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Gへ

我が家に現れるのは止めてください



黒光りする平べったいボディ
異常に早い足

どれをとっても気持ち悪いです


貴方が飛べると知った時の衝撃ったらありませんでした。



本当すいません。
申し訳ないけどもう勘弁してもらえませんか?


本当お願いします…






●追伸●

前コントで
『Gは、頭がなくなっても9日間は生きられる。
しかも9日後の死因は餓死』
と言ってましたが、あれって本当ですか?

じいちゃんへ

今もあの世でお酒を呑んでいるのでしょうか?


毎晩一升瓶を抱えて呑んでいたそうですね
毎日ばあちゃんと喧嘩ばかりしていたらしいじゃん




もうちょっと周りのことを考えてくれても良かったのに。



じいちゃんの話を聞くと、お酒と太田胃散と乱暴だったという内容ばかりです




もしじいちゃんがまだ生きてたら、私たちどんな話したんだろうね

良いじいちゃんでいてくれたのかな



じいちゃんが死んでから、ばあちゃんは血も繋がってない母たちを必死に育てて、家を守ってくれたんだよ

本当は、ばあちゃんは兄弟の所に帰ってこいって言われてたんだってよ

でも子供たちが可哀想だからって、家を守らないとって、実家に帰らずにずっとうちの家を守ってくれてたんだよ




未だに色々と問題は山盛りだけど

ばあちゃんはまだまだ元気です



あれだけ辛い思いばかりさせたんだから、
ばあちゃんも母たちのことも、
ちゃんとそこから見守っててよ

ネロへ。

ハンナより半年くらい後に、我が家にやってきたネロ。


お腹を出して寝ているオヤジの様な寝相と間抜けな寝顔に愛着がわいて、ついついお迎えしてしまいました。



最初は喧嘩をすると必ず負けていましたが、最近はやられたらやり返すことを覚えたようですね。笑



お風呂大好きなネロは、お風呂にいれるのが楽ですごく助かります

いつまでもお湯に浸かっててくれるもんね



布団の隙間から鼻先だけ出して寝ていたり、
散歩に行くと足にしがみついてきたり、
道端に寝転んで歩く事を拒否したり
いつもキョトンとした表情に癒されています



あ、この前ネロにおやつをあげた時に、おやつと一緒に私の指まで思い切り噛まれた時は本当に痛かったです。



たまに家庭内別居しているようですが、これからもハンナと仲良く生活してください



もうハンナと脱走計画は立てないでね

長生きしてね

ハンナへ。

ハンナの愛くるしい顔と、フワフワのボディに私はいつも癒されています



所構わず暴れ回り、
物はひっくり返し、
いたる所に粗相をやらかし、
運べるものは全て部屋の隅に溜め込み、
チューブやゴムは歯形でボロボロ…。
『ゲージから出してコール』も、なかなかの迫力です。

ハンナが我が家に来るまで、フェレットがこんなに激しい動物だとは思いませんでした。





ハッキリ言って、ハンナは小さな怪獣です(*´Д`)




いつも暴れ回って中々構ってくれないけど、抱っこされることも覚えてくれると、もっと愛情が増しておやつも増えると思うんですが。


でも、普段鳴かないくせに寝言とクシャミはすごく大声だったり、
たまに甘えてきたり、
やっぱりハンナは愛くるしいよ


ちなみに、
ハンナが私の顔を舐めてくれるのは凄く嬉しいんだけど、本当はめちゃめちゃ痛いです。








もうすぐ、
冬毛のモコモコになって、ハンナが一年で一番可愛くなる季節がやってきます。


何はともあれ、
できるだけ元気で長生きしてください


これからも仲良くしてね

おばちゃんへ。

おばちゃんが亡くなって、もう10年になります。


何事にも厳しかったこと、
たまにファミレスに連れて行ってくれたことは覚えています



私が辞書をきちんと引けないと言っては怒り、
宿題をしてないと言っては怒り、
言葉遣いが間違っていると言っては怒り
返事が小さいと言っては怒り・・・・・・

いつも怒られてばかりでした。



何かひとつでも気に食わない事があると、何時間でも怒鳴っていられる人でしたね。


怒りのあまりテーブルをひっくり返したり、泣きわめく私を外に引きずり出したこともありました



おばちゃんのことを思い出すと、怒られたことばかり浮かんできます


両親に、『離婚しなさい!』と説教していたこともあったよね


一度言い出したら絶対に意志を曲げないタイプで、私たち家族がどれだけ泣かされたか知れません。


おばちゃんとは赤の他人だったという事もあって、
家族のように接しながらも、常に一線を越えないようにどこか張り詰めた空気のある家だったと思う。






おばちゃんが入院したときは、母と二人でよくお見舞いに行ったよね

帰りはいつも病室の窓から手を振ってくれました







あの時。

おばちゃんが亡くなる前に、おばちゃんの兄弟が葬儀の見積もりを出しているのを見た時の衝撃は、ハッキリと覚えています

仕方ないことなのかもしれないけど、10歳の時の私には信じられない思いでいっぱいでした




しばらくして、おばちゃんが亡くなったときは、やっぱり泣きました。
なんだかんだ文句を言っても、10年も一緒に住んでいたから悲しかった。


バカだったけど、二度と会えないということは自分なりに理解していたみたいです。



おばちゃんが亡くなってからも、私たちは大変だったんだよ




おばちゃんがまだ生きていたとしたら、私を見てどう思うでしょうか?

また怒鳴られて、何時間もお説教が続くんだろうなぁ。




正直、未だにおばちゃんに似た人を見たり、怒鳴り声を聞いたりすると、パニックになります


大分治まってきたけれど、まだたまに心臓がギュッてなって苦しくなる時がある。



もう本心を聞くことはできないけれど、
本当の所、私たちのことどう思っていたのかな




あんなに離婚しろと説教されていた両親は、
毎日喧嘩したりしながらも、今日無事に結婚31周年を迎えたよ



2007.9.9
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