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(PaymoneyTomyPainの「Rain」で)
米津を愛するバンド少女から新譜を勧められる
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何と無くTakaさんが唄ってくださった「Voice」を思い出す
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「Voice」を聴く。ptpの「Home」が聴きたくなる
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「Home」を聴く
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切な美しい連鎖に哀しくなる
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動いているKさんをサーフィンし始める
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哀しみが爆発する
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ptpのターン!!!
と云う流れが昨晩からキております。
Rainも綺麗なのに哀しい曲ですね。
崩れ落ちそうに成る。
話題:今日の音楽
例えばニルヴァーナは
「曲も音も好きだけれど、カートの声が無くちゃあ成り立たない」
と感受しております。
先ずは言葉ありきで、その後に音や旋律が附随する流れでバンドを愛するので、ボーカルありきで好きになると云うのは手前には珍しいパターンなのです。
それは偏にカートの声は(汚ったねぇけど)「哀しみと痛みと寂しさと優しさとカリスマ性で出來ている」と思っているからです、汚ったねぇけど(譲らない主張)。
ptpを知った時、嗚呼カートだ、と思いました。
声は全く似ていないのに。
寧ろ素敵な声なのに。
安易なカテゴライズは不躾無粋と承知の上で、それでも「カートだ」と思ったのです。
Kさんの声も同じ五芒星を描いていると手前の感性が鳴ったから。
こんな哀しい声の人達を、手前の耳と感性と歩幅では他に察知出來ません。
(そして察知出來無いから、もうこの世界の何処にも居ません)