ものすごく久々の投稿です。
Twitterには長文書けないので、こちらにここ1年ほどの出来事を綴っておこうと思います。
(サイトは存在だけ残しておこうかと…時間見つけて書きたい気持ちはあるのよ…)

タイトルでびっくりする人もいると思いますが順番に書いていくぞー(^O^)


まずは去年の9月10日に1年半ほど務めた本屋さんを辞めまして、それと同時にTwitterで(ブログには書いてたかな?)よく書いていた同じ職場だった当時21歳の子と付き合い始めました。

その後すぐに新しい職場で働き始めたのですが、ヘッドセットのし過ぎで毎日頭痛が続き、契約社員だった為契約更新をせずに退職。
そしてまたすぐに12月から某家電量販店の美容家電コーナーで働くこととなりました。

しかし2月の末頃に、生理が来ていなかった為、妊娠検査薬を使ったところ陽性が出ました。
妊娠したことには嬉しかったし、両親やおばあちゃんもびっくりしながらも怒られる事はなく喜んでもらえました。
彼は殴られるのを覚悟して自分の親に話したそうですが「やっぱりな!お前のことだからお金貯めてから結婚よりも、できちゃった婚だと思ってた!」と言われたそうです笑
しかし3月に入ってしばらくしてからはつわりとたまにくる腹痛に悩まされる日々。
乙夜の場合は子宮内に血が溜まっているとかでその影響で腹痛があったらすぐに安静に!としつこく言われていました。
そしてつわりの吐き気はほぼ毎日で、吐く時には胃から食べ物が上がってくる勢いがすごすぎて鼻からも出てしまうくらいでした。汚いですがおにぎり食べたあとは鼻から海苔とかお米粒が出てきていました。
その頃はまだ実家で過ごしていたので、体調がいい時以外は彼にも会えず、会ったとしても1時間ほどで帰るようにしてました。
3月は右手で数えるほどしか仕事に行けず、でも職場の人がいろんな手があることを調べてくれたりして、でも乙夜の中でこれ以上迷惑をかけたくないというのと、体調的にも難しそうだったので退職の話を進めておりました。
そして4月の中旬頃、お腹の赤ちゃんはサイズ的には9週目に入り予定日が11月1日に決まって、次は妊婦検診だから母子健康手帳を貰って来るように言われました。
ドキドキしながら母子健康手帳を受け取りに行って、また後日病院に行ったら悲しい出来事が。

お腹のなかで先週までトクトクと小さく動いていた心臓が止まっていました。

その後先生から説明を受けて、もう1度明日見て変わっていなければ手術になることを言われました。
その時はただ話を聞いてるだけでしたが、家に帰って母の仕事場に電話して話した途端にものすごい量の涙が溢れてきて止まりませんでした。その日の夕方には彼にあって直接話して、一緒に泣いてくれました。
これを書いてる今でも思い出したら涙が出てきます。
病名として稽留流産といって、母体や健康状態などには関係なく染色体異常によるものなので、どんなにあがいてもこの子はここまでしたか成長出来なかったそう。
後日、通ってた産婦人科とは違う大きな病院で手術しました。手術自体は10分程度のもので麻酔をした状態で子宮内を取り除いて綺麗にするものでした。一泊二日の入院だったので手術した日の夜は病院で食べたのですが、手術してもしばらくつわりが続くとかですぐに吐いてしまいました。
ちょうどその日は熊本地震の本震の日だったために、宮崎でもかなり揺れたためさらに心細い思いをしました。
退院の時には彼が迎えに来てくれて、これからのことなどを話し合い、乙夜がまだ彼の両親に会えていなかったため身体が良くなったら挨拶にいって結婚しようということになりました。
術後しばらくは子宮収縮剤という薬(本来は出産後母乳をあげたりすることで子宮は戻るそうなのですが、流産の場合は薬で戻すそう)の副作用などで激しい腹痛と下からの出血が続いて苦しみました…

その後、仕事は辞めていろいろと面倒なことはありましたが6月5日に入籍をいたしました。
結婚して早4ヵ月。
今月からは妊活中にも関わらず理解をしてくれて採用してくれた職場で働かせて頂くことにもなり、これで今よりも今後の為の貯金なんかも出来ると思いやる気に満ちています(*'∀'人)*+

稽留流産と分かった日の夜には106歳のひぃおばあちゃんも亡くなって、厄日なんじゃないかと、これ以上悲しいことが続きませんようにと願いましたが、その後は幸せな日々を遅れているように思います。

Twitterではただ「体調が悪くて、吐いている」ぐらいしか書いてなかったので、ここに綴っておきたいと思います。