スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

-邂逅-

その邂逅は、衝撃だった。




-邂逅-





御子川内櫻子は、流魂街の中でも治安の良い場所に送られた魂の一つだった。
水にも食べ物にも不自由する事なく、幼い時分に死した彼女は、死後の世界ですくすくと育って居た。

櫻子には微弱ながら霊圧があり、成長と共にその力は徐々に強まって行った。それはまるで何かの時間に間に合わせようとするが如く、波を付けて少しずつ高まっていく。
成長に伴い、共に暮らしていた血の繋がらない、しかし繋がりは血よりも深い二人の家族には霊術院入りを薦められたが、櫻子は此れを頑なに拒んでいた。


「自分は、あねさま達と居たいのであります」
「…櫻子…、」


家族の記憶も儘ならない時分に流魂街に来た櫻子には、後にも先にも唯一の家族だった二人。
身に馴染んだ場所からも、もう一時も離れたくは無かった。


霊術院入りを薦める家族と、それを拒んだ櫻子が家を飛び出した、そんなとある日の事。
空には雲が垂れ籠め、曇天と言うに相応しい空模様であった。


「ぐす、…ぅ…」


何故。

何故、離れたくないと思う程に離れろと言わんばかりに天は動くのか。
家族にも伝わらない孤独のもどかしさに胸を掻きむしられる様な感覚に陥り、櫻子は胸元を押さえた。
感情に任せて泣き喚いた名残の涙が頬を伝う。
此れではいけない、と、漸く冷静さを取り戻した櫻子は、幼さ故の短めの着物の裾を軽く払いながら胸を押さえていた手で涙を拭った。

その涙の玉が風に吹かれた刹那。


「──…良ぉ爆ぜそうじゃ」


ぬらりとした声音が櫻子の鼓膜を撫でた。

ぞくり、

声の正体は背後に居る。背筋を伝い落ちる嫌な汗を覚え、振り向くより先に本能的に駆け出した。
一瞬後、櫻子の立っていた場所に爆発が起きる。
小規模の爆発ではあったものの、土埃を含む激しい爆煙に櫻子は吹き飛ばされた。


「勘も良え…上等、上等」


転がって向かい合った声の主は、白い蜘蛛のような体に骸骨の仮面を帯びた化け物だった。
後の四肢で体を支え、上体を起こし四本の前肢を蠢かせるそれは、本来流魂街の、特に治安の良い場所になどに現れる筈のないものだ。


「…ほ、虚…!?」


魂を捕食し己の孔を塞がんとするモノ。
知識のみで初めて目にした其れに櫻子は硬直した。四肢の端まで、まるで己の物で無くなったかの如くに動けない。


「ほれ、逃げんのか?何処を飛ばそうかのう、脚か、腹か、」
「…ッ!」


笑みを含んだその声が、もう一度櫻子の鼓膜を撫でた頃には、彼女は弾かれるようにして駆け出していた。

兎に角人気の無い所に逃げなくては。

そうしなければ、被害の増大は目に見えていた。




───


「はぁっ、は、は…ッ!」
「くふ、くふ…爆ぜるぞ、そら、右の脹ら脛じゃ」


ぱんっ!


軽い音が人気の無い荒れ地に響き、前を駆けていた櫻子は声もなく地面に倒れ伏した。右の脹ら脛には削り取ったかの如く深々と傷が刻まれている。
どくどく、と何時もの数倍の早さかと錯覚するほど早駆ける心臓。
怪我は体のあちこちに至って火傷を負っている他、腕にも足と同じく抉られた様な傷を負っていた。
体力的にも精神的にももう逃げられない。
くふふ、と愉悦に満ちた笑みが背後で聞こえる。


「さて、さてさて」


止めを勿体振る虚を後目に、何とか逃れようと立ち上がる少女。


「飽いたの。」


既に虫の息と言って良い程の櫻子を相手に無慈悲な言葉を紡ぐ虚。
つ、と鋏の様な前肢を櫻子の腹へと突き付ける。


「…見よれ、爆ぜるはうぬが腹じゃ」


ばぁ、んっ…!


一際重い音と共に櫻子の脇腹が派手に、裂けた。
どっ、と乾いた音をたてて地面に倒れ込む小さな体。
一拍遅れて傷口から血が溢れ出す。
止まることを知らない其れを見て虚の哄笑が荒れ地に響いた。


「ち、一足遅かったかね。怪我人が出てるとは」


其処にざくりと砂地を踏み締め現れた存在。
棒付き飴をくわえ、白衣を翻したその姿は地面に倒れ伏す櫻子よりも年下に見える。


「そこのお前さん、もうちょい踏ん張りな。私が其れを標本にするまでさ」


無茶苦茶な台詞を無造作に言い放つ少女こそ、十二番隊隊長兼技術開発局局長、雅峰粒歩その人だった。


「さて、と…地軸固定、磁場確認!重力制御装置始動!」
「なん、…っ!?」


虚が何事かと察するよりも先に重々しい起動音が辺りに響き渡り、虚の立っている場所だけが圧力が掛かったように歪む。
更に間髪入れずに始解していない斬魄刀を引き抜き、そのまま切りかかっていく粒歩。ふわりと軽い少女の振り下ろした刀の刃は、重力制御装置の制御下に侵入するなり重さを増し、虚の前肢を容赦無く切り落とした。


「重力制御装置停止!捕縛用──「死神風情が、嘗めた真似を…!爆ぜろ、爆ぜてしまえ!」


痛みから咆哮を上げていた虚が体勢を立て直し、無数の小さな蟲を粒歩に向かって放つ。
目には埃程度にしか映らぬそれは、一匹が人の体を抉るほどの爆発力を持っている。先ほどまでは一匹ずつ放っていたものを一気に放ったのだ、全てが爆発すればそのダメージは計り知れない。
そんな状況にも関わらず粒歩はのんびりと飴を舐めていた。


「あーぁ、サンプル収拾出来ないじゃないか」


至極残念そうに呟いた後、片手に携えていた刀を緩く一振りする。


「天地引斥、乱れし狂え…天竺牡丹」


持ち手からしゃらしゃらと溶ける様に形を変え、教鞭の様な形になる斬魄刀。
それを見た虚が残る前肢をうねらせ一笑する。


「くふ、はは!その様なモノで防ぎきれるものか!爆ぜろ死神!」
「爆ぜるのはお前の方だよ、サンプルが無くなるのは心苦しいが──いや、訂正しとこう、サンプルは腕一本で十分だ。天竺牡丹っ」「──…な、!?」


虚が息を飲んだのも仕方ない。ひゅん、と一振りした鞭の動きだけで蟲達は動きを変え、隊列を組み替えて真っ直ぐに虚目掛けて飛び込んでいくのだから。
其こそが天竺牡丹の能力。複雑な計算と引き換えに斬魄刀の有効範囲内に入った物全てのベクトルを操作出来る、能力。


どぉお…ん…!


最期の一声さえ残すこと無く消えた虚に瞳を細め、満足げに笑みを漏らす粒歩。その顔はまるで造作無いことと言わんばかりの表情だった。
此れこそが、まだあどけなさを残す粒歩の、隊長としての実力だった。


「やっぱり予想通り時限式だったか、と…そんなこと言ってる場合じゃないな。生きてるかーい?」


粒歩は斬魄刀を刀の形状に戻し、鞘に納めた後にふと思い出した様に倒れ伏した少女の元へ向かう。
言葉での返事は無かったものの僅かに瞼が震えたのを見て取った粒歩は遅れて追い付いたサンプル摂取班へと声を掛ける。


「…○○壱番と○四七番の棚から臓器のスペア持ってきな、出来る限り急いで」


粒歩の指示に従ってサンプル摂取の為に手にしていた道具を全てその場へ置いてきびきびと動く局員達からは普段とは違う粒歩の顔が見え隠れする。
櫻子の元まで歩み寄った粒歩は大怪我を負いながらも未だ微かな呼吸を繰り返す櫻子を目にして瞳を細めた。


「根性あるね、お前さん。嗚呼、霊力のお陰かな?」
「あ、なた、は…」


手持ちの補肉剤を手足の傷に打ちながら意識を繋ぐために言葉を掛ける。
こぷ、と唇から血を溢れさせながらも視界に捉えた己よりも幾らか幼げに見える少女の姿に櫻子は瞳を丸めた。
櫻子の驚きも止まぬ内に、折り返した局員達が携えてきた指示通りの臓器を補肉剤を使って繋ぎながら粒歩は幾度か声を掛ける。


「もう大丈夫、」
「心配要らない」
「私に任せな」


柔らかく言葉を紡ぎ、粒歩によってみるみる内に修復されていく体に櫻子の呼吸も落ち着き始める。
手早くすべての処置を済ませ、血濡れた手にも構わず柔らかく髪を撫でる粒歩の掌に櫻子は言い知れない安堵を覚えた。後々の櫻子は、柔らかな茶色の髪と赤いフレームの眼鏡が焼き付いたのもこの時だと言う。


「これで良い、少しじっとしてれば治る」


足りない血を補う為の血液製剤を櫻子の口に押し込みながら粒歩は呟く様に治療の完了を知らせた。


「虚の残骸は回収したかい?」
「はい、サンプルになりそうな物は隊長が切り落とした前肢のみですが」
「それだけありゃ充分だ、退くよ」
「ま、待って、くださ…」

局員と幾つかの会話を交わし、櫻子に背を向ける粒歩に掛けられたか細い声。
ゆるりと振り返った少女の眼鏡に、緩慢に上身を起こした少女の姿が映り込んだ。


「あなた、は…?」
「…護廷十三隊、十二番隊長、雅峰粒歩。ま、ただのしがない研究員だね」


質問を許すのは其処までだと言わんばかりにそれだけを告げるなり櫻子に背を向け、既に標本瓶の中へ詰められた虚の前肢を小脇に抱え歩き出す。
その堂々たる小さな背中を見送りながら櫻子はある決意を固めていた。





衝撃に満ちた出会いに始まった二人。
十二番隊に新しい副隊長として御子川内櫻子が選ばれ、狂喜する櫻子を見てあらゆる死神が隊の行く末を憂えたのはまだまだずっと後の話。

fin.

邂逅-弐-

「きゃああっ」


静かな夜空に、吸い込まれる様に悲鳴が響いた。




-邂逅- for弐




朧夜命は真央霊術院の学生であり、死神見習いとも言うべき立場である。
彼は今、疾走していた。

ただ一つの魂を守るため、ただそれだけに。


───…

この世が有ればあの世もある。ただしあの世は飛ばされる場所が悪くない限り比較的快適に過ごせる。


尸魂界。


其れが俗に言うあの世の正式名称である。

流魂街と瀞霊廷に分かれている其処は、死神が治安を守る世界。


鎌を持って生者を追い掛けるのではなく、日本刀を持って死者を追う者。其れが尸魂界に於ける死神の定義。

そして死神になるには、己自身でその力に覚醒するか、真央霊術院と言う学校に入って六年間の鍛練に耐え抜くかのどちらかしか方法はない。


朧夜命の場合は後者だった。
但し、死神としてのずば抜けた才覚を持ち、入学一年半にしてカリキュラムのほぼ全てを終えようとしていた。所謂エリートである。

その彼が疾駆している、理由。

それは一人の少女の為だった。



確りとした造りで建てられた家の庭。

本来ならば直ぐに終わる筈の訓練だった。況してや命程の実力を持っていれば何の支障も来さない、簡単な魂葬と虚退治の筈だったのだ。
しかし、現れた虚は通常の倍ほども、もしかするとそれ以上の圧倒的な霊圧が有った。


巨大虚。


現れる筈の無い其れに引率の死神が狼狽え、時が止まった隙に、不思議そうに辺りを見回していた魂葬対象の少女が奪われた。

少女は桃色の髪をふわりと揺らし、何が起きたかも解らないと言った体で虚の掌の中に収まっている。


恐らくは、己の死を悟るよりも早くに。



踵を返す虚に一番に反応したのが朧夜命、ただ一人だった。
虚が跳躍して場を離れようとする。
遅れて響いた絹を裂くようなか細い悲鳴に漸く周囲の時は動き出す。
その時には、既に巨大虚と朧夜命の姿は無かった。



────

「っクソ、速いやっちゃな…!」


自分の相棒たる斬魄刀ではなく、院生に支給される浅打しか持たない命には獲物に追い付くしか相手を止める手だてはない。

院内でも一、二を争う駿足を駆使しても、中々二つの影の間は縮まらない。

命の息が乱れ始めた頃に、初めて虚は動きを止めた。


「今日はツイてらぁ、美味そうな魂が二匹も居るたぁな」


くく、と不快な笑い声が命の鼓膜を擽る。
せり上がる嫌悪感を隠しもせずに命は浅打を構えた。


「お前まだ死神じゃねぇな?院生ってヤツかよ、それにしちゃ随分反応が良いが…こいつを助けて英雄でも気取るつもりか?」
「うっさいボケ、お前に関係無いやろが」


言葉を紡ぐ最中にも巨大虚は弄ぶ様に少女の体を握り締める。
巨大な猿の様な姿をした其れの、筋肉が隆起する。
みしみしと言う音を立てて軋む少女。
意識を失う直前で締め付けから解放され、更に繰り返されるその行為に、命はヂリリと霊圧を押し上げて対峙する。


「かは、っ…ぁ、」
「そらそらどうした死神もどき、早く俺を倒さねぇとこいつから食っちまうぜ?」


わざとらしく見せ付けるように巨大虚が少女に向けて仮面と共に中の口を開いた瞬間。

浅打を構えていた命が、消えた。


「!?」
「俺なー、良う誉められんねん。俺の歳で此処まで瞬歩使いこなすんは凄いねんて」


ひたり。

巨大虚の首筋に当てられた刃。
意識の外からの攻撃に、口をあんぐりと開けたまま虚は硬直した。のんびりとした命の語り口すらひやりとした殺気を感じさせている。


「一回でコイツお釈迦になるし、使いとぉ無かったけどしゃーないな。取り敢えずお喋りで詠唱時間くれておおきに」


ばちばち、と浅打が白い雷を纏い始める。


本来ならば院生の扱う浅打程度では傷の付かない体である筈の巨大虚。しかし其処へ鬼道を纏わせ攻撃力を付加すれば──…、


「、待っ「去(い)にや」


ざんっ、

ぽつりと漏らされた一言の後、血の雨が降り注ぎ、呆気なく頭を無くした体は大きな音を立てて地面に倒れ伏す。
さらさらと昇華され始める其れよりも先に少女は命の腕の中に居た。


「あ、あの、」
「…何や、服が汚れたとかは聞かんで」
「いえ、その、…ましろ、どうなっちゃったんです、か…?さっきの化物とか、貴方、とか…しかも、何だか胸に鎖が…」


当然の疑問だった。

しかしこの怯えきった少女に一つ一つ伝えるには時間が無い。直に巨大虚が現れた地点に死神が降り立つ事は解りきっている。

勝手に動いた自分はその時何らかの処分が下されてしまうかもしれない。少女の事は巻き込みたくなかった。


「大事な事だけ言うから覚えてや。一、お前はもう魂だけ、つまり死んでしもうとる。二、此れから俗に言うあの世に送る。何処行くにせよ必死で生き抜け、以上や」


鬼道を無理矢理纏わせた所為で無惨に溶け落ちた刃の斬魄刀の柄を握り直し、柄尻を少女に向けながら口早に言葉を紡ぐ。


「死ぬのに、生き抜け…?」


大きな瞳を瞬かせ、いとも容易く己の死を認めた少女は不思議そうに呟いた。

矛盾している、その言葉の意図を図りかねて首を傾げる。


「行ったら解る、此れから送ったるからな」
「あ、ま、待って…!」
「何やねん、時間無いねんて!」
「あの、貴方のお名前…聞かせてください。ましろは死んじゃったみたいだけど、命の恩人って言うか、化物から助けてくれた人、ですし」


柄尻を額に押し当てようとした瞬間の問い掛けに思わず瞬く命。
ここまで素直に自分の死を認めた者も少ないが、死神の名を訊いてくる者はもっと少ない。


「……朧夜命や。別に覚えんでもええ」
「朧夜、さん…あの、有難うございました。ましろ、本当に吃驚しちゃって…名前、知ってたらあの世でも探せるかなって…」
「…俺を?見付けてどないするんや」
「……ご恩返し、します。ましろ、生きてた時より生きてる気がするから」


えへへ、と笑った少女の額に柄尻を当てて印を押す。

さらら、と消え始める体に驚いた様に少女は命を見上げるも、霊子の崩壊は止まらない。


「死神や。」
「…え?」
「死神になり、お前霊力あるみたいやしガッコさえ入ったらええとこ就くやろ。その頃には俺は隊長になっとったる。そしたら探さんでも俺の名前は耳に入る」
「死神…、」


ぽつり、か細く呟いて少女の姿は、消えた。
後に残った命は、複雑な面持ちで救援の死神が来るまでその場に佇んでいた。




───…数年後。


「すみません、遅れましたーっ!」
「着任日に遅刻とはええ度胸やないかボケ、ぇ…?」


少女への宣言通りに異例の早さで二番隊の隊長に上り詰めていた命に鮮烈な出会いが待っていた。
見覚えのあるその顔に飛ばし掛けた罵倒も勢いを無くす。


「お、おま…」
「四十物ましろ、二番隊副隊長及び警邏隊隊長として、本日付で配属されました!」


直立しながらもにっこりと笑う少女。
それは間違いなく、あの日魂葬した少女だった。


「あ、四十物…」
「ん?ましろで良いですよ、隊長」


堅苦しいの嫌ですからね、とぼやいた彼女──ましろの死覇装は確かに堅苦しさから程遠くカスタマイズされていた。
それに苦笑しながらもぽつりと呟いてみる。


「ましろ、」
「何ですか、隊長?」


呼んだら応える。当たり前の様に思えて、幸せなこと。

死者の多い二番隊では中々名を覚えるに至らない。其よりも先に死ぬ確率の方が高いからだ。前の副官もそうだった。
呼んだら応えろとしつける前に任務で命を落としてしまった。
だから、生まれて初めて守ったこの少女の魂は傷付けまいと、固く心に誓う。


此処から長い長い二人三脚が始まる。かけがえ無い二人の、物語。


fin.

邂逅-for弐・改-(創作護廷十三隊)

創作護廷十三隊、二番隊の過去話。

四十物ましろ→現在二番隊副隊長
朧夜命→現在二番隊隊長

淋己→現在四十物ましろの斬魄刀










お前が死するその時は

俺が死するその時だ。


俺が死するその時は


お前が生き抜く、一瞬だ。





邂逅-for弐・改-




少女──四十物ましろと出会ったのは、忌々しい人間に酷い火傷を負わされた、そのすぐ後だった。


「大丈夫!?」


俺を見るまでふにゃんと柔らかかった表情が、一瞬にして強張ったのを今でも鮮明に覚えている。

しかしその時の俺の感想は酷いもので、言葉に表す事は出来ない。
ただただ、逃げなくてはと思っていた。


人間は恐ろしい。


ただその一念だけで後ずさった俺を、抱き上げた腕のか弱さにも気付かずに、強く爪を立てて。

主は覚えていないらしいが、俺は全く酷いことをしたと自己嫌悪に襲われる羽目になる。

きゃ、と聞こえた悲鳴にも構わずに逃げ出した、筈だった。


「お前の猫か?こいつ、首輪付いてへんみたいやけど」


ひりついて痛む首筋の皮膚を遠慮無くつまみ上げられ、ぶら下げられる事になった。何故か。
きっとこの時俺が喋れていたなら、この男を力の限り罵倒していたに違いない。

朧夜命。

俺を捕まえたその男は、後々そう名乗った。その前にひょいと主の方へ俺を放って寄越したが。


「わわ、酷いじゃないですか、こんなに怪我してる子を!」
「…猫捕まえるんは其処が常套やろ」


妙な訛りを使う朧夜命は、些か眉を顰めて言い訳するように言葉を紡ぐ。

どちらもその時の俺にとっては畏怖の対象でしか無かった、の、だが。


その直後そんな事はどうでも良くなる。

何故かその日から、俺と少女と、青年の妙な生活が始まってしまったのだから。



──…

主──ましろは生まれつき体が弱かった。その所為で誰にも見付からずに死んでいただろう俺を、病院の裏地で発見した訳だ。

行き場のない俺は何故か四十物ましろと朧夜命の世話になることと相成った。

安心して眠る為の段ボールの小屋、少しずつ与えられる病院食の残りやおにぎりを解したもの。

ましろも朧夜も、瀕死の俺を励まして手当てを施してくれた。


…人間の中にも少しはましな者が居るのか、と感心した。

ふにゃりとした少女の表情に癒され、時折目の前で起きる俺に関する自慢話。

指を舐めただの、鼻先に口付けてくれただのと言う二人のやり取りは、とても微笑ましかった。

ヒトが言う家族とは、きっとこんな物だ。一時はそう思いさえした。



…それを壊したのは、俺自身。



───



突然だった。

清掃業者だか何だかと言う人間が、伸びきった草に隠された俺の家を壊し、草を刈り取って隠れる場所を奪っていった。

その頃にはもう、火傷は痕を残すのみで、痛みは無かった筈だった。しかし、とても胸が痛かった。


にゃう、


掠れた声で呼んでも、ヒトの言葉を喋れない俺はましろを呼べない。

嗚呼、これはきっと一人立ちの時なんだ。

無理矢理にそう思おうとして、やっぱり無理だった。

こっそりと病院の裏地を抜け出して、何処かで一人暮らせば良い。餌の取り方は体が覚えるだろう。

そう考えて、ましろの居る辺りを見上げて、草を刈られて坊主になった地を見遣って、それから。


この時俺が、空き地を離れずに待っていたなら、運命は変わった筈だ。



結果、四十物ましろは、俺を探して病院を抜け出したらしい。
俺を見付けた朧夜命が教えてくれた。

その命の、終わりを。

居たたまれなかった。とても。だから現実から逃げる様に、朧夜の腕から飛び出した。

白い車のライトの前へ。

かなりの速度で近付く其処に飛び込めば、きっと救われる気がした。ましろの傍へ、行きたかった。
だから、初めて会った時、ましろにそうした様に朧夜の手に爪を立てて、飛び出した。



ききーッ、どん…っ



「…阿呆、何しとんねん…。折角この俺が見付けたったっちゅうのに…──、」


予想していた大きな衝撃は、来なかった。

本来なら俺を吹き飛ばす筈のそれは、何故か朧夜が受け止めていた。否、朧夜が俺を抱き竦める様にしていたと言うのが正しいのか。

…俺は意図せずにして守られてしまったらしい。


余計な真似を、と言う言葉が脳裏を過った。

しかしそれよりも早く、馬鹿野郎と叫びたかった。俺にも衝撃の傷は来ていた所為で、上手く鳴けなかったが。


徐々に冷たくなっていく朧夜と俺の体。

嗚呼、これでは何の意味もない。

運命が変わるにはほんの少しの理由で良かったのに。



俺が火傷を負わされなかったら。


ましろが俺を見付けなかったら。


朧夜が俺を捕まえなかったら。


俺が吹きさらしの空地でましろを待っていたら。


俺が大人しく朧夜に捕まっていたら。


どれもIFの話でしかない、しかし何れかはこの最悪の運命を避けられたかもしれない。

無力な自分を羞じる。


俺の、自身に対する最期の憤りの咆哮は、ましろが教えてくれた獅子の其れに、よく似ていた。


───



気付いた時には、俺は見知らぬ景色を見ることが出来るようになっていた。

ぼんやりとした輪郭を保つそれらは、白に統一された部屋。
無機質で、とても静かで、俺が触れると不安定に揺れた。

此処は何処だ?

先ず浮かんだ疑問。

俺は、朧夜はどうなった?

次に浮かんだ疑問。

混乱する俺の耳に一言、言葉が紡がれた。



「此処は四十物ましろの精神世界だよ、“侵入者さん”」


精神世界?

この真っ白で無機質な部屋が、あの優しいましろの精神世界だとでも言うのか。
質問の代わりに剣呑な視線を返してやる。

俺に向かって言葉を紡ぎ出した影は、ゆらりと一歩俺に近付いた。


「よっぽどましろに逢いたかったんだね、霊体に霊圧として融合するなんてさ。…でもそれじゃ俺が困るんだ、ましろの精神世界は俺の居場所なんだから。もうすぐ俺は呼ばれるんだ、呼び掛け続けて、漸く!」


狂喜すら交えて語る相手にぐるる、無意識に威嚇の声を漏らせば影は楽しそうに笑って見せた。


「だから邪魔しないでよ」


くつり、漏らされた笑みに思わず全身を逆立てる。
と、不意に力が増した気がした。

唸り声が低くなり、視界に入る前肢は徐々に大きく、獅子の其れへと変化していく。
影が驚く間に、俺は獅子へと変身を遂げていた。
目の前の影は些か驚いた様に数歩後退る。


「な、何で…ましろ、俺よりこいつを選ぶってのかよ、お前の中ではそんなにこいつの存在がデカかったのかよ!」


轟、

たじろぐ影へ向かって吼えれば、それは忽ちのうちに小さくなっていく。
ましろの精神世界の支配者は、其れでも諦めはしなかった。


「っらぁあ!」


何処からともなく取り出した刀で俺に向かってくる。

俺はその刃を牙で止め、噛み砕いて、そして──…。



───



「…淋己?」
「──、何だ?」


不意に掛けられた言葉に思わず肩を跳ねさせる。
もう柔らかな桃色の髪は見えない。
其れと引き換えに、俺はましろの、主の斬魄刀と言う立場を得た。
主の呼び掛けで今は修行中で、そんな最中にぼうっとしていた自分に気付く。


「らしくないよ?何か有った?」
「いや、何も…ただ少し、考え事をしていただけだ。どうすればお前のその自己犠牲的な戦い方を何とか出来るのかをな」
「う、…ましろにはこの戦い方が合ってるんですーっ」
「馬鹿を言うな、そんな体で」


ずばりと指摘してやれば途端に黙り込む主。
だってーとか、聞いてる?とか、絶対に聞いてやらない。

俺が、全てを記憶しているとは言わない。

都合の良い事に、此方に送られた時点で主も朧夜も記憶を失っていたらしいから。



決して、決してこの記憶は漏らさない。



例え戦闘で刃折れ、役立たずとなっても、決して。

最期の一瞬までも付き合う、それが俺の奪い取った座の、使命。




──俺が死するその時も、

決して泣いてくれるなよ。





fin.

あぁ、ねぇ、大好きだよ

大好き、





大好き。





天鼠サンを包む全てが、





大好きだよ。







生まれは冬、六連星の南中と共に。



色の抜けた、白い白い姿で。



一族は嫌悪したけれど、両親はとても愛してくれた。


“俺”も、両親を愛していて、そしてそれは呆気なく壊されてしまったのだけれど。




だからこそ“俺”は、大切なものに出会えて



色んなことを知った。




正しい道を歩んだとは思わない、


後悔も山ほどあるけど、




天鼠サンは、今。







天鼠サンの周りのすべてが大好きです。





fin.


独白

過去

@悪魔の回想@







魔女め、くたばれ!


わぁわぁと騒ぐ人間。


柱に括り付けられた女。


  (あぁ、あれは僕の母さんだ)



朗々と罪状を読み上げる声。


よく乾かした薪へと放たれる、火。


服の裾に炎が移っても虚ろな、漆黒の瞳と目があった瞬間、



僕は引き攣れた悲鳴を上げた。


   (歓喜の叫びだったかもしれない)





…―…―…



悪魔の子を孕んだ女は狂うと聞いた。


僕は悪魔で(その時は全く気づかなかったのだけれど)、僕の母は確かに狂っていたのかも知れない。


常に生気のない瞳をうろうろと彷徨わせ、机に話しかけ床に口付けていたのは覚えてる。


偶に目が合えば微笑んで、綺麗なお人形さんねぇ、何か食べる?と、石を出すのが常だった。


別に罪悪感を感じたことはない。



僕が生まれた事で狂ったのか、それ以前からおかしかったのかは分からなかったから。



その頃の僕は自分が人でないのすら知らなかったし。


丁度魔女裁判が始められた辺りだったと思う。僕の記憶が正しければ。



母さんが訴えられるのは時間の問題だったのは分かってる。


自身は狂人、産んだ子は黒髪に蒼い瞳。


こんなにも小さな村で異質な存在を、人が放っておく筈がない。



案の定、ってヤツだよね。



母さんは怯えることも暴れることもしなかったからトントンで裁判は進んで、あっという間に火炙りなんて事になって。


それでも僕は特に止めたりはしなかった。




何が起きているのか理解できないままに話が進むのが早過ぎたのと、自分の保身。



せっかく生まれたんだからまだ死にたくなんかない。


その時僕が思ったのはそれだけだった。







母さんの刑が執行される日だって、欠片も動揺しなかった。



母さんの目が、僕を視るまでは。
前の記事へ 次の記事へ