話題:2011年を振り返る
別に振り返るほど充実してたわけでもないけど、とりあえず振り返っておくべきかと思って。
何よりもひしひしと感じるのは、1年が過ぎるのが早くなりました。
もちろんそれは体感での話なんだけどね。
例えば小学生の1年間と、大学生の1年が同じ時間軸にいることが不思議に思う。
時間に追われることが多くなったのか、それとも時間に追われることが子どものころにはなかったのか、どっちかはわからないけど考えることは多くなったなあと思いました。
全然今年の振り返りになってないから軌道修正。
最近、電車の中でいろんな大学受験の広告を見ると、あぁまた受験の季節がやってきたんだなぁなんて思います。全然感慨深くなんかないけど。
実際、苦い思い出です。浪人した身で、第一志望には行けてないからね。その第一志望だって格別頭の良い学校でもないし。
3月まで足掻いたけど結局ダメだった。
ただ、何も得るものがなかったとは思わなかったです。それを口にするほど大したものじゃないだろうけど。人生経験としては良かったんじゃない?って程度で。
春はばたばたしてました。ずっと家に籠ってたから、大学に行くだけで必死でした。
全部が全部そうではないけど自分の好きなことを学んでて楽しいから大学さぼらずに行けたんだろうなと思ったりもする。成績は芳しくなかったけど。
夏は燃え尽きてた。他に言うべきことがないくらい薄っぺらい夏でした。
秋頃から、大学生のうちにやりたいこととか、将来のことを考えたりとかし出して、考えと自分の現実との間のギャップに悩み始めました。
ただそれは、絶対に通らなきゃいけない道だろうから、エンジンがかかるのがいつも遅い自分にしては珍しく早かったから、進歩といえば進歩かもしれない。
冬はなんだろう…
自分の中の変化といったら、大学生活にもようやく慣れてきて、大学だけに時間を費やさなくても平気になったことですかね。学外での活動で新しい関わりもできて、まあまあ充実はしてた気がします。
あとは誕生日。遂にティーンを名乗れなくなってしまった(´▽`)
こうして文章にしてみると大したことしてないね。
来年は4記事くらいに跨るダイジェストでも書けるような1年を送れたらいいなと思います。
ではまた。今年はお疲れさまでした!
年越しそば食べてきます(´▽`)
寒いですね。
私の懐も寒いです。
いや実際のところ身も心も寒いんだけど、何よりお金がないと人の心は荒んでいくんだなってことをこの身で証明しています、はい。
\忘年会行きたかったよー!/\お酒飲みたかったよー!/
今月、忘年会含め3つ飲み会全部断ってますからね、金欠で。お年玉までが我慢だと思ってる。もう成人したし貰う年齢でもないんだろうけどね。
学生ニートやりすぎててこのままだと来年の抱負が「働く」になりかねない。物事を始めるまでのエンジンがかかるまでが長いと高校の担任教師に言われていた覚えがあります。事実そう。
あと、常に目標しかりやることがないとダメになるタイプのようです。今年の夏も燃え尽き症候群に陥ってました。大学終わってからすぐだった気がする。大学にいるといっつも課題課題言ってるけど案外課題に追われてるほうがいいのかもしれない。
ダメ人間でインドア派のそんな私ですが、クリスマスはちゃっかりと大阪の中之島でウォールタペストリーを見てきました(´▽`)壁絵タイプのイルミネーションです。ただ、写真撮るのに必死すぎて気付いたら終わってたという。イルミネーションは冬の醍醐味だね。12月の個人的一大イベントでした。
話題:将来の夢
初対面の人たちと討論する機会がありました。
議長「じゃあ順番に、将来の夢でも言っていこうか。」
女子1「え…お嫁さんです、、、」
女子2「私もお嫁さんですね。」
僕「僕もお嫁さんですね。」
釣られた。
本題に入る前に、今のブログのタイトルの由来でも書きましょうか。
小学5年生のときに家庭の事情で引越しをすることになりました。その後も何度か転校を繰り返すことになるんだけども、そのときはずっと住みなれていた場所、長い付き合いの友人がいたこともあって、当時の自分にとっては人生が180度変わるくらいにショックな出来事だったんですね。
そのとき、クラスメートの女の子が自分に告げた言葉が「さよならは言わない」でした。
彼女からすれば、当時の私を励ますために何気なく発した言葉なんでしょう。実際、語尾に☆がついててもおかしくないようなノリだったと思う。けど、それからかなりの年月が経った今でも鮮明に覚えているその瞬間その言葉は、今の自分を作り上げている大事な大事なピースの1つなんだろう。
本題はここからです。内容がデリケートなだけに、文字として今の気持ちを残すかどうか迷ったんですが、今の気持ちを忘れたくないので書き記しました。
先日、友人が亡くなりました。年賀状の宛先を確認しようとした矢先の出来事でした。
その子とは所謂メル友で、実際に面と向かって話したことはなかったんですね。だから、訃報を知ったのも、その子の家族から送られてきたメールでした。
ネットって繋がりができるのも、逆に関係が切れるのも簡単で。
メールやチャットでどうでもいい話を一緒に楽しんでいた相手は勿論、その子の一面であることには間違いない、そこにはなんの曇りもない。けど、僕とその子を繋いでいたのは携帯で。薄っぺらな付き合いをしていたつもりは毛頭ないんだけれど、その子の家族から送られてきたメールがなければ、訃報を知ることすらできなかったということに寂しさを覚えました。
ただ、2度と会えなかったとしても、私の記憶から友人が消えることはこの先ない。だから、さよならは言わないし、言うものでもないんだろうと思った。
その子と出会えたのもきっと何かの縁なんだろう。その出会いには明日にはないかもしれないと思うと、縁というものは、大事にしなきゃいけないものなんだと改めて感じました。子どものころに面倒だと思っていた年賀状の持つ意味を最近やっと分かった気がします。