武田神社の宝物殿に川中島合戦図あったんだけど、あれって9枚からなってて、うち右の3枚がよく出る信玄公vs上杉の一騎打ちの図なんだってさ。江戸時代にも人気があって、そこだけ抜き出されて“川中島合戦図”ってされてるのもあるらしいよ。
んでびっくりしたのが左端3枚!昌幸パパの名前が作中に書かれているではないか!!!!!!Σ(゜∀゜;)こいつらもこの3枚で“真田昌幸川中一番乗の図”とされてるらしい。
待て待て待て待て。川中島の確か第4次を描いたんだよなこれ?起きたの何年だ!?ひょっとしたら幸村さまも昌幸パパに従って中にいるかもしれない!?!?
ちょっ…急遽調べる!!!!!!
…残念^^;幸村さま生まれてませんでした。むしろ昌幸氏15で初陣だよ。すげぇな。超華々しいデビューじゃん。
ちなみに幸村さまは昌幸氏21の時に生まれて、7歳の時にもう信玄公は病死してる。お館さまの元で実際に戦うことはなかったのね(´・ω・)でも昌幸氏は目をかけてもらってたみたいだから可愛がってはくれたかな…?そうだといいな(´ω`)
武田二十四将の中にはおじーちゃんと長男のおじさんが入ってるね。昌幸パパは三男。ん…?おじさんが川中島で戦死して昌幸パパが家督継いだんだっけか…?うろ覚えだけど。まあ、なんつーか、信玄公の時代はじいちゃんメインだよな。昌幸氏も幸村さまもまだ若すぎる。
武田の最期もなぁ…信玄公の嫡男が要害山捨てて二十四将の小山田氏の岩殿城に逃げるけど裏切られて自害だもんねぇ。二十四将から裏切りは出して欲しくなかった。
やっぱ武田三代の中でお館さまが一番上手かったんだろうね。戦も統治も。信虎氏が攻め入られて躑躅ヶ崎館を捨てて要害山にこもって、篭城戦中に生まれたのが信玄公なんだってさ。
まあ、お館さまは攻められる前に攻めろ方式だったみたいね。幾ら甲府が地形的に天然の要塞でも館じゃ攻められた時、流石に厳しいの分かってたのかもしれない。
あと、3メートルの槍あってびっくりしたι
長っ!!Σこんなの振り回せねぇよとか思ってたら実戦用じゃなくて大将の馬の前に立ててた槍でした^^;
実戦用は170センチ。身長よりちょい長いくらいね。
薙刀が190から2メートルくらい。まあ、薙刀は女性用だけど。
BASARA幸村さまの槍は2メートルくらいありそうよね。長いなぁって思ってたもん。
穂先は21から28センチ程度。顔くらいかしら…意外とこじんまり。も少し大きいかと思ってた。
甲冑は革製が多かったな。多分、胴は鉄の上から革重ねて、腕の部分は鎖帷子みたいなのがほとんど共通。でも革と革の間は糸の束でぶら下げてるようなもんだから強度的にはどうなんだろう…鉄砲は防げねぇよなぁと思うよ。うん。ほぼ鎖帷子と鉄の胸当てが頼みよね。
腰当ては…かなりぶらぶらしてるし、あんま意味は成してなさそな気がしたι
まあ、うん。今回見たのがほとんど革製だったってのもあるだろうけど。鉄製のもあるし、むしろそっちは20キロとかするずっしりした方なんだろねー(-ω-)
胴回り+帷子だけでも重そうよι
あと鉄砲は50メートル先の板を貫通する程度だってさ。それって十分じゃね?って思うけど。小学校の時にやった50メートル走、それなりに距離はあったように思えるわ。
左近さんだって銃で亡くなってるしねぇ。当時はまだ種子島銃。入ってきたばっかやん。
土方さんの頃にはもう新式のメニエー銃だったりガトリング積んでたりしたけどね。
とりあえずそんなもんかな。
またなんか思いだしたら書く。