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知るかよ!



私はもう誰のことも信じないと高らかに宣言したいのに、それを宣言できるような人間をそもそも一人も持っていなくて、そもそも宣言して聞いて欲しいだなんてまた誰かを信頼したいと思っている証拠じゃないかと気づいて、わらった。


独りよがりで結構、結構




山道をひとりで歩いていました
最近よく ひとりで散策をする

独りでいるのがひどく楽だ
他人がいなくても自分がいれば楽しい、
気を遣わなくて良い 自身の都合で動くことのできる そんな時間が今、私には最も必要である


そもそもが単独行動の人間なのです
群れて行動ができない

思い遣り等があるわけもなければ特別偽善的であるわけでもない 映画や活字以外の生身の他人に対する感情移入はできない 平気で他人を傷つける 時にはそれに優越すら感じる


群れて行動することを必要とされる場面は多い またその方が得をすることも
私は損に生まれついた人間だ
とはいえそれは私が私であるがゆえに生まれた障害であり両親に欠陥があったわけではない


とにかく私はひとりでありたい
独りは、時にひどく強固な楯になる



そうやってまた人に諂うの?




もういいもういいもういいもういい
苦しい苦しい苦しい苦しい

今までだって変わらなかったのだからこれからも変わることはないのでしょう 但し退廃の兆しというものは少なからずあるわけですよ

夢に逃げてしまいたい
辺り構わず泣き叫びたい
けれども泣くにも逃げるにも冷静すぎるこの脊髄は脳味噌への信号の一切を遮断してしまう

構わないんだ、私は
誰が何を言おうが誰が私に棘を向けようが知ったこっちゃない
問題は私が周りを傷つけることにまだ幾分か躊躇いを持っていることだ
存分に傷つけてぼろ雑巾のようにして生ゴミのように棄ててやりたいとさえ思っているのにできないのは 単に良心の呵責とかいう綺麗事じゃなくて その後の自分の尻拭いとかフォローとかの損得計算をしてしまうからである


感情を爆発させることができないと死んでしまいそうだ 冷静さなどは好きなときに出し入れできるだけで構わないのにどうしてでしゃばりなのだろう


すごく 淋しい





寂しいと淋しいの違いは何なのだろう

前者は何となく無常感に近いような 色褪せた蒼 張り詰めた空気を連想させる
後者は膝を抱えて眠る夜のような どこか弛んでいて それでいてあたたかくてつめたい 独り ということ

私の主観にすぎないけれど

両者に共通するもの
隣に誰かがいてくれたらと思うこと
気づいたら泣いてしまっていること
胸がひどくしめつけられて痛むこと

少し、さみしいです
どちらも同じ音 ほぼ同じ意味なのに
掴みきれない意味が苦しめる
私はどちらなのだろう
優しいのは どちらなのだろう


命日




そういえば昨日は斎藤氏の命日でしたね
部屋でぼーっとヨエコさんを聴きながら
本を読んでおりました

時間と金銭が許すなら是非会津へ
お墓参りに行きたかったのですが
(故人にとっては
なんの縁もない小娘に墓参りされても
何ら嬉しくないでしょうが…)

学生ゆえそういう訳にもいかず
一人旅などもってのほかとの事で
結局、部屋で一人物思いに耽りつつ。


雨でしたね

会津の天気は存じませんが
関西は全域雨だったようです

天候にさえ
どこか寂しさを感じてしまう
そんな1日でした。


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