スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

【first】03


















あいつはそう言って、今にも泣きそうな顔で、俯いていた。










氷城の首都“セントシュローズ”―

「わぁー!おっきーい!」

すとん、とホームに降りたリズは、駅の広さに思い切り腕を広げた。

「こらリズ、迷子になるぞ」

後から降りてきたヘルは呆れて笑いながら、自在に動く袖のベルトをリズの手首に巻き付ける。
両手にトランクを提げたヘルは人を避けてホームの端に寄った。流石は首都と言った所か、広いホームには何台もの蒸気機関車が停まっており、そこから降りてくる者とそれに乗る者とでホームには沢山の人が行き交っている。

「人がいっぱいだね…大丈夫?」
「人が減れば問題無い」

二人はホームの端に立ち、人々の横行が落ち着くまで暫く待つ事にした。

「ねぇ、ヘル」
「何だ?」
「お友達は此処に居るんでしょ?」
「そうだ」
「会いに行くの?」

リズは手首に巻き付いたベルトを握りゆらゆらと揺らしながらヘルを見上げる。

「ああ、頼みたい事もあるからな」
「頼みたい事?」

見上げてくるリズに微笑んだヘルは、大分空いてきたホームを歩き出す。リズもベルトに引っ張られるようにしてそれに着いて行く。

「まずは中央区に向かおう」
「中央区?」
「セントシュローズの中心街、国王の城がある所だ」
「お城!」

城と聞いて、リズは興奮した様にぴょんぴょんと跳ねた。

「そうか、見るのは初めてだったな」

言いながらヘルは駅員に二枚の乗車券を渡し、リズを連れて改札を抜ける。
駅を出ると外では雪が降っていて、駅前の煉瓦畳みは白い絨毯でも敷いたかの様にどこまでも真っ白だ。
ヘルはトランクから出した帽子をリズに渡し、自分もコートのフードを深く被った。二人は消えかかった幾つもの足跡の上に新しく足跡を重ねながら歩いていく。

「中央区までは此処から歩いて1時間位だが…どうする、馬車を拾うか?」
「ううん、街を見て歩きたい」

見て分かる程にはしゃいでいるリズは、ヘルのベルトをしっかりと握りながら歩いている。その様子にヘルも微笑み、リズの歩幅に合わせゆっくりと歩る。
柔らかく降り積もる雪は、付けたばかりの二人の足跡もすぐに消していった。




鈍い痛みに目を開けると、オレンジ色の灯りと共に見慣れぬ板張りの天井が視界に入った。ぼーっと眺めて、漸く、男は此処が何者かの家であると把握する。

(どこだ…僕は、どうして…)

ぎこちなく体を起こし、部屋を見回す。然程広くはないが、丸太で組まれた壁や部屋にある家具からも年期の入った家である事が窺えた。
不意にカタリと、部屋の向こうから人の気配がし、男は力の入らない体で身構える。部屋の扉に視線を向けていると、暫くしてゆっくりと扉が開いた。

「あら、起きたのかい?」

扉を開けたのは、まだ腰の曲がっていない初老の女。予想外の人物が現れ、途端に全身の力が抜ける。

「まだ横になっていて良いんだよ、身体中傷だらけじゃないか」

歳の割りに体格の良いその女は、眉を下げ微笑みながら部屋に入ってきた。

「…誰…?」
「私は此処の駅員、マリーヤさ」

そう言う女、マリーヤは分厚いカーディガンの左胸に付けた銀のプレートを指す。どうやらそのプレートが駅員章らしい。男は一通りマリーヤを見つめ、安心したのか、ゆっくりと体を横たえる。

「あんたの名前は?」
「……トーマ…」
「トーマ!」

男の名を聞いて、マリーヤは興奮した風に手を鳴らす。

「白き四祖龍様とおんなじ名前じゃないか!良い名前だねぇ」
(四祖龍信仰、か…)

トーマは小さく溜め息を吐き、眼を輝かせるマリーヤから視線を反らした。
この世界の始まりに関わったとされる四人の“四祖龍”。それは誰もが知る伝説であり、信仰か畏怖かの両極の存在でもある。そして、四祖龍を信仰する者は決まって「女神は破壊者」だと言い、四祖龍を畏怖する者は決まって「女神は救世主」だと言う。
この世界を始めた“黒き神”が唯一愛した“女神”。かつては愛の象徴として祀られていた彼女だったが、いつしか人々はこの世界の異変の全てが“女神”のせいだと言い出したのだ。

(何も知らないくせに…)
「トーマ」

マリーヤに呼ばれ、トーマは気だるそうに顔を向ける。彼女はいつの間にかベッドの横の小さな丸太に腰掛けていた。

「傷が治るまで家に居て良いからね、何ならずっと居ても良いんだから」

そう言うマリーヤに、トーマはゆるゆると首を横に振る。

「僕は、追いかけないと…」
「追いかける?誰をだい?」

首を傾げるマリーヤを尻目に、天井を仰ぎながらそっと自身の右目に手を添え、トーマは小さく微笑んだ。

「僕の、女神を」




「城が見えてきたぞ、リズ」

顔を少しだけ向けたヘルが言うと、リズははっとして顔を上げる。

「あれがルディオンの中心、コートゴート城だ」

“宮廷の山羊(Court Goat)”の名の通り、背の低い城には不釣り合いに大きな二つのオブジェ、正に角のようなそれが曇り空に向かって突き出していた。

「わぁっ、すごーい!」
「そうだろう?」

リズの喜ぶ様にヘルも顔を綻ばせる。
白銀の城の周囲に塀や柵といったものはなく、代わりに背の高いガス灯が等間隔に並んでいる。
二人は足を進め、城の正面、巨大な扉が見える所までやってきた。
そこまで来て漸く、リズはその異様さに気付いた。見えてきた扉はとても人間が開けられるような大きさでは無く、扉と言うよりは門に近いようだ。
そして何より異様なのがその門の前に鎮座する、それに見合った大きさの、白銀の龍。彫刻にも見えたが、龍を包む白銀の羽毛が冷たい風にふわりとそよいでいる事から、それが本物であると分かる。
長い首の先に鳥のような頭を付け胴体の殆どが羽毛で隠されているその龍は、眠っているのだろうか、先程からぴくりとも動かない。

「門番だ」

リズの視線に気付いたヘルが、龍を見上げながら言う。

「俺以外の龍を見るのは初めてか」
「うん…すごく大きいんだね…!」
「あれでも小柄な方だ」

そうは言われても、龍の目の前まで来たリズが目一杯顎を上げても、龍の頭を見る事は難しかった。

「グリフ!」

真下からのヘルの一声に、龍はこれでもかと瞼を持ち上げ首を曲げた。見開かれたアイスブルーの瞳に小さな二人が映る。

『先輩!先輩じゃないか!』

頭上から降ってきた若い男の声に、リズは思わず肩を竦める。

「門を開けてもらえるか」
『勿論さ!』

ヘルの訪問が余程嬉しいのだろう、龍は興奮気味に鼻を鳴らし立ち上がった。龍の頭が更に遠くなる。犬が後ろ足で立ち上がるのと同じく、この龍も長い首と前足でバランスを取りながら体を伸ばす。

「セントシュローズ名物、門開きだ」

龍の首が伸びる先には、先端に大きな輪の付いた太い鎖。鎖は城の二本の角を通り、どうやら門に繋がっているらしい。
龍は嘴で輪を食むと、体重を掛けながらゆっくりと鎖を引き下ろしていく。ゴウンゴウンと門が唸り、巨大な門が少しずつ口を開ける。

「凄い音!」

両手で耳を塞ぎながらも、リズは楽しそうに笑う。ヘルも笑顔で返し、門が開ききるのを待った。











この世界に要らなかったのはお前じゃなくて、俺だった。



chapter:5.15


 本体から離れた両腕が、赤い糸を引きながら宙に舞うのを見た。その下に目を向ければ、両腕を失った青年が今まさに瓦礫の山に倒れ込む場面で。
 「ジャックっ!」自身の喉から出た悲鳴に近い声に驚くも、今はそれよりも先に足が前へ前へと急かす。が、それを拒む様に響き渡る怒号。
 「何処へ行くテオリドゥンっ!まだこっちは終わってねぇぞ?!」声に振り向いた瞬間、腰の右側面に激痛が走った。状況を把握する間も無く、腰の、丁度骨に食い込んだ何かに思い切り吹き飛ばされる。
 数メートル先の地面にぶつかり、転がり、俯せに倒れた。生温い煉瓦に顔をつけ、辛うじて視線だけを下腹部に向ける。
 派手に抉れた肉の合間から骨が覗き、鮮血が溢れて止まらない。怒号は高笑いに変わり、腰を抉った得物を肩に担いだ男がダンッ、と足を鳴らす。
 「地面にキスとは!良い様だぜテオリドゥン!」炎のような真っ赤な髪を掻き上げ、男がゆっくりと歩み寄る。「てめぇのペットはもう死んだなぁ?」
 「…ジャックっ…」痛みと怒りにギリリと歯を鳴らす。重力に逆らって体を起こそうとするが、力を入れた途端に全身の傷が開き激痛が走る。その間も傷口からは血が溢れて止まらない。
 (嗚呼、私は何をしているんだ…)
 「さぁ、終いにしようぜ兄弟」振り上げられた黒い刃が、赤い月光を不気味に映していた。



 「師匠っ!」呼ばれ、はっと顔を上げる。と同時に、大きく口を開けた巨大な犬が目の前にあった。
 「このっ、死に損ないがぁっ!」咄嗟に右手で上顎を押し上げ、左手の刀を下顎に突き立てる。それでも僅かに遅れたか、犬の牙が浅く肩と脇腹に食い込む。出来損ないとは言え、流石に強化された悪魔の力は強い。
 「クソ弟子ぃっ!こんな駄犬に遅れとってんじゃねぇぞっ?!」犬の相手を任せた筈の弟子に怒鳴り、突き立てた刀を目一杯引き下ろす。それでも犬は怯みもせず、むしろより一層強く閉口しようとしてきた。
 『マスター…早ク、逃ゲ…』犬が血を垂らしながら醜い声を発する。よく見ればこの犬、両の前足が無い。そう言えば、弟子が斬り落としていたな。
 「大した忠犬ぶりだなぁっ…」犬の上顎を押し返している右腕の肘が、軋みながら徐々に曲がっていく。不味い、思うと同時に払った刀を、今度は犬の舌目掛けて突き立てる。
 まるで雷鳴の様な轟音で、犬が喚いた。
 「ジャックっ!」前足の無い犬が庇った男は、それこそ泣き声で、犬の名前を叫んでいる。
 「やめろっ、もうやめてくれっ!」叫び散らす男を腹の底で嘲笑いつつ、力の抜けた犬を蹴り倒す。肩と脇腹に食い込んでいた牙が抜け、どっと血が溢れる。
 「ジャック!ジャックっ!」目の前で愛犬の崩れ落ちる様を見せ付けられ、本格的に泣き出す男。その様に堪えきれず、痛む腹を抱えて笑った。
 「師匠、傷に障るぞ…」いつの間にか傍に来ていた弟子が、ふらつきながら片膝をつく。「はっ!てめぇのがボロボロじゃねぇか、不肖の弟子め」
 「…すみませんね」不貞腐れたように顔を反らし詫びる弟子。「反省しろ」「はいはい」「師匠に向かって何だその口の聞き方は!ぶっ殺すぞ?!」
 「傷に障るから騒ぐなっつってんだろっ!」弟子の怒号にハッとし、痛みを思い出した脇腹に触れると指先が露出した肉を撫で、ビリビリと嫌な痛みが走る。
 「ああクソいてぇっ!」慣れない痛みに苛立ち、力任せに弟子を蹴ってやる。それが丁度脛に当たったらしく、膝をついていた弟子は不様に崩れ落ちた。
 「ざまぁ見ろ」踞る弟子と動かなくなった犬の横を通り、みっともなく泣き続ける男の前に立つ。ひび割れた煉瓦に突っ伏す男の肩が小刻みに揺れていたが、それを気にしてやる義理も余裕も無い。
 (嗚呼…何してんだ俺は…)
 「早く殺せよ、兄弟…」掠れた声に目を見開けば、足許に突っ伏す男が僅かに顔を上げ、此方を睨み付けていた。それは俺の良く知る、殺意の隠った凶暴な目。
 「…良い目だ」








 犬が吼える前の話


一際平穏な日


 『もうじきリトルレッドの花が散る時期だ』あの日、狼はそう言った。それからこうも言っていた。

 『さよなら、リトルレッド』




 それは赤く可憐な、毒の花。




 「行ってきますわ、おばあ様」赤ずきんはいつものバスケットを腕に提げ、広い部屋の広いベッドに横たわる祖母に綺麗な笑顔を作ってみせる。
 「狼には気を付けてお行き、赤ずきん」祖母はいつも決まってそう言う。
 「分かっていますわ、おばあ様」赤ずきんは祖母の部屋を出ると真っ赤なフードを目深く被り、静かに廊下を駆けて行く。人気の無い広い屋敷。赤ずきんの足音と、風に揺れる窓の音だけが響く。
 屋敷を出ると、昇りきった太陽が短いスカートから覗く赤ずきんの白い肌をじりじりと焼き付ける。彼女はパーカーの裾を引き下ろし、ローファーの爪先を数回鳴らすと軽快に歩き出した。

 時分は正午。森を歩くのは赤ずきんだけで、態々日陰の多い林道を選んで歩いているせいでもあるが、静かな森に時折吹く南風が夏の香りを運び木々を鳴らす。
 ふと、微かながら聞き慣れない旋律が森の奥から聞こえてきた。それは良く聞くと歌声のようで、赤ずきんは「ああ」と溜め息混じりに溢す。
 (また小鳥が歌ってる)聞こえてくるのは愛らしい少女の声。この森で聞こえる沢山の音の一つ、それこそ毎日のように聞こえてくる小鳥の歌だ。
 赤ずきんは知らず知らずの内に歩く速度を落とし、足音を殺しながら歩いていた。風の伴奏に乗って聞こえてくる歌は今日初めて聞くもので、蝙蝠とやらに新しく教えて貰ったのだろうか、しっかりとした旋律を辿っている。
 (何て歌っているんだろう)聞き取れない言葉に首を傾げた赤ずきんは、再び足を早め林道の先の小さな丘を目指した。



 いつもの場所に居ない狼を探して辿り着いたのは、薄暗い林。マンションやアパートも見なくなった森の奥地、舗装されていない獣道を行く赤ずきん。彼女が目指すのは、何処かで嗅いだ事のある甘い香りの流れ出る場所。
 何故だかいつもの場所に居なかった狼。初めて事態に戸惑うも、そこは気の強い赤ずきん。待つ事を止めこんな場所にまでやって来た。
 (狼さんを見つけたら、真っ先に文句を言ってあげるんだ)
 甘い香りを頼りに進んだ先、林を抜け、明るく開けた場所に出た。突然の陽射しに目をしかめ、赤ずきんは少しずつ光に慣れていく目を開く。

 真っ先に目に入ったのは痛い程の赤。

 咲き誇るは真っ赤な花弁。一つ一つは小さな花だが、その群れは辺り一面を血の海の如く赤く染め上げていた。
 「リトルレッド…」赤ずきんの口から、聞き覚えのある単語が零れる。
 それは何度か彼の口から聞き取れた言葉。優しい優しい狼が、ぽつりと落とした見知らぬ単語。だが赤ずきんには、それがこの花の名前だとすぐに分かった。赤い頭巾を被ったような形の愛らしい、だが何処か毒々しい小さな花。
 「リトルレッド」背後から突然声を掛けられ、赤ずきんは驚き振り返る。赤ずきんのすぐ後ろには、陽射しを背に受けた狼が立っていた。
 「狼さん…」
 「来てはいけないと言った筈だ、赤ずきん」逆光でその顔は見えないが、聞いた事のない狼の低く冷たい声に、赤ずきんの心臓はどくんと跳ねる。
 「何故来た」
 「君が、いつもの場所に居ないから、探しに…」
 「来てはいけないと言った筈だ」先程よりも柔らかな、だがしっかりと赤ずきんを責める狼の言葉に、赤ずきんは思わず狼から視線を外した。
 「…今日は帰れ」
 「でも」
 「帰るんだ、赤ずきん」一瞬顔を上げた赤ずきんに、狼はそれでも表情一つ崩さず小さな赤ずきんを見下ろしている。
 「分かったよ…さようなら」努めて平静な顔をし、狼に背を向ける赤ずきん。その小さな唇は微かに震えている。
 「赤ずきん」そんな赤ずきんの様子を知ってか知らずか、狼は普段通りの落ち着いた声色で言う。「明日は、いつもの場所で待っている、朝から晩までそこに居る」
 「…明日は来ないよ」強がる赤ずきんの言葉に、狼は漸く表情を崩し苦笑した。「それでも待っている」
 (バカな狼さん…)背を向けたままの赤ずきんは、何とも言えない感情に頬をほんのりと赤く染める。
 「また明日、赤ずきん」
 「明日は来ないってば!」言うと同時に走り出した赤ずきんは、リトルレッドの海を渡り切り林の中に飛び込んだ。狼はそんな赤ずきんを見送り、小さく笑う。


 「また明日」


一人の終焉歌


 「それは一体、何のつもり?」あからさまに不機嫌な声を出したのは、真っ赤なパーカーを着た小さな人間。短いスカートと長いソックスの合間から白い素肌を覗かせるのは、この森で知らない者は居ない“赤ずきん”と呼ばれる大層綺麗な少女。
 「通せんぼ」そう言ってにっこりと笑う兎。「通せんぼー」それを真似て無邪気に笑うのは、兎に肩車された小鳥。
 兎と小鳥は林道の真ん中に立ち、赤ずきんの進路を塞いでいる。赤ずきんは腰に手を当て、そんな二人を睨み付けている。
 「退いてよ」
 「今は駄目なんだ」兎はその長い耳を揺らし首を傾げる。「少しの間通せんぼさせてもらうよ、リトルレッド」
 「食べ物くれたら通してあげても良いですよー?赤ずきんさん!」小さな金色の翼をパタパタと羽ばたかせて笑う小鳥に、兎が「それはちょっと駄目かな」と苦笑する。
 「君達にあげるものは一つも無いよ、良いから退いてよ兎さん」仁王立ちする赤ずきんの腕には大きめのバスケット。その中に甘い紅茶や手作りのサンドイッチ、もしくは焼き菓子が入っている事は、森の住人の半数が知っている。
 「急ぐ事もないだろう?それとも、冷めたら困るものでも入っているのかい?」
 「残念ながら、冷めても美味しいものしか入っていないよ」
 「それは良かった」
 「良くない、彼が待ってるんだ」
 「だから今は駄目なんだよ」「そーだよ赤ずきんさん!あの人がお話しするって言ってたから今は駄目なのー!」兎の言葉を補足するように、小鳥が愛らしい声で言う。
 「…あの人?」
 「ああ、君は彼に会った事は無いんだったね」兎は一瞬だけ笑みを消したが、直ぐに笑顔を作り小鳥に視線を向けた。「まぁ、小鳥以外で彼に会えるのは私と狼君くらいだから、仕方ないか」
 「さっきから、誰の事を言っているのかな…」読めない話に、赤ずきんは少なからず警戒の色を示す。
 「蝙蝠さんだよ!」
 「…こうもり?」首を傾げる赤ずきんに、小鳥はくすくすと笑いながら足をばたつかせる。「私に歌を教えてくれるんだよ!とっても優しいの!」
 「私には優しくないけれどね」兎が肩を竦めれば、その上に乗る小鳥も僅かに持ち上がる。
 「その蝙蝠が、彼に何の用なのさ」
 「さてね、話しをするとしか聞いていないよ」
 「どうして僕には会わせないの?」
 「どうしてだろうね」笑顔ではぐらかす兎。赤ずきんは我慢ならなくなり、大きめの一歩から足を進める。
 「駄目駄目」赤ずきんの僅か数歩先に立つ兎は、手品師のような早業で掌から出現させたステッキを赤ずきんの足許につく。兎の目の前で立ち止まった赤ずきんは兎の笑顔を忌々しく見上げた。
 「兎さんすごーい!」小鳥はそれを見て暢気に拍手を送る。「ありがとう、可愛い小鳥」兎も暢気にそれに応える。
 「さて、もう少し話しをしようか、リトルレッド?」




 「手酷くやられたな、狼」降ってきた声に頭上を仰げば、背を預ける大木の枝に黒ずくめの男が腰掛けていた。
 「蝙蝠…」狼は溜め息と共にその名を呼び、再び俯く。木の上の蝙蝠はそんな狼を鼻で笑う。
 「お前はまだ性善説を説くのか、人間共に石を投げられ、蔑まれようと?」蝙蝠の真下、大木に凭れ座り込んでいる狼は頭部や口角から僅かに血を流している。それはつい先程、狼が人間達に複数の石を当てられた証拠。
 「…俺が悪い」口許の血を袋状の拘束具で拭い、狼は小さく呟く。
 「人間を喰い殺した事か?」蝙蝠は真っ赤な眼を細め、口角を上げる。「あれは実に爽快だった、あのまま森中の人間を喰らってしまえば良かったのに」
 「やめろっ!」狼は声を荒げ、拘束具に包まれたその両手でピンと立つ大きな耳を塞いだ。
 「現実を見なければ、幸せだろうな」耳を塞ぐ狼に聞こえない程度の声で言った蝙蝠は、腰から生える翼を広げ音も無く木から降り立つ。そして狼の背後からその腕を掴み上げ、狼が抵抗するより先に耳許に口を寄せる。
 「現実を知ったあの子は、お前をどんな目で見るかな」その一言に、狼の息が止まる。それを察した蝙蝠はくつりと喉を鳴らす。
 「やめてしまえよ、人間は所詮性悪だ」掴んだ腕から手を離しながら、蝙蝠は続ける。「俺達を理解してはくれない」
 言葉を失った狼に、興味を失った蝙蝠は背を伸ばし翼を畳んだ。暫しの無言、草木の擦れる音と狼の呼吸音だけが、微かに蝙蝠の鼓膜に届く。蝙蝠はそれをまた鼻で笑う。
 「兎は傍観派だ、全てが終わるまで何も話さないだろう…お前もまた、それを望んでいるようだが」漸く顔を上げた狼は、そう言う蝙蝠を睨み付ける。
 「何が、言いたい」
 「何も」するりと狼の視線を交わし、蝙蝠は踵を返す。「俺も語り手ではない、それは本来お前の役目だ」
 蝙蝠の言葉に、再び押し黙る狼。否、もう蝙蝠と会話する気が無いのだろう、狼の目はその足許の小さな花に向いている。
 振り向いた蝙蝠もそれを察したのか、ついと顔を戻し静かに一歩を踏み出す。
 「このお伽噺の結末は凄惨な悲劇と決まっているんだよ、人喰い狼」憐れんだような小さな笑みを残し、蝙蝠は音も無く立ち去った。
 狼は乾き始めた額の血を拭いながら、木漏れ日を仰ぐ。


 「遅いな…赤ずきん…」


chapter:5


 いつだったか、それはまるで泣いているようだと誰かが言った。
 今なら分かる。遠吠えは、一人で聞くには哀しすぎる。



 犬は今日もよく吼える?








 「さて…帰るか」フードを深く被る男が頭の上に居座る紅い猫の背中を軽く叩くと、猫は返事の代わりに大きな欠伸をする。
 クラウンゴート学園の立派な校門の前で“軍犬”を見送った男は、右側だけがマントの様に袖の無い変わった形のロングコートを翻し、校門に背を向け歩き出す。
 『なぁミコト』
 「どうした?」コツコツと季節外れの重たいブーツを鳴らして歩く男は、視線だけを上に向ける。
 『今回は傍観か?』
 「ああ、そうだな」ミコトと呼ばれた男が答えると、猫はつまらなそうにもう一度欠伸をした。それにミコトは小さく笑って、猫の顎を指先で擽ってやる。
 「そう拗ねるなよ、アカシュ」
 『拗ねてねぇよ』アカシュと呼ばれた猫は気持ち良さそうに目を細める。聞こえる声も、心無しか間延びしている。『俺はお前に従うだけだ』
 「可愛い事言うじゃないか」
 『俺はいつだって可愛いぜぇ?』
 「どうだか」ミコトがからからと笑えば、猫は不満気に尾をくねらせる。
 『可愛くねぇな』
 「猫が全部可愛い訳じゃないさ」門前から離れ路地裏に入った所で、ミコトは頭の上からアカシュを退かしフードを脱いだ。フードの下から現れた紅い髪、そして髪の合間からぴんと立つ猫の耳。
 「俺はかっこいい、だろ?」右目の眼帯から首を伝う長い傷痕が目立つミコトは、八重歯を覗かせ笑う。
 『そいつは賛同し兼ねるが』路地裏の石畳を踏んだアカシュは、ミコトの前をリズム良く歩きながら言った。『お前は一等可愛くねぇ』



 「おはよう、シュガー」ドルディ達と話すシュガーに声を掛けたのは、艶やかな黒髪にオレンジ色の瞳が栄える痩身の青年。ドルディ達の背後から歩いてきた彼は、キセツと同じく高等科の制服を着ている。
 「ユンディート」シュガーは彼を見るとにっこりと微笑み、一歩前へ出る。ドルディとキセツもそちらに向き直り、青年を見る。
 「おはよう、久しぶりね」
 「そうだね」ユンディートと呼ばれた青年はシュガーの両手を取り、こちらもにっこりと微笑んでみせた。「元気そうで安心したよ」
 随分と親しげに話す二人だが、先輩であるユンディートの方がシュガーの下手に出ているようで、何処か違和感がある。
 二、三言交わしたユンディートはシュガーの手を引き車椅子に座らせると、その膝にブランケットを掛けてやった。
 「そちらは軍犬の方ですね?」ふと顔を上げたユンディートがドルディとキセツを見る。キセツはユンディートを見上げてから、更に高いドルディを見上げる。
 「ああ」ドルディが応えれば「そうですか」とユンディートは微笑み、片腕を前にやり仰々しく頭を下げた。
 「僕はユンディート・オズゴート、学園長にあなた方をお手伝いするようにと申し付けられています、短い間ですが宜しくお願いします」
 「学生が、何を手伝うのさ」咄嗟にキセツが噛み付くと、ユンディートはクスクスと肩を揺らす。「僕はこの学園の“眼”なんです、きっとお役に立てますよ」
 「それはどう言う意味かな」腕を組み睨み付けてくるキセツに、ユンディートは一層笑みを深める。「そのままの意味です、可愛い軍犬さん」
 何処か見下したようなユンディートの言い方に身を乗り出したキセツの肩に手を添え、ドルディが口を開いた。
 「“獲物”は何だ」ドルディの問いに笑みを消したユンディートは、真面目な顔で目を細める。
 「対象は学園内に出没する悪魔とその契約者です、契約者は恐らく学園の生徒なので手荒な事はせずに契約を破棄させて下さい」
 「悪魔の階級は」
 「恐らくは下級かと」
 「下級?それなら僕らが潜入する必要はなかったじゃないか」黙って聞いていたキセツが、不敵な笑みを見せユンディートを見上げる。
 「本来なら此方で対処するのですが、今回は少々状況が特殊でして」再び笑顔に戻ったユンディートは制服のポケットから数枚のポラロイド写真を取り出し、キセツに差し出した。
 「被害現場の写真です」
 「これって…」写真を受け取ったキセツは、そこに写された光景に眉を潜め嫌悪感を露にした。それ以上言葉が出ずに、キセツは顔を反らしながら写真をドルディに押し付ける。「最悪だよ」
 「…なるほど」写真を見たドルディは顔色を変えず、小さく頷く。「朝食がパンで良かった」
 「そう言う問題じゃないでしょ」ドルディの的外れな感想に、キセツは一際大きな溜め息を吐いた。



 『“軍犬”ガ来タ、俺ヲ殺シ二来タ!殺セ殺セ!』酷く嗄れた声が、不安定なイントネーションで叫ぶ。
 そこはクラウンゴート学園の豪華絢爛な学舎の末端、陽が当たらず湿った空気が淀む第三書物庫。嗄れた声がいくら叫んでも、誰にも気付かれない格好の隠れ家。
 書物庫に積まれた本の山の上には青年と、背から無数の目玉を生やした巨大な蛙が座っていた。青年と蛙の大きさはほぼ同じくらいで、嗄れた声の蛙は叫ぶ度に大きなその口から半透明の粘液を撒き散らしている。
 『殺セ!殺セ!“軍犬”ヲ殺セ!』
 「ああ、大丈夫、お前を殺させたりはしないよ」制服のネクタイを緩めながら、青年がにまりと笑う。
 「犬なんて丸飲みにしてしまえよ、ルドルフドルフ」青年は粘液で包まれた蛙の頬、ぶくりぶくりと膨らんでは萎む皮膚を撫でた。








 犬は今日も、沈黙する?


<<prev next>>
attention
テキストブログ
main:創作/異種族間恋愛/血
master:シシキヨ[24/]

荒し/晒し/パクリ/無断転載禁止
category