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Love letter

初めて会ったのは、いつだか覚えておられますか?

その時、私はあなたのための存在ではなかったけれど。

その時、あなたは私のための存在ではなかったけれど。

でもね、今ならわかります。

私は、あなたのために

あなたは、私のために

たがいに心寄り添わせるために、存在したのだと。



 北の国にも、きらめく日差しが碧く萌える若葉に反射する頃。老人が一人、屋敷の濡れ縁に腰かけていた。その傍らには、赤い実と瑞々しい緑葉をつけた小枝が置いてある。
 老人は軽く目を閉じて、やわらかい初夏の日を浴びていた。
 日差しは、冬の不在を詫びるように老人の痩せた体を温めていった。彼はただただ、その天の恵みを享受している。
 不意に、その足元を何かが小突いた。老人は温もった瞼をゆっくりと開いた。
 目線の先にあるのは、竹で組まれた頑丈な柵と、その向こうの堀。
 嫌悪に目を逸らせ、老人は足もとにうずくまった狐に微笑みかけた。
 「やぁ、待っておったよ」
 まるで、懐かしい友人に会ったかのような口振であった。老人は、傍らに置いた小枝を取ると、狐に差し出した。
「これを、届けておくれ。頼んだよ」
 狐は一度鼻先を上下に振ると、差し出された小枝を口にくわえた。
 そして、ぱっと身を翻すと、風のように駆け去って行った。竹で編まれた柵の間も、そのしなやかな身体ならすり抜けられる。
 その後ろ姿を見送って、老人はもう一度目をつむった。
 日の光は甘露のように降り注ぎ、老人は子供のようにそれを楽しんだ。





 庭の方から物音がして、尼僧は写経の手を止めた。
 ふと、そのふっくらとした口元に笑みが浮かぶ。きっと、近所の子らがいつものように遊びに来たのだろう。
 子供らの戯れの声は、身寄りのない尼僧の何よりの慰めでもあった。
 菓子の一つでも差し上げようかと、尼僧は筆をおいて立ち上がり、庭に面した障子をあけた。
 だが、そこには人っ子ひとりいない。首をかしげた尼僧は、ふと、濡れ縁の端に目をとめた。
 赤い実と瑞々しい緑葉をつけた小枝が置いてある。訝しく思いながら、膝をついてそっと手を伸ばした。
 うめもどきの鮮やかな赤が、尼僧の白い指先によく映えた。
 誰からの贈物だろうか。庭にこの木はないから、誰かがわざわざ持ってきてくれたのだろうけど。
「……蓮華院様っ」
 あわてた声に、蓮華院ははっと顔をあげた。はたはたと足音を立ててやってくるのは、共に暮らす老いた尼僧である。
「どうなされたのじゃ?」
 老女は何度も息を整え、胸を押さえたまま喘ぎ喘ぎ声を絞り出した。
「横手のお方が……本多様が、お亡くなりになったと……!」
 その言葉に蓮華院は目をみはった。見る見るうちに、涙がその黒い瞳を濡らしていく。震える口元を押さえたけれど、こぼれる嗚咽は止めることができなかった。
 涙は、うめもどきのに降り注ぎ、水晶のように弾けては消えていった。



初めて会ったのは、いつだか覚えておられますか?

その時、あなたは私のための存在ではなかったけれど。

その時、私はあなたのための存在ではなかったけれど。

でも。

私は、あなたのために。

あなたは、私のために。

たがいに心寄り添わせるために、存在したのだと。

Wat is uw naam?

 木の香りがいまだ漂う真新しい城内。徳川家康の懐刀と名高い老中本多正純と、同じく徳川家康の側近安藤直次は、駿府城の一室で政務を取っていた。
 ちょうど一年前、駿府城は完成間近で一度消失している。それからまた建造しなおしたのだが、大名連中の金蔵を空に出来た事を差し引いても、新しい城内は気持ちがいいものだ。
「なぁ、上州。楊さんがこないだ戻ってきたって知ってるか?」
 右筆が集めてきた書類に目を通しながら、直次が言った。
 楊さん、とはオランダ人の貿易家、耶楊子(ヤン・ヨーステン)の事だ。彼は、徳川家康から朱印船貿易を任され、東南の海を船で走り回っていた。
 やはり書状に目を通しながら、正純はうなづいた。
「ああ、知っている。先月の末に堺についたとか。次は呂宋(ルソン)に船を出すというから、そろそろこちらにくるのではないかな」
「楽しみだねぇ。あの人は中々面白いからな」
 直次は喉を鳴らして笑った。対して、正純は眉間に浅い皺を作った。
「……癖が、ありすぎるだろう」
「それだけ経験豊富ということさ。何せ、俺達の見たことも聞いたことも無い国から来て、やっぱり俺達が知らん国を飛び回っているんだからな」
「……」
 それとこれとは違うだろう、と正純は思う。身体も声も大きなその異国人は、人を食ったようで、かつ無邪気な振る舞いをしでかしてくれるのだ。
傍で見ている分には構わない。問題は、なぜかそれに巻き込まれるのは正純であるということだ。
同じく異国人である三浦按人(ウィリアム・アダムズ)などは、礼儀正しくて話しやすいのだが。
ふいに、どかどかと乱暴な足音がこちらに向かってきた。いやな予感がして、正純は思わず居室の入口に体を向けた。
「ズミーサン、ズミーサン、これにハンコください、ハンコ」
 朱印状を振り回しながら、大柄な男が駿府の執政達の部屋に乱入してきた。
 異相、である。くすんだ金色の髪は鬼の頭のように縮れているし、鼻は富士山のようにとんがって高い。おまけに、目は澄んだ若草色であった。
 ヤン・ヨーステンが入ってきた途端、側付きの右筆は書類を取りに書庫に走り、給仕をしていた茶坊主は、湯を汲みに部屋を退出してしまった。
「楊さんの話をすると楊さんが来る、か」
 感慨深げに、直次が呟いている。正純は、その横っ面を叩きたいという欲望と闘わねばならなかった。
 ヨーステンは小人の国に迷い込んだ巨人のように部屋を見渡し、無遠慮に正純の文机の前に座った。最近は、椅子が無い事にも馴れたらしい。ただ、その足には見慣れぬ地下足袋のようなものを履いたままであるが。
「みなさん、いそがしいのですネ。わたしもいそがしい。ズミーサンもいそがしいのですか?」
「楊さん、俺も忙しいぞ」
「アントンさん、いそがしいのめずらしいです。ズミーサンはいつもいそがしそうです」
 おいおい、と身を乗り出そうとする直次を制し、正純はひどく不機嫌な声で異国人の名を呼んだ。
「……楊子(ようす)殿」
「はい?」
「そう呼ぶのはやめていただきたいと以前にも申したはずですが?それに、朱印状とはしかるべき手順を踏まえ発給されるもの。まずは三浦殿を通されよ。このようなふるまい、感心しませぬぞ」
「はい、わかりました。ですから、ズミーサン、ハンコ、ください」
 笑顔で、楊子は朱印状を突き出した。
全く分かっていない。潮と日に焼けた朝黒い肌とは対照的な、口元からこぼれる白い歯に、正純はひどくうんざりした。
「耶楊子殿、私の名前は本多上野介正純です。最後の『ずみ』だけを呼ぶのはおやめくだされ。それに、わが国では名をみだりに呼ぶようなことはしませぬ。苗字の本多、もしくは上野とでもお呼びを」
「……ふぉ、フォンダン……クォ・ヅーケ……?」
 国籍不明の名前に、直次が爆発するように笑い出した。
「では、上州!上州とだけお呼びを!」
「ああ、はい!ジョシュアーさん!」
 正純は文机の端に八つ当たりをし、直次は畳の上に沈没した。
「ジョシュアーさん?なにやら、わたしまちがえましたか?」
 なにやらもかにやらも間違えているのだが、もはや訂正することも面倒くさくなり、正純は畳の上で笑い転げている直次を蹴り飛ばして決着とした。


 それからしばらく、駿府城にはアントン、ジョシュアーを皮切りに、ナリーゼだのイワンだのと呼ばれる人物が増えた。 
 正純がアダムズに泣きつき、彼がヨーステンを叱るまで、駿府城は異国人の詰所のような名前であふれることになったが、それはまた、別の話。

子供のほっぺた、隼の羽

 いつもは刀槍を握る節くれた指で、柔らかい頬をつついてみる。

 少しばかりあかぎれてざらついた頬は、それでも搗きたての餅のようにふやふやと頼りない感触を返してきた。

 ふむ、となんだか納得し、今度はちょっと指先でほほをつまんで引っ張ってみる。

 見る見るうちに子供の大きな眼に涙が溜っていき、ついに、べそをかきだした。

「お、おお?なんだ、何も泣く事はないではないか」

「……三弥殿」

井戸端で、野菜を洗っていた子供の母親が、きゅっと義弟を睨んだ。

「千穂の面倒を見てくださるのはありがたいのですが、あんまり泣かせるようなことはしないで下さいまし」

「あー、いや、すみませぬ、義姉上」

まったく悪びれず、三弥はからりと笑った。

ふいに、千穂は小さな手でぺチンと三弥の横っ面を叩いた。

「あてっ」

「これ、千穂」

 怯んだ叔父の腕から飛び出して、千穂は母親の背にそのまま逃げ込んだ。

「むむ、この本多三弥左衛門から一本取るとは、やるな、千穂」

 ひげ面を撫でて唸る義弟に、義姉は呆れてため息をついた。

「四つの子供相手に何をなさっているのです。ほら千穂。千穂も叔父様を叩くなんて、いけない事ですよ。あやまりなさい」

「……おじうえが、わるいから」

「おうおう、それは違うぞ、千穂。おぬしくらいの子供のほっぺたなんぞは、触られるためにあるんだ。妙に柔らかいのは、そのためよ」

「三弥殿、違うと思いますよ」

 まったく、小さな子どもと大きな子供が一人づつ、である。

 野菜篭の代わりに千穂を抱き上げ、なんとなく、夫のことを考えた。


 そうね、あの人も、きっと大きな子供だったのかもしれない。


 隼の様に遠い空へ羽ばたいて行った男を、そんな風に、思った。

虎殺し

「で?虎の様子はどうであった?」
 尋ねる主君に向かって、本多正信はにっこりと笑みをこぼし、首を横に振った。
「アハハ、やはり無理ですよ、殿。加藤清正、あの男の頭には、豊臣家を守ること、それしかありませぬ」
 徳川家康は、肥えた頬を震わせて顔をしかめた。
「福島のようにはいかんか。まったく、わしの娘をくれてやったというに、孝の欠片もよこさぬわ」
「アハハ、仕方ありあせぬ。かの虎を幼き頃より手懐けたのは豊国大明神様その人です。幼き頃の恩というものは、忘れがたきもの」
 じろり、と家康は目の前の能臣を睨んだ。
「なにが大明神よ。わしの前で、あのサルをそのように言うでないわ」
 苦虫を口いっぱいに詰めこまれたような顔だ。正信は、心中で肩をすくめた。
 長い長い間、この老人はいろんなものに押さえつけられてきた。
 今川、武田、そして、織田信長。
 やっとそれらの重しが取れ、欲しいものに手を伸ばそうとした瞬間、あの小柄な男がすべて持ち去ってしまったのだ。
 その落胆はすべて憎しみへと昇華し、いま、この肥えた老人の体を動かす原動力となっている。
 触れれば、こちらまでも滅ぼされそうなほど、強い熱だ。
 にこ、と笑って正信は体勢を立て直した。
「あは、申し訳ありません。今後、気をつけますゆえ。ですが、清正めをこちらの手の内へからめ捕るのはお諦めになされませ。どちらにしろ、あの男の頭には『守る』ことばかりで『攻め取る』という考えはありませぬ。下手に追い詰めかみつかれるより、宥めすかして捨て置くのが一番よいかと」
「……時間がない」
 重々しい語調に、正信ははっと主を見た。
その顔には、経てきた年月が、深い深いしわとなり、醜く刻まれている。
「あの男、わしより長生きするじゃろう。そして、あの男の目が黒いうちは誰も秀頼に手は出せぬ。その間、かの倅がもっと知恵をつけ、成長してみろ」
 それが自分の死後になれば。
 秀忠では手に余る。
 おまけに、秀忠よりできのいい秀康などは、よりによって豊臣贔屓だ。
「……流れが、変わる。いいか、天地の利があるうちに、人気(じんき)をこちらに引き入れるよう、手を打たねばならんのだ」
それを考えるのは、お前だろう、と家康は正信の黒い眼を覗き込んだ。
「アハハ、殿、では、順序を変えてしまいましょう。加藤清正を殺すのです」
 ぽかん、と、久しぶりに珍しい表情を家康は見せた。まるで、巷で噂されるような狸そのものの、ものの見事な間抜け顔。
 だが、正信のいうことを了承したのだろう。狸は、何度もない首を頷かせた。
「そうか、そうか……だが、どうやって?」
「真向から刺客を放っても、あの猛虎ではしくじるやもしれませんからなぁ。茶屋に、手を回してもらいましょうか」
 茶屋四郎次郎は、異国とも取引のある豪商だ。仕入れる珍品奇品のなかに、目当てのものがあるかもしれない。
「そうか、では、頼んだぞ」
「ええ、全てこの弥八郎にお任せくださいませ」
 す、と正信は頭を下げた。
「ああ、よきにはからえ。……しかし、惜しいな」
 まるで自分が毒を飲んだかのような顔をして、家康はつぶやいた。
「ええ、惜しいですな」
 何をいまさらと思いながらも、正信も目を伏せる。単純で清冽な、気高い獣の面影が、脳裏によぎった。
 決して若いとは言えないその面ざしに、ため息をつく。
 まったく、年はとりたくないものだった。

味土野の彦星

 七夕の夜には、鵲が天の川に橋を架け、天上の恋人たちの逢瀬を助けるという。

「お玉」

 名前を呼んでも、織姫は返事どころか目も合わせてくれない。
 ただ、雪のように白い手が、空になった酒盃に、そっとふくべを傾けただけ。

「お玉」

 細川忠興は少しばかりいらついた。欲しいのは、酒なんぞではないのに。
 手をのばして細い顎を捉えると、妻は夫の手を嫌がり、身を捩った。ふくべが倒れ、二人の膝を濡らし、杯はなみなみと湛えた白い濁り酒を畳の上に散らせた。
 ちろりとそれに目を向け、忠興は皮肉に口元をゆがめた。瞬時に浮かんだ己の発想に可笑しくなる。
 
 天の川のようだと。

 なら、我らの鵲は?

 この憎しみと悲しみの雨に恐れをなして逃げたか。

 それとも嵐の収まりを待つのか。

 強張る玉を、忠興は乱暴に抱き寄せた。
花びらのような口を吸い、子を産んでなお蒼ざめてたおやかな肢体を畳に伸べる。
 鮮やかな打掛の袖が広がり、絹糸の黒髪が波打って、さながら囚われた蝶のよう。
 彦星よ。
 わしなら鵲の橋なぞ待たぬ。
 たとえ天帝の御怒りを受けようとも、いとしい妻(おんな)を攫い。
 その美の一輪だけを腕に抱いて、天地(あめつち)の果てまで逃げようぞ。
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