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タイトルなし

法隆寺も薬師寺も当然名前や写真だけなら小学生の頃から知っていた。しかし、実際にその地に足を運んでみると、知識として知っているのとその空気を肌で感じるのでは全く異なるのだと改めてわかった。
法隆寺は聖徳太子が建立した寺である。そしてその聖徳太子は日本史において一級の有名人であり、日本人であれば名前とぼんやりと何をしたかを知っているだろう。対して、薬師寺を建立したのは中大兄皇子の弟天武天皇である。元々は持統天皇の病気が治ることを祈って建てられ始めたのだが、その途中で天武天皇が亡くなってしまい後を持統天皇が引き継いだ。妻のために寺さえ建ててしまうスケールの大きさに感心するが、結果的に本人が引き継いだと知って笑ってしまう。この二人も聖徳太子には劣るが日本史を学ぶなら絶対に知らなくてはならない重要人物だ。
私は確かにそれらの人物が訪れたであろう場所にいた。そして、完全にとは言えないが同じものを見た。これは凄いことではないだろうか。
日本史を学ぶ時にいつも班田収授の法や庚午年籍や大化の改新などを現実味のない一種のファンタジーのように感じていた。しかし、私がここに存在するということは確実にこの時代を生きていた祖先もまた存在するということだ。千年前など途方もない昔に感じるが、私はそこに存在していた誰かと繋がっていて今まで途切れることなく脈々と続いている。そして、その私は千年以上前に生きた人と同じものを見ている。これは凄いことではないだろうか。私はこのことに時間の力に逆らって爪跡を残そうとする人間の営みの強さを感じずにはいられない。
私達はこのような建造物を残そうとした過去の名前も知らない人びとによって、千年前の世界に思いを馳せることができる。
平等院鳳凰堂の豪華さは当時話題を呼んだに違いない。額に水晶が埋め込まれた大きな仏像や絵など、おそらく考えられる限りの趣向と豪華さを表現しているのではないかと思われる。権勢を誇る藤原氏の関白の権力を感じるとともに、この寺が当時かなりセンセーショナルであったのではないか、他の人々はきっと私達がテレビで豪邸を見た時と同じ気持ちを感じたのではないかなどと想像する。
興福寺や東大寺では、私の好きな平重衡が南都焼き討ちを行っていたのだと思うと、私が今踏んでいる土を彼も踏んだのではないかとミーハーにも思ってしまう。物語などでしか知ることのできない彼に少し近づけたような感覚すらする。
私が脈々と続く人間の営みと歴史を感じ当時に思いを馳せるように、千年後の人々も今を思うのだろうか。私はそうであってほしいと思う。遙かな過去から私達へと続く文化や歴史をまた私達も遠い未来へ繋いでいきたい。
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