こぽこぽと、温かな紅茶がカップに注がれる。
気に入りのカップを満たす紅茶の水色と香りに、カルセは目を細める。
二人分用意したそれを手に、テーブルに戻る。
そこには既に、一つの影があった。
柔らかな青色の髪と、ライム色の瞳。
よく見知ったその顔は、あの頃よりも少しだけ年を取った風ではあるけれど……それでも纏う雰囲気は、変わっていない。
そう思いながらカルセはカップの一つを彼……スフェンの前に置いた。
「相変わらず、良い香りだな」
そう言いながらスフェンは笑う。
カルセは彼の向かいの椅子に腰かけながら穏やかに目を細めて、いった。
「先生が訪ねてこられるのは、随分と久しぶりですね」
そっと、紅茶に口をつける。
ふわりと漂うその香りに一つ息を吐き出す。
スフェンはかつての部隊長。
元はこの騎士団に所属しており、カルセにとっては上官にあたる人間だった。
そんな彼が騎士団を退団してからこうして城を訪ねてくるのは、久しぶりだった。
カルセの言葉にスフェンは苦笑を漏らす。
そして彼が淹れてくれた紅茶を一口飲んでから、いった。
「私も一応、診療所を持つ身だからなぁ。
長く街を離れる訳にはいかないさ」
道楽のようなものだからな、と彼は言う。
カルセはその発言に小さく噴き出した。
「道楽、って……」
彼のそうした冗談交じりの口調も、相変わらずだ。
そう思いながら、カルセは目を細めた。
そう、今彼は小さな診療所を開いている。
そこを訪ねてくる患者たちの治療をして過ごしているのだ。
騎士団を退団した後の進路は人それぞれだ。
医療部隊に所属していた人間のほとんどは医者として働くことが多いには多いが……城下町を離れて診療所を開く者は、あまりいなかったような気がする。
かくいうカルセも、今はフリーの医者として世界各地を転々としていて、彼のようにひとところにとどまりはしないのだから。
そんな彼がこうして城を訪ねてきた。
それは久しぶりで、カルセにとっても嬉しい驚きだった。
ちょうど、カルセ自身も城に居たものだから。
久しぶりにお会い出来た、とカルセがいうとスフェンは穏やかに目を細めた。
そして少し遠くを見るような顔をしながら、ポツリと呟く。
「お前とはまた違ったベクトルで、私も自由にしているからなぁ」
そう言いながら彼はもう一口、紅茶を口に含む。
そう言えば、仕事が立て込んでいた時に彼はよくこうして飲み物を用意してくれたっけ。
そう思いながら素電は一つ、息を吐き出す。
「まぁ、自由にし過ぎた結果が今の私だとも思うけれど」
ぽつり、と呟くように彼はいう。
それを聞いてカルセはゆっくりと瞬きをした後、静かな声で問いかけた。
「奥様の、ことですか?」
カルセの言葉にスフェンは頷く。
「あぁ。
……彼女には、申し訳ないことをしてしまったな」
少し懐かしむような口調で、彼は言った。
彼はかつて結婚していた。
年下の、おとなしい女性だったとカルセも記憶している。
彼の結婚式には、参列したものだから。
そんな彼らが別れたと話を聞いた時には少し驚いたが……その理由は、理解出来ないものではなかったから。
「誕生日も結婚記念日も患者が来ればそちらを優先する。
家に帰るのが週に一度になった時もあった」
そんな状態でずっと一緒に居られるはずがなかったよなぁ。
そう言いながら彼は一つ息を吐き出して、カルセが茶請けにと用意していたクッキーを一口齧った。
甘さが控えめのクッキーは、恐らく彼が焼いたものだろう。
スフェンはライムグリーンの瞳を細めながら、呟くように言った。
「私は元より、一人であるべき人間だったんだろう。
お前と違ってどうも器用な性質ではないからなあ」
苦笑まじりにそういうスフェン。
カルセはその言葉に緩く首を振って、いった。
「私も決して器用なわけではありませんよ、先生」
そう言いながら彼は穏やかに微笑む。
優雅に紅茶を啜りながら、彼は柔らかい口調で、少しおどけたように言った。
「自由にしていたいから先生のように決まった場所にはとどまらないのですよ。
城で騎士と交流したい、けれども医師として苦しむ誰かを救いたくもある、剣を捨てるつもりもない」
騎士たちとの繋がりを切りたくはない。
医者としての仕事も全うしたい。
剣の腕を活かしたい。
やりたいことが多すぎるのですよ。
そう言いながら彼は微笑む。
スフェンはそんなカルセの発言に思わず噴き出しながら、いった。
「はは、それだけのことをあれこれ出来るあたりが既に器用だっていってるんだよ」
そう言いながらスフェンはくすくすと笑って、カップをソーサーに置いた。
カルセもつられたように笑みを浮かべる。
「ふふ、確かにそうですねぇ。
まぁ、器用というよりは欲張りというだけのような気もしますけれど」
カルセはそういってそっと目を伏せた。
かつての部下。
今も、良き友人である彼の様子を見つめ、スフェンは一つ息を吐く。
そして頬杖をついて彼を見ながら、いった。
「カルセは大分、よく笑うようになったな」
その言葉は少し、予想外だったのだろう。
カルセは面食らったような顔をする。
ぱちぱちと瞬く藍色の瞳は、滅多に見られないものだった。
「え。そうですかね」
きょとんとした風に首を傾げる彼。
スフェンは何度も頷きながら、言った。
「少なくとも、私があの場所を離れる頃に比べたらな」
新しい恋人が出来たからか、などと無粋なことを聞きはしない。
けれどもきっと、それも理由の一つなのだろう。
スフェンはそう思いながら空っぽになったカップを見つめた。
薄く残った紅茶に、微かに揺れる自分の姿が映る。
―― 誰かと共にあるというのは、幸福なことだろうから。
そんなことを考えながらスフェンはそっと目を伏せた。
―― 懐かしいひととき ――
(昔を思い出すような、ひととき。
それは穏やかで、幸福なもの)
(器用で優しい、でも何所か不器用な部下。
彼が幸福に過ごせているようで、何よりだよ)