供っぽいままだ。
そんな彼がこんなにも怯えているのは痛々しい。
早く明かりが復旧すれば良いのだけれど。
ヘルガがそう思いながら息を吐き出した、そのとき。
「あぁ、此処にいたんですね」
そう声をかけられて、ヘルガは顔をあげる。
部屋の入り口辺りは明るくなっていて、そこにはひとつの人影。
長めの紫髪を緩くひとつに束ねた同僚……ライシスはヘルガに抱きついて震えているリトの姿を見て目を細めた。
「あぁ、なるほど……この暗闇もダメでしたか」
「そうみたいだな。
とりあえず明かりが戻れば落ち着くはずだから」
どうやらライシスも姿が見えないヘルガとリトを探しに来たらしい。
不真面目で素行がかなり問題な彼ではあるが、仲間想いな一面も多少はある。
……玩具として、かもしれないけれど。
明るいランプをもったライシスはするりと部屋に入ってきて、大きくドアを開け放った。
そしてそのランプをリトとヘルガのいるベッドの上におく。
「大丈夫ですよリト、すぐに明かりも戻るでしょう」
そう慰めながら、ライシスは軽くリトの頭を撫でてやった。
ビックリしたように顔をあげたリトを見て、ライシスはくすくすと笑う。
「ふふふ、今は手を出したりしませんよ、怯えてるのを宥めながら、というのもなかなか面白いものではありますが」
「しょうもない冗談を言うなら帰れよ、ライシス」
ヘルガは呆れたように溜め息を吐き出しながら、ぽんぽんとリトの背を叩く。
リトは彼らのやり取りに幾らか元気が出たようで、くすりと小さく笑った。
「ありがと、ヘルガ……ライシスも」
そう言って微笑むリト。
どうやら幾らか落ち着いた様子の彼を見て、ヘルガもライシスも穏やかに微笑んだ。
と、不意に明かりがついた。
それを見てヘルガは顔をあげる。
「明かり、復旧したみたいだね」
「そうですねぇ……ま、リトはもう少し落ち着くまで此処にいたら良いのでは?
スファル様も事情はご存じでしょうし怒らないでしょう」
そう言ってライシスはひらりと手をふり、部屋を出ていこうとする。
ヘルガは”おいライシス”と彼を呼び止めた。
「?どうしました?」
「お前は、サボらず部屋へもどれよ」
彼がそういうとライシスは大きく目を見開いた。
それからくすっと笑って、言う。
「ふふふ……まぁ、それくらいは甘く見てくださいよ」
ライシスはそう言って唇に人差し指を当てて笑うと、猫のようにするりと部屋を出ていった。
そんな彼の様子を見て、ヘルガとリトは顔を見合わせる。
「全く……」
「ライシスらしいとは思うけどね」
そう言ってくすくすと笑い合う二人。
そんな彼らを復旧したばかりの部屋の明かりと、ライシスがおいていったランプとが照らしていた。
―― 優しい手、暖かい仲間 ――
(怖くて怖くて堪らない。
でも、こうして傍に友達が居てくれるだけで安心出来て…)
(いつも緩くて頼りない彼さえも、仲間を思いやるのだから。
こういった空間は、嫌いではないよ)