私はストレス耐性が弱いようだ
臆病だから自覚していなかったけどけっこう頻繁に不機嫌になる。
世界一受けたい授業でさ、子供の頃の習い事は子供の成長に関わるとか言っててさ、
水泳をやってた子が優秀になる〜〜とか言ってて。
私も昔はスイミングやってたんだけど、ヒキニートだぞ。
でも改めて考えるとたしかに私は水泳の習い事から何も得られなかったなと思う。
その違いはさ、私けっこう長い間やってた気がするんだけど、元から運動苦手で、どんどん年下に抜かされることで自信を失ってやめてしまったところだろうと思う。
長く続けて学年が上がるほどわかっていったんだけども、年下の子のほうが速く泳ぐし、頑張ってもタイムが伸びないし、結局誰にもかなわなくなったのでやめてしまったの。
水泳をやってた子が優秀だというのはその競争に勝った子についてだ。
水泳というのは能力に従って細かく階級が分かれていますので、より速く、より成績を伸ばす、その過程で競争に勝ち抜く力を身に付けるのです。なるほど。
習い事って、それを習わせることで子供が成長できてこそだったのだな。
たんにスキルを身に付けることじゃなく、それを学習する過程で子供が精神的に成長していくということだ。
ということで、自分が好きでやってた習い事でも実は挫折していた、ということに気付いてしまった。
放心。
おかげさまで!!わたし昔からそうなんだなって気付かされた。
こうやって形成された人格がいまの私なんだわ……。とても納得だ〜〜〜。
最近
人って簡単に死ぬんだなあという実感から、「生きるも死ぬも紙一重だ」と思うようになった。
そして「死んでしまえば一緒なのにどう生きるかに違いなんてあるのか」という考えにとらわれている。
「いつ死ぬか誰にも決められない」、「なんのために今日を生きたのか?明日生きられるのか?」
極端な話だけどもそんな考えから、人がなんで生きてるのか、その答えがわからない。
祖父母のように長生きして孫の結婚を見たいと思うけど、アタマはしっかりしてるのに歳でろくに歩けなくなって噛めなくなって、好きなこともできない老人になることが望ましいと思うわけでもない。
もちろんそんな年まで長生きできるかどうかもわからんよ!!
40くらいで病気で死ぬかもしれねえよ。
人間を自然の一部だと唱える人は、「人間は大きな力に生かされているんだ」と言います。
じゃあ私たちは抗うことはできないのか。
大きな力によってある日死なされるのか。
自分の力で生きてやる!!って思ってるような生命力のある人ならなあと思います。
私は生来無気力なたちなので、
昔から、奇跡の生還!みたいなノンフィクションバラエティを見て、 「強い精神力が明暗を分けました!」みたいなナレーションを聞いて、子供心に「わたしはそんなちからもってないだろなあ」と思っていた。
もちろん、沢山の糧が自分の血となり肉となることで生きられてるんだから、「生かされている」は正しいです。
でもほんとうに、「生かされている」は絶対的だと今感じます。
自分が、人間がとても危うい生き物だって感じて、自分個人として生きることに何の意味があるのかわかりません。
祖母が、女は結婚して子供を産み育てるだけと思っている。
何の贅沢もせず生きてきた人だから、とにかく結婚して子供を産みさえすればと言う。
そこにゆるふわなんてないし、スイーツなんてない。
これが田舎脳なのか。
世代のバトンタッチは素晴らしいことだと思うが、人間それだけだと言われると、なにしていいかわからない。
海外留学したいなんて微塵も思えなくなった。
どうせ無気力になるなら働いていればよかったのに……、
生きる意味を見出せなくても仕事をして過ごす日々ならお金が入ってくるじゃないか。
いまそんな気持ちになったら仕事を探す気力にかえることもできない……おかねがなければいきていけません
なぜ生きるかとかそんなことじゃないのか。
生きるためにお金を稼げという事か。
簡単だな……。