スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

ほー!

武田神社の宝物殿に川中島合戦図あったんだけど、あれって9枚からなってて、うち右の3枚がよく出る信玄公vs上杉の一騎打ちの図なんだってさ。江戸時代にも人気があって、そこだけ抜き出されて“川中島合戦図”ってされてるのもあるらしいよ。
んでびっくりしたのが左端3枚!昌幸パパの名前が作中に書かれているではないか!!!!!!Σ(゜∀゜;)こいつらもこの3枚で“真田昌幸川中一番乗の図”とされてるらしい。
待て待て待て待て。川中島の確か第4次を描いたんだよなこれ?起きたの何年だ!?ひょっとしたら幸村さまも昌幸パパに従って中にいるかもしれない!?!?
ちょっ…急遽調べる!!!!!!







…残念^^;幸村さま生まれてませんでした。むしろ昌幸氏15で初陣だよ。すげぇな。超華々しいデビューじゃん。

ちなみに幸村さまは昌幸氏21の時に生まれて、7歳の時にもう信玄公は病死してる。お館さまの元で実際に戦うことはなかったのね(´・ω・)でも昌幸氏は目をかけてもらってたみたいだから可愛がってはくれたかな…?そうだといいな(´ω`)


武田二十四将の中にはおじーちゃんと長男のおじさんが入ってるね。昌幸パパは三男。ん…?おじさんが川中島で戦死して昌幸パパが家督継いだんだっけか…?うろ覚えだけど。まあ、なんつーか、信玄公の時代はじいちゃんメインだよな。昌幸氏も幸村さまもまだ若すぎる。

武田の最期もなぁ…信玄公の嫡男が要害山捨てて二十四将の小山田氏の岩殿城に逃げるけど裏切られて自害だもんねぇ。二十四将から裏切りは出して欲しくなかった。


やっぱ武田三代の中でお館さまが一番上手かったんだろうね。戦も統治も。信虎氏が攻め入られて躑躅ヶ崎館を捨てて要害山にこもって、篭城戦中に生まれたのが信玄公なんだってさ。
まあ、お館さまは攻められる前に攻めろ方式だったみたいね。幾ら甲府が地形的に天然の要塞でも館じゃ攻められた時、流石に厳しいの分かってたのかもしれない。



あと、3メートルの槍あってびっくりしたι
長っ!!Σこんなの振り回せねぇよとか思ってたら実戦用じゃなくて大将の馬の前に立ててた槍でした^^;
実戦用は170センチ。身長よりちょい長いくらいね。
薙刀が190から2メートルくらい。まあ、薙刀は女性用だけど。

BASARA幸村さまの槍は2メートルくらいありそうよね。長いなぁって思ってたもん。

穂先は21から28センチ程度。顔くらいかしら…意外とこじんまり。も少し大きいかと思ってた。

甲冑は革製が多かったな。多分、胴は鉄の上から革重ねて、腕の部分は鎖帷子みたいなのがほとんど共通。でも革と革の間は糸の束でぶら下げてるようなもんだから強度的にはどうなんだろう…鉄砲は防げねぇよなぁと思うよ。うん。ほぼ鎖帷子と鉄の胸当てが頼みよね。
腰当ては…かなりぶらぶらしてるし、あんま意味は成してなさそな気がしたι

まあ、うん。今回見たのがほとんど革製だったってのもあるだろうけど。鉄製のもあるし、むしろそっちは20キロとかするずっしりした方なんだろねー(-ω-)

胴回り+帷子だけでも重そうよι


あと鉄砲は50メートル先の板を貫通する程度だってさ。それって十分じゃね?って思うけど。小学校の時にやった50メートル走、それなりに距離はあったように思えるわ。

左近さんだって銃で亡くなってるしねぇ。当時はまだ種子島銃。入ってきたばっかやん。
土方さんの頃にはもう新式のメニエー銃だったりガトリング積んでたりしたけどね。



とりあえずそんなもんかな。
またなんか思いだしたら書く。


行きたあああああい!!!!!!

安井神社…今ものすごく行きたい今すぐにでも飛んで行きたいだってあんなにはっきり場所が分かってるなんて!!!!!!
崇拝する者としては行かなきゃでしょお!!!!!?しかもすごく緑が美しい所だって話だし。あああああ行きたいいいいいいい!!!!!!!(≧□≦)
ちくしょー…大阪遠いなぁι幸村祭って5月の7日だか5日だかにやってるみたいだけど別にそれに合わせなくてもいいや。むしろ新暦の6月で行きてええええええ!!!!!!!
勿体なくても構わないさ!!!!私の中では時期を逃すほうがよほど勿体ない!!!!!!でも金無ぇ!!!!!(泣)

うう…もう時間ねぇしなぁ(T_T)今年は駄目か…?でも最初は日にち関係なくていいから人の集まらない平日あたりにひっそり行きたいんだ。まずじっくり浸って満喫したいんだ。



…城とかはいいとして最期の地とかはちょっと血生臭いからあんま共感得られないんだよなぁι
だから一人でひっそり内緒で行きたい。



違うやん!Σ( ̄□ ̄;)

和同開珎だとか思ってたのが違ったー!!!!!!ι

文字何て読むんだろ?→アレ…?文字違くね?ι→別物やん\(^q^)/ゲフ




‖orz




…まぁ、時代背景は間違ってないんだけどさ。戦国時代に主に流通した貨幣だし。





◎以下、ウィキ引用↓


“永楽通宝”(えいらくつうほう)

『室町時代に日本へ大量に輸入され、江戸時代初頭まで流通し、永楽銭とよばれていた。 形状は、円形で中心部に正方形の穴が開けられ、表面には「永樂通寳」の文字が上下右左の順に刻印されている。材質は銅製、貨幣価値は1文として通用したが、日本では天正年間より永楽通宝1枚が鐚銭4文分と等価とされた。
慶長13年(1608年)には通用禁止令がだされ、やがて寛永通宝に変わっていった』




和同開珎は右まわりに書かれてんのに、これは上下右左の順に読むんだよねー(--;)紛らわしいι

ちなみに和同開珎は「わどうかいちん」だけど、“珎”は“寶”の略字とされてる説があって、こっちの場合は「わどうかいほう」でいいみたい。どっちもありなんだけど、和同開珎の方が主流って言われてるみたいね。


あー、通貨の歴史もちょっと興味あるかも。調べるか。


うわぁ泣きそ(笑

何が、って感動のあまり…?^^;

すーげぇツボなss見つけちゃったんだ…。忍の在り方と、それに反発する弁丸様の話がすごく好き。幸村さまはそのままおっきくなったようなものだから元服前と考え方も性格も変わらないね。ただ、幼い分だけ感情の制御が効かなくて泣きながら訴えたりするんだけど。

自分にとって大切な人達が、自分達の命を軽んじてたら悲しいよね。でも忍の宿命も分かってて、幼いながらそれは受け入れてる。でも軽んじることは許さない。忍の命が自分のものなら自分の命も忍達そのものなのだ、と。あの幼さで主の風格を現してる弁丸様が最高に好きだ。涙が出るほど好きだ。



悩むぅうぅぅぅ!!!!!!ι

かっこいいよ武将ブレス!!だけどなんで幸村さま紅じゃなくて茶なのさ!!!(;□;)ちょっとちょっとまた自分好みにカスタマイズフラグ!!?んな金ねぇよ!(泣

むー…石が何か書いてくれてねぇんだもん。多分、一番紅って感じは赤メノウで、それが慶ちゃんなんだよね…ぇ、放浪壁があるから“家庭円満”?^^;
まあ、意味でいえば幸村さまは“勝利”のガーネットだよなぁ。色合いがちょっと地味…(-"-;)

色はほんと、赤メノウくらいのが理想なんだよねー。…私、メノウじゃないとは思うけど赤石のイヤリング持ってるし、それでいいか。じゃないと欲しがったらキリがないのォオォォォ!!!!ι

武将ストラップつけるなら六文銭ストラップをつけなさい。
つか歴女がなんだ歴史マニアで何が悪い。開きなおっちまおうかな…。





しかし『天覇絶槍』は間違いなく二次元www\(^q^)/ゲフ



前の記事へ 次の記事へ