真選組の為ならば。
近藤さんの為ならば。
俺は…。
「鬼副長ともあろう者が良い様だなァ…土方よ」
「…違う、だろ」
胡座の膝に頭を預け煙管を吹かす隻眼の男。猪口に注がれた薫り高い酒を傾けながら、揶揄るそいつの髪に指を絡める。
「今の俺は真選組副長じゃねェ」
手にした猪口を置くとその忌々しい顔を覗き込む。
「てめェの、恋人だ」
「クッ…違いねェ」
視線で促され顔を寄せると、当たり前の様に頭を引き寄せられて唇が重なる。
「…っ、」
これくらい、何でもない。
組の為、近藤さんの為。
鬼兵隊総督高杉晋助。
この男の恋人となって、早一月が経とうとしている。
江戸に潜伏中との噂を耳にし突き止める為の潜入捜査中、俺は無様にも奴の手中に落ちた。
その場で命を取られなかったのは、不幸中の幸い…でもなかった。
理由も原因も不明だが奴は俺に恋慕の念を抱いていたらしく、情を交わす仲…恋人になるという条件で一命を取り留めた。
俺にとっては全く不可解極まりない事だったが、恋人として逢瀬を交わす…その中で鬼兵隊の情報を手に入れられるのではないかと一縷の望みを持って関係を続けている。
好きでもない、どちらかと言えば憎むべき相手と情交を交わす事は俺の神経を疲弊させたが、これも組の為だと言い聞かせて。
今宵も夜半過ぎまで奴と共に居た。それから宵闇に紛れて屯所へと戻る。
次の日の隊務に差し障っては組の連中に怪しまれるからと、そこだけは譲歩させた。その代わり他は好きにしていいと…奴に身を委ねて。
テロリストとは言え人の気持ちを利用する自分を汚い人間だとは思うが、これくらいどうって事は無い。
鬼の名は伊達じゃねェ。
真選組の、近藤さんの為ならどんな汚い事だってやってみせる。
俺はそういう人間なんだ。
ただ……。
ただ一つ、否、一人。
俺の決意を揺るがせる奴が居る。
何か言いたげに、俺を見つめる双眸。
クソ生意気な亜麻色の髪の……。
「…ッ、総悟」
「これは土方さん、こんな時間にお帰りたァお盛んですねィ」
人目を避け屯所に戻った俺の部屋の傍で、夜着に羽織を纏った総悟が一人佇んでいた。
「最近、多いんじゃありやせん?」
「…てめェに関係ねェだろ。つかこんな時間にお前こそ何やってんだよ」
傍らを通り抜け様、その髪に触れようとした手を止める。
汚い…俺の手で、こいつに触れてもいいのだろうか。
人知れず密やかに、愛しいと、思い続けた…この青年に。
「ガキが夜更かししてんじゃねェよ」
触れてはいけないと、そんな気がして伸ばしかけた手を引き自室の障子に指を掛ける。
「…アンタが、帰って来ねェから…」
「何……ッおい!」
小さく呟かれた声が良く聞き取れず視線を総悟へと戻せば、ユラリと前に傾く身体。
反射的に抱き留めたその身体は熱を帯びていて、額に触れてみればかなり熱がある事が容易に知れる。
目を閉じたまま浅い呼吸を繰り返す総悟の姿に気が動転した。
「や…山崎ィィイ!」
「風邪ですね」
俺の声にすっ飛んで来た優秀な部下は、総悟の容態をいとも簡単に判断してみせた。
「…風邪?」
「はい、昼間咳もしてましたし。夜になって熱が上がったんでしょう」
近いという理由で俺の部屋に運んだ総悟は、布団に横たわり苦しそうな呼吸を繰り返すばかり。
咳をしていたなんて、知らなかった。
普段サボりまくる癖に、こういう時こいつは真面目に職務に就こうとする。それに気付いて止めるのは俺の役目なのに。
「寝不足も祟ったんでしょう」
「寝不足?総悟に限ってそりゃねェだろ」
普段から惰眠貪ってるこいつに限ってそれはない。
そう言い切る俺に山崎は驚いた様な顔を向ける。
「副長知らなかったんですか?最近、沖田隊長昼寝しないんですよ。それに…」
手早く水やら何やら整えながら、山崎は困った様な笑みを浮かべる。
「寝て下さいって言ってんのに…副長が屯所に戻られるまで、いつも起きて待ってるんですよ」
「……っ!」
どういう、事だ?
高杉との事は誰にも言っていない。とすれば、こんな時間に外に出るという事は酒か女だ。きっと屯所の連中はそう思ってる筈だ、勿論山崎や総悟も。
それを待っていると言うのか?
何処に行ったかも、いつ帰るかも知らぬ相手を。
「こう見えて沖田隊長、心配してるんですよ?副長がちゃんと、生きて、戻って来るか…副長を殺すのは自分だかり、確認しないと気が済まないって言ってましたけど」
顔に出したつもりはなかったが俺の動揺を悟ったか、苦笑混じりに言葉を紡ぐ山崎の声が滑り落ちてくる。
「夜遊びも程々にして下さいね。…特に、隻眼の鬼遊びは」
「…!やま…」
急に低くなった声に、言葉に、息を飲んだ。
ある、特定の人物を指し示しているとしか思えない単語に、ヒヤリと背筋が冷たくなる。
上手く隠していたつもりがバレていたのかと有能な監察を見やれば、困った様に眉を下げる地味顔。
「止めても無駄なのは解ってます。この件は俺と沖田隊長しか知りませんから、安心して下さい」
「………」
何を言ったらいいのか解らない。
頭が上手く働かない。
黙り込んでしまった俺に「隊長の寝床用意して来ます」と告げて山崎は静かに部屋を出て行く。
自室にこいつを運ぶのか…そうか、俺が寝れないからな。
そんなどうでもいい事を考えながら総悟に視線を向けると、眉根を寄せ苦しげに呼吸する姿に胸をギュッと締め付けられた。
「……総悟」
呼んでも返事はない。
「俺は間違ってるかもしれねェ」
キシリと畳の軋む音を響かせ、総悟の顔を覗き込む。
「それでも…それでも俺は…」
ゆっくりと距離が近づく。
今は閉じられた瞳が時折見せる優しい色を、思い描く。
薄く開いた唇からは普段は憎まれ口ばかり出て来るが、言葉の端々に僅かながら含まれる親しみ。
やり方は極端というよりやり過ぎ感が否めないものの、全身で、全力で自分を見ろと訴える行動の数々。
思い違いでなければ、総悟は…。
総悟は俺の事を……。
『お前は俺から逃げられねェよ』
「…ッ」
目の前の想い人への愛しさで胸が満たされた俺の耳に、低く嘲り笑うかの様な声が聞こえて動きを止める。
暗く重い色がジワジワと俺の身を、心を、蝕んでいく。
暖かく穏やかな世界を黒く冷たく染めて行く、無数の蝶。
「……俺、は…」
ギリと奥歯を噛みしめると、吐息が触れる程近くまで寄せた身を離す。
触れてはいけない。
触れる、資格がない。
愛しいからこそ。
触れる訳には、いかない。
「……」
立ち上がると、総悟を振り返る事なく部屋を出る。
袂を探り煙草を取り出すと、火を着けて煙を肺一杯に吸い込んだ。
「……クソっ」
乱暴に前髪を掻き乱すとズルリとその場に座り込む。
黒い、黒い蝶。
蜘蛛の巣に掛かり捕食される筈の蝶は、巧妙な手で蜘蛛に手を掛け。
宵闇の中、内側にその鱗粉を埋め込んで。
じわりじわりと、侵食していく。
蜘蛛は…俺は、もう。
恋焦がれた月に手を伸ばす事は。
許されないんだ。
END
小雪さんへ
リクエストありがとうございました、遅くなってすみません。
高杉→土方→←沖田という事で無い頭を絞ってみたのですが、いかがでしょうか。沖田の出番が少なくなってしまいましたが、少しでも楽しんで頂けたら幸いです。