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劣等感と焦燥感の自己分析

どこにも当てようのない気持ちを吐き出したくなると、ブログに書いてます。つまりは「個人の主観で書いた自己満足日記」みたいなもんです。

あ、どうも芝村です。口の悪さとはっきり歯に衣着せずに話す癖を直したいです。というかもう人生最初からやり直したいです。

最近自分の意見を抑えようと頑張っているのですが、どうもただため込むだけで酒とか飲んでしまうと一気に吐き出してしまいがちです。多分家でじっとしているせいで肥大化したプライドや、現実への夢とか幻想が大きくなっているせいでしょう。適度に外に出て人と話をしたり、人の話を真摯に受け止めるようにした方が良いんでしょうね。

人の話を受け止めると言えば、先日俺が冗談半分で根暗な事を言った瞬間にぼろっかすに否定されて反論する隙もなく、その場の全員が冷たい目で見てきた時がありました。まぁ確かにその人の言う通りではあるんですが、これでも昔に比べたら自分はだいぶ明るい方向にシフト出来たと思っていたのでまぁまぁショックでした。無論その人がその場の会話と昔からの表面の自分を見ただけで言ったのは当然ですが、そういう人たちにはまだ自分が変わったと思われていない、思われないと言う事が努力を否定された気がしたんです。

まぁ大した努力もしてないだろwwwと言われたらなんにも返す言葉が無いんですけどね。


とはいえ、性格を矯正する方法なんてものはなかなかに難しくて「がむしゃらに頑張る」ってだけで何とかなるもんではないですし、そもそも「性格を矯正する事が本当に可能なのか」ということもあります。ある程度生まれ持ったものや、「三つ子の魂なんとやら」なんていう言葉もあるくらいですから、根本的には変わらないでしょう。

問題は「会話の表面でどう穏やかに話すか」だと認識してます。

そして、「人の話から目をそらさない事」「防衛機制をいかに制御するか」も大事です。とは言ってもここに関して言えば自分の疾患ともかかわりが出てくるので一概には言えませんが、これをしっかりやらない事には疾患も治りません。

まぁこの話はこれまでも何度も何度も言ってる話ですので、この辺にしておきます。解決策も未だによく分かりません。次の話への前置きみたいなもんです、長いですけどwwww

それよりも「自分をあえて貶めようとする」ことや「自分を悪者として扱わせようとする」ことを改めなければならないと、最近は感じる事が多いです。これも防衛機制の「自己への向き変え(自虐)」が酷くなったせいな気がします。

例として自分の感情を客観的に見たものを挙げてみますと

「自分がこんな環境でのうのうと暮らしていることへの罪悪感」とか
「自分の感情を最優先して話をしたり、金銭を自己のために使うことへの後ろめたさ」等があります。
こういったことを自虐としてとらえて、そのことへの代価として自分に惨めな体験をさせることで釣り合わせようとする考え方が今の自分にはあると感じています。良い言葉に置き換えると「クソ真面目」なんでしょうねww

他の人はこういった事があっても、「自分に都合がいいように、自分勝手に」考えられる能力があるんだろうなと思います。もちろん「社会的な常識や倫理観をわきまえたうえで」ですけどね。その辺が不器用で上手に出来ない事を「嫉妬」や「憎しみ」に変えてしまっているのかもしれません、全ては自分自身の裁量次第であるのにw

ここんところ、息をするのも疲れるような気分になる事が前にも増して増えました。明日にも死にそうな体と精神を抱えて、それでも無い物ねだりをやめられない。酸素を二酸化炭素に変えるのも大変なもんです。





それでは、次の更新まで生きていられたら良いと思います。ここまで読んでくださった方がいたら僕は握手がしたいです。え?握手より焼肉でも奢れって?それは無理ですねー。万年金欠ですからwwwww

ノシ
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