このブログ、闘病記になりつつありますね…。
仕方ないよね、アタシが病気運んでくるんだもんヾ(*´∀`*)ノ
いや…、読んでる皆様を憂鬱にさせてすみません。
きのうの初診で、SSRIが効いてないんじゃないかと担当医が言っていました。
とりあえずいままでどおり、SSRIが処方されました。
「三環系は使いたくないんだけどなぁ…。」
ポツリと担当医がこぼしました。
そのうち処方される予感がします…。
病院に行ってからは、久しぶりにかなり調子がよくて、洗濯ができました。お風呂にも入れました。
活動をセーブしてきたのが良かったのか、労作後の疼痛もマシになりました。
ずっと体が痛いのが「普通」だったから、痛くないのが幸せに感じます。
ちょっと無理すると灼熱感と微熱と倦怠感で寝込むので、すこーしずつ頑張ります。
きのう、出発当日にフェリーを予約した母を見送り、一抹の不安を感じていたら、案の定5分後に「携帯忘れた」と戻ってきた(;´ω`)
どんな奇跡がドッキングしたんだか、札幌のアパートにも無事到着したらしい。
私は10時前に精神科に到着。
PSWのアナムネだか問診だかをがっつり30分受けた後、外来のベッドで横になってるとこ。
脚と腰が痛いよ('A`)
なんで臨床心理士じゃないんだろう…??
ちなみに初診前の聞き取りは、病院の方針として細かいらしい。
すばらしいねっ!!
隣のベッドのおばあさんが「私は死ぬんでしょ…?」と孫らしき女性にずっと聞いてる。
スルーし続ける孫(多分)に感服。
カーテンを思い切り開けて「何時間も元気にしゃべってるから、おばあちゃんは大丈夫!!」と笑顔で言いたい気分。
PSWが「呼びに来ますね」と言っていたので、おばあさんが去り午後診までおとなしく臥床。しかし眠れず…。
私の存在が忘れられているんじゃないかと思った頃、やっと診察!!
すべての外来患者が院内からいなくなり、やっと処方薬を受け取ったのが16時半…。
長かった(´;ω;`)
タクシーを自宅まで呼んだんだけど「いつからY病院勤務ですか?前はS病院でしたよね。」と言われて、田舎怖いと改めて感じた((゚Д゚ll))
患者なんですとは言えず…(p兪))
mixiのハチクロコミュを見て、何故か孝悦を思い出した。
涙が止まらなくて、自分でも訳が分からなくて、悲しくて…。
ツラいばっかりの片想いだったけど、やっぱり私は孝悦が好きだったんだ。
これでやっと、自分の中で思い出にできたんだと思うと、少し気持ちが明るくなった。
最近、漢方薬を飲んでる。
服薬生活8年目で、肝臓も限界らしいから、ローリスク・ローリターンでも構わない。
昔は「とにかく効く薬!!」って思ってたけど、リスパとかプレドニン飲んで副作用に泣かされてからは、体に負担のかからない薬を…と考えるようになった。
自立支援法が廃止になるらしい。
問題はこれから先どういう法案を出すか。
面倒だろうから32条に戻すってことにしない??
あ、駄目か、やっぱり(ノ∀`)
追伸(というか私信??)
以前、キーワードにヘ●スって言葉を使ってから、変態コメントが増えてコメ機能を外しましたが、すっかり忘れていました…(汗)
拍手コメをくれてたみんなごめん!!今日読んで泣かせてもらいました(ノД`)゚・。
コメント機能復活したので、どうぞお気軽に使用なさって下さい。
立ってるのがツラい。
洗面所で顔洗うだけで、体中が痛い。
母親は「病院に行きなさい」というけれど、治療法がない病気なのに病院に行く意味があるのか甚だ疑問。
もう病院に期待なんて持てない。
大学病院に半年通って、検査検査。結局は除外診断。
無駄なお金使うくらいなら、家にいたほうがマシ。そう思うのはおかしいかな。
母もうつとパニック持ちだし、私を支えるのは、かなりの心労だろう。
札幌のアパートを引き払うのも、なかなか大家さんに電話できずにいたり、疲れてるのが分かる。
結局、ネットの解約や大家さんへの連絡は私がしたけど、今度は私がイライラしてしまう。
外に出掛けて友達と会ってきた母を見ると、私と暮らしている閉塞感から一瞬解き放たれたのが分かる。
逆シングル介護ってこんななんだろうなって思う。
こんな立場で何も言う資格はない。
段々人としての尊厳が失われていくのが分かる。
アパートを引き払うって言われた時も、口座に入金してもらう時に暗証番号を教えた事も、もう普通の事になってしまった。
おしゃれってなんだっけ??
恋愛何それおいしいの??
世の中に取り残されていくのに慣れていたはず。
だけど、ここまで体が動かないと、自分が持っている権利は、尊厳のあるうちに死ぬ事なのかなとも思う。
毎晩、力の入らない上肢で総脛動脈を切ってしまいたいという衝動に駆られる。
私が死んだら母はここに住んでいられなくなるし、うつもひどくなる。
感電死でもしないかな…。先が見えない闘病は、もう疲れたよ。
小さい頃からずっと、両親はアタシがやりたいと言ったことをやらせてくれた。
習い事も、受験も、語学研修で長期間外国に行くのも、看護学校に通うのも、札幌行きも…。
遠くの大学に行くなとか、地元に帰って来い、結婚しろ…普通の女の子は必ず言われるであろう類いの言葉を、一度も聞いたことがない。
修士に進んだ年に博士号を取れと言われ、いつだってアタシらしく生きられるように支えて応援してくれた。
初任給でプレゼントしたBurberryのバッグを、母は今だに大事にしまったままだ。
「もったいなくて使えない」
いつかそう言ってた。
アタシは、何も恩返しができないまま生きてきた。
旅行に連れていったり、花嫁姿や孫の顔を見せたり…。
でもきっと、どんな状態でも何かできるんじゃないかって思う。
アタシらしく育ててくれた両親に、アタシらしく恩返しができるように、精一杯模索してみよう。
健康じゃなくても、きっと何かできる。病気を知るアタシだから、できる何かがあるはず。