生存確認
 モズ氷(dcst)@
 2021/2/17 03:17

「下着ドロ?」

耳にした言葉をそのまま繰り返して疑問符を付けたら、テーブルを挟んで向かいに座った氷月が静かに首を縦に振った。

「なにそれウケる」
「ウケてる場合じゃありません。盗まれたのは私の下着ですが、現場はほむらクンの家です」

男が下着を盗まれるなんて、ウケる以外にリアクションの取りようがない。それなのに氷月の反応は真面目そのもので、軽い返しをした俺を責める様に見つめて来る。

「…意味が解んないんだけど」
「解る様にこれから説明します」

カラン、と、グラスの中で氷が崩れて音を立てる。それを合図に、氷月が口を開いた。…顔の半分を覆う、黒いマスクの中で。






女性の独り暮らしと周囲に悟らせない様に、男物の下着をベランダに干すってあるじゃないですが。ほむらクンが独り暮らしなので、それに使う様にと私の下着を渡したんです。…馬鹿、使ったもの渡したらただの変態じゃないですか、未使用に決まってるでしょう。買ってストックしてた分を下ろしたんです。数? 全部で5枚…?ですかね、確か。兎に角、それで渡していたものが盗まれたんだそうです。
最初は、慌てて盗って行ったからほむらクンのものと間違えたのかと思っていたんですが、どうやらそうではない様で。そもそもほむらクンのものは外には干さず室内に干しているそうなので、侵入されなければ盗まれる事はないんですけど…、二度三度と私の下着だけが消えているらしくて。…ええ、一度じゃないんです。これは間違いではないですよね、きっと。
男物の下着がカムフラージュだと確信している、女の独り暮らしだと解っている、というアピール…かと。
そうだとしたら、ほむらクンが危険です。勿論警察に相談もしましたし、帰宅の際は私が家まで送っていますが、家自体が狙われている以上何の解決にもなっていません。女性の独り暮らしに、交際相手でもない男の私が上がり込む訳にもいきませんし、だからと言って女性の友人を巻き込むのも危険です。ひとまず実家に帰るというのも手ですが、家を開ければ今度は侵入され兼ねません。より事態が悪くなる可能性すらあります。
今は兎に角施錠を絶対に忘れない事と、予定にない訪問は相手が知り合いでない限りドアを開けない様にと。そう言い聞かせていますが、先が見えないままそんな対策しか取れず犯人も捕まらないのでは、…ほむらクンの消耗が気掛かりです。
私は男ですから、女性が男に性的対象として見られ、直接的でないにしろそういう目的で狙われ、被害を受ける事がどれだけ怖いのか。…ちゃんと理解してはあげられませんが、想像する事くらいは出来ます。私の前では強がっていますが、間違いなく怖がっている。守ってあげたいんです、ほむらクンを。私に出来る事なら、してあげたいんです。
だからモズ君、協力して下さい。私一人では出来る事に限界がある。出来る事を増やして、早くほむらクンを安心させてあげたい。…その為なら、多少後ろ暗い事も、してみせましょう。






ほむらちゃんとは知り合いではあるが、別に仲良しな訳ではない。俺はほむらちゃんをかわいいと思ってるし何なら仲良くしたいけど、向こうは俺にあまりいい印象を持ってないみたいで、何故か出逢ってからこっちずっと警戒されてる。そんな関係なのに何で俺にこの話をしたのかと思ったが、結びの言葉を聞いて納得した。成程、俺に話を振る訳だ。
警察は見回り強化くらいはしてくれるだろうが、積極的に聞き込みやら何やらで犯人を捜すなんて事までは恐らくしない。被害者が、姿の見えない下着ドロに対抗する術はあまりにも少ない。…あくまで正攻法では、だが。

「俺のちゃんとしてない交遊関係、嫌いじゃなかったっけ」
「私個人の好き嫌いなんてどうでもいいんです」
「…いいね。俺、氷月のそういう所好きだよ」

俺が、ちょっとやんちゃな奴等と繋がりがある事を、氷月は快く思っていないのを知ってる。別にクスリやってるとかヤの付く人達と関わってるとか、そこまではヤバくはないちょっとした不良達だ。それでも、所謂裏という世界にちょっとだけ足を突っ込んでいる奴等。氷月みたいに清廉潔白に、お日さまの下だけを堂々と歩いて生きている奴には覗けない所を覗く事が出来る奴等。
正攻法では得られない情報を得る事は、氷月には出来なくても奴等には出来る。そして、そうして得た情報を氷月に与えられるのは俺だけだった。氷月はほむらちゃんを守る為に、俺ごと奴等を利用しようというのだ。いい度胸をしてる。
清さに固執してる様でいて、大切なものの為ならいとも簡単にその清さを捨てられる。氷月のそういう所が、俺はとても好ましい。

「いいよ。使われてあげるよ、氷月」
「いやに素直ですね」
「素直に頼んでくれたからね。素直に返してあげる」

ふん、と、マスクの中で鼻を鳴らす。胡散臭いと思ってる? 心外だなぁ、言葉に嘘は全然ないのに。
疑わしげな視線に、完璧な笑顔で返してやる。余計に深くなった眉間の皺が面白くて、喉の奥でくつくつと笑った。


話し始めた時は形を保っていたグラスの氷は完全に溶けて、既にただの水になってる。それを一瞥して席を立つ氷月を見送って、ひとりになった座席でスマホを操作。氷月が嫌いな“ちゃんとしてない”交遊関係の奴等に、グループラインで一斉メッセージ。
さぁて、事態がどう動くか。氷月が残していったグラスを煽って、俺も席を立った。

…あいつ伝票普通に置いて行ったな。

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