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割れない卵と、脆弱過ぎる卵なら、一体どちらがいいのだろう?

ミュシャの1000ピースのパズルが出て来た。
手に入れたのは12年も前だ。

未開封なのに、わたしには足りないピースがある様な気がしている。
無論、考え過ぎだ。

考え過ぎだ。

考え過ぎなんだ。なにもかも。
考えるだけで、何も出来やしない。だから煮詰まる。
煮詰まる。手詰まる。追い詰められる。
追い詰めているのは他でもない自分自身。
自分で自分を責めて、自分で自分を貶めて、自分で自分を痛めつけて、そのあとはどうするの?
その行為に何の意味があるの?

何の意味もないの。



だから、今は耐え忍ぶしかない。
下手に動けば、卵は意味もなくただ割れるだけ。



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言葉なんか要らない

「言葉」というツールを、わたしはこよなく好んでいる。言葉は美しい。素晴らしい。使い方によっては刃物にもなるし、どんな花束よりも美しくなるし、煌びやかにもみすぼらしくもなる。
音楽や絵と重なり合えば、より素晴らしいものになる事もある。
言葉は、さながら魔法だ。わたしは言葉という魔術をたくみに操る魔術師になりたかったのかも知れない。そうでないかも知れない。今はそこのところはどうでもいい。

ここ最近のわたしは、自分が発する言葉が気にくわない。
的確に本質を指摘し、必要な箇所だけを簡潔に述べる事が出来るなら良い。でもわたしにはそれが難しい。仰々しく、重苦しく飾り立てるのが好きだ。言葉の過剰装飾。因みにお洋服の過剰装飾も好きだ。
仰々しく飾り立てる事に喜びを見出している。それがわたしの心をスポイルしている。
言葉があるからわたしは無駄な武装を試みてしまう。その武装は、わたしを更に苦しめる。中身より先に外側を飾り立てるから、中身が疎かになるから、わたしは自分をちっぽけだと思い込む。
だからいっそ言葉そのものが無くなってしまえば、わたしは苦しむ事がない。強引だが、それが事実だと思う。(勿論、中身を豊かにする努力が必要なのは大前提だ。それは承知の上での、ただの世迷い言だ。)

そもそも何をどんな風に並べ立てても、心に浮かび上がる気持ちというものはそっくりそのまま表現する事なんて出来ない。
つまり、わたしがどれほどに彼女を愛しているのかを、わたしの言葉と表現力では伝えきれないと感じている。
アウトプットが追い付かない。

胸なり頭なりを切り開いて、ただこの気持ちだけ差し出せたらいいのに。
彼女にだけ、彼女を愛している事が伝われば、ただそれだけ確実に伝わる事が確約されているのなら、言葉なんか要らない。



それが出来ないから、人は言葉を得てそれを操る様になったのである。




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演技性人格障害


わたしは長いあいだ「境界性人格障害」だと認識していた。
実際そう診断された事がある。

ただ、最近ようやく気付いた。
わたしは、「演技性人格障害」だ。多分、まず間違いなく。


演技性パーソナリティ障害の人間は、境界性人格障害と誤診される事もあり、また誤診されると境界性人格障害らしく振る舞い始める傾向にあるそうだ。
つまり、その様に振る舞う事を求められたとでも言う様に、わたしはその診断結果に自分をうまく当てはめようと努力したのだ。
なんて無駄な努力だった事だろう。


人は誰しも、必ず誰かに認められ必要とされたがるものだ。
それが行き過ぎてしまうのが演技性人格障害だと思う。
演技性人格障害の人間が求めるのは、他者からの興味や注目、賞賛。それはつまり、認められ必要とされたいという気持ちなんだろう。
わたしがどうして演技性人格障害となったのかはは知らない。でも多分、幼い頃か何かに、必要とされたいだとか認めて欲しいなどと強く願ったのかも知れない。それは今のわたしの知り及ぶところではない。

人格障害だからと言って何がどうなるという訳でもない。確かに生きるのに苦労したり、社会生活において支障をきたす場合もあるから、少しでも改善出来る部分は改善していきたい。
でもそれは多分、彼女と生きる事を選んだわたしには杞憂だと思う。
彼女と寄り添いたいと強く願った時から、わたしは自然と内省と改善を意識し始めた。
彼女はわたしを許し、愛してくれる。彼女の愛はわたしが思う以上に深く強い。
演技性人格障害の人間は、極端に自己肯定が低いらしい。わたしもご多分にもれない。表面的なものばかり武装するから、真の自信に繋がらない。内面に自信が持てないから外側ばかり飾り立てようとする。悪循環だ。ちっぽけな自分を認められないから、愛されるに値しない自分を受け入れて貰えるのが不思議でしょうがない。彼女は、そんなちっぽけなわたしですら愛そうとしてくれている。
彼女の愛に応えたい。彼女に、自慢の恋人であると胸を張って貰える人間になりたい。わたしが「かわいそうな自分を大事に仕舞い込む」という自慰行為の如き歪んだ自己愛的な思考から脱却出来たのは、ひとえに彼女のおかげであると思う。
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R.I.P.


Pay money to my painのヴォーカルが昨年末亡くなっていたというニュースを目にしました。

大変残念でなりません。
今年こそはライブに行ってみたいなと思っていた素敵アーティストのお一方でした。
良いお声をなさっていました。
是非生で拝聴したかった。
ライブパフォーマンスも拝見したかった。


inordertoseethelight,sometimesIhavetoriskthedark.


この曲が大好きでした。
無論、いまも大好きです。



今はただ、ご冥福を祈るばかりです。







やはり、ライブはナマモノ。

SlipKnoTもチャンスがあったのに見逃した。そしてすぐ後にポールが亡くなってしまった。
今回こそはチャンスを逃したくないので、Ozzfest Japanには参戦したいと思っています。

ただね、一日目がすりぷのだから一日目だけでいいや★ミと思っていたら、まさか二日目にディルが来るとは…。

多分、二日間行くと思います。
予定は未定。




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たわむれ

わけがわからないよ!


※以下リファラの話
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