こ
の
世
界
に
女
神
は
要
ら
な
い
あいつはそう言って、今にも泣きそうな顔で、俯いていた。
氷城の首都“セントシュローズ”―
「わぁー!おっきーい!」
すとん、とホームに降りたリズは、駅の広さに思い切り腕を広げた。
「こらリズ、迷子になるぞ」
後から降りてきたヘルは呆れて笑いながら、自在に動く袖のベルトをリズの手首に巻き付ける。
両手にトランクを提げたヘルは人を避けてホームの端に寄った。流石は首都と言った所か、広いホームには何台もの蒸気機関車が停まっており、そこから降りてくる者とそれに乗る者とでホームには沢山の人が行き交っている。
「人がいっぱいだね…大丈夫?」
「人が減れば問題無い」
二人はホームの端に立ち、人々の横行が落ち着くまで暫く待つ事にした。
「ねぇ、ヘル」
「何だ?」
「お友達は此処に居るんでしょ?」
「そうだ」
「会いに行くの?」
リズは手首に巻き付いたベルトを握りゆらゆらと揺らしながらヘルを見上げる。
「ああ、頼みたい事もあるからな」
「頼みたい事?」
見上げてくるリズに微笑んだヘルは、大分空いてきたホームを歩き出す。リズもベルトに引っ張られるようにしてそれに着いて行く。
「まずは中央区に向かおう」
「中央区?」
「セントシュローズの中心街、国王の城がある所だ」
「お城!」
城と聞いて、リズは興奮した様にぴょんぴょんと跳ねた。
「そうか、見るのは初めてだったな」
言いながらヘルは駅員に二枚の乗車券を渡し、リズを連れて改札を抜ける。
駅を出ると外では雪が降っていて、駅前の煉瓦畳みは白い絨毯でも敷いたかの様にどこまでも真っ白だ。
ヘルはトランクから出した帽子をリズに渡し、自分もコートのフードを深く被った。二人は消えかかった幾つもの足跡の上に新しく足跡を重ねながら歩いていく。
「中央区までは此処から歩いて1時間位だが…どうする、馬車を拾うか?」
「ううん、街を見て歩きたい」
見て分かる程にはしゃいでいるリズは、ヘルのベルトをしっかりと握りながら歩いている。その様子にヘルも微笑み、リズの歩幅に合わせゆっくりと歩る。
柔らかく降り積もる雪は、付けたばかりの二人の足跡もすぐに消していった。
鈍い痛みに目を開けると、オレンジ色の灯りと共に見慣れぬ板張りの天井が視界に入った。ぼーっと眺めて、漸く、男は此処が何者かの家であると把握する。
(どこだ…僕は、どうして…)
ぎこちなく体を起こし、部屋を見回す。然程広くはないが、丸太で組まれた壁や部屋にある家具からも年期の入った家である事が窺えた。
不意にカタリと、部屋の向こうから人の気配がし、男は力の入らない体で身構える。部屋の扉に視線を向けていると、暫くしてゆっくりと扉が開いた。
「あら、起きたのかい?」
扉を開けたのは、まだ腰の曲がっていない初老の女。予想外の人物が現れ、途端に全身の力が抜ける。
「まだ横になっていて良いんだよ、身体中傷だらけじゃないか」
歳の割りに体格の良いその女は、眉を下げ微笑みながら部屋に入ってきた。
「…誰…?」
「私は此処の駅員、マリーヤさ」
そう言う女、マリーヤは分厚いカーディガンの左胸に付けた銀のプレートを指す。どうやらそのプレートが駅員章らしい。男は一通りマリーヤを見つめ、安心したのか、ゆっくりと体を横たえる。
「あんたの名前は?」
「……トーマ…」
「トーマ!」
男の名を聞いて、マリーヤは興奮した風に手を鳴らす。
「白き四祖龍様とおんなじ名前じゃないか!良い名前だねぇ」
(四祖龍信仰、か…)
トーマは小さく溜め息を吐き、眼を輝かせるマリーヤから視線を反らした。
この世界の始まりに関わったとされる四人の“四祖龍”。それは誰もが知る伝説であり、信仰か畏怖かの両極の存在でもある。そして、四祖龍を信仰する者は決まって「女神は破壊者」だと言い、四祖龍を畏怖する者は決まって「女神は救世主」だと言う。
この世界を始めた“黒き神”が唯一愛した“女神”。かつては愛の象徴として祀られていた彼女だったが、いつしか人々はこの世界の異変の全てが“女神”のせいだと言い出したのだ。
(何も知らないくせに…)
「トーマ」
マリーヤに呼ばれ、トーマは気だるそうに顔を向ける。彼女はいつの間にかベッドの横の小さな丸太に腰掛けていた。
「傷が治るまで家に居て良いからね、何ならずっと居ても良いんだから」
そう言うマリーヤに、トーマはゆるゆると首を横に振る。
「僕は、追いかけないと…」
「追いかける?誰をだい?」
首を傾げるマリーヤを尻目に、天井を仰ぎながらそっと自身の右目に手を添え、トーマは小さく微笑んだ。
「僕の、女神を」
「城が見えてきたぞ、リズ」
顔を少しだけ向けたヘルが言うと、リズははっとして顔を上げる。
「あれがルディオンの中心、コートゴート城だ」
“宮廷の山羊(Court Goat)”の名の通り、背の低い城には不釣り合いに大きな二つのオブジェ、正に角のようなそれが曇り空に向かって突き出していた。
「わぁっ、すごーい!」
「そうだろう?」
リズの喜ぶ様にヘルも顔を綻ばせる。
白銀の城の周囲に塀や柵といったものはなく、代わりに背の高いガス灯が等間隔に並んでいる。
二人は足を進め、城の正面、巨大な扉が見える所までやってきた。
そこまで来て漸く、リズはその異様さに気付いた。見えてきた扉はとても人間が開けられるような大きさでは無く、扉と言うよりは門に近いようだ。
そして何より異様なのがその門の前に鎮座する、それに見合った大きさの、白銀の龍。彫刻にも見えたが、龍を包む白銀の羽毛が冷たい風にふわりとそよいでいる事から、それが本物であると分かる。
長い首の先に鳥のような頭を付け胴体の殆どが羽毛で隠されているその龍は、眠っているのだろうか、先程からぴくりとも動かない。
「門番だ」
リズの視線に気付いたヘルが、龍を見上げながら言う。
「俺以外の龍を見るのは初めてか」
「うん…すごく大きいんだね…!」
「あれでも小柄な方だ」
そうは言われても、龍の目の前まで来たリズが目一杯顎を上げても、龍の頭を見る事は難しかった。
「グリフ!」
真下からのヘルの一声に、龍はこれでもかと瞼を持ち上げ首を曲げた。見開かれたアイスブルーの瞳に小さな二人が映る。
『先輩!先輩じゃないか!』
頭上から降ってきた若い男の声に、リズは思わず肩を竦める。
「門を開けてもらえるか」
『勿論さ!』
ヘルの訪問が余程嬉しいのだろう、龍は興奮気味に鼻を鳴らし立ち上がった。龍の頭が更に遠くなる。犬が後ろ足で立ち上がるのと同じく、この龍も長い首と前足でバランスを取りながら体を伸ばす。
「セントシュローズ名物、門開きだ」
龍の首が伸びる先には、先端に大きな輪の付いた太い鎖。鎖は城の二本の角を通り、どうやら門に繋がっているらしい。
龍は嘴で輪を食むと、体重を掛けながらゆっくりと鎖を引き下ろしていく。ゴウンゴウンと門が唸り、巨大な門が少しずつ口を開ける。
「凄い音!」
両手で耳を塞ぎながらも、リズは楽しそうに笑う。ヘルも笑顔で返し、門が開ききるのを待った。
この世界に要らなかったのはお前じゃなくて、俺だった。