おばが亡くなり…久々に親族として参列する葬儀。
久々の親族との対面…皆見事に歩くのも気楽でない立派な老人の姿にびっくりした。
その姿に親のさらに老いた時のことを考える。

老いるってすごい修行だなぁと思う。
老人医療は恐ろしく経費がかかる…けれどその実態は姨捨山のようだと云う。
お見舞いに行くと捨てられた人には羨ましく、嫉妬されていじめられることもあるらしい。

老いるを治す薬はない。
すると病院は治療の必要なしと退院させる。入院するためには薬漬けにするのだと云う。
老いるは細胞が枯れてゆく自然の摂理。人も草と同じなのだ。誰かが手伝わなければ寿命は全うできない。

親は命を分けてもらった誰よりも有り難い存在。どんなに偉い人よりも自分のためになることを一番してくれている存在とされていた。
今は…人の情は変わったのだろうか?と思わせる。



この核家族化ので世事情では丸抱えも出来ず姨捨山に預けるしかない事情はある。

老いる…その実態は老いてみなければわからないけれど、老いるは確実に出来なくなること。
老いるは昨日出来ていたことが今日出来なくなること。

そんな恐ろしい状況を支えることも難しい世の仕組み姨捨山の実態。
核家族の良さってなんだろう。核家族では老いの現実は見えないだろう。


生きていれば誰でも老い、死を迎える。そこを確実にちゃんと出来る世の中ならいいのに。

私は親もちゃんと守れるだろうか…と不安になった。けれどこれだけは人として果たさなければならない礼儀。なんとしても守れるようにしなければ…。


話題:身近な死


尊い命の扱いがこんなに粗末に扱われる…。世の中でこんなに困った事態ってあるだろうか。


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