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昨日無事に修論発表会が終わった。今まで何度も人の前で発表をする機会があったけれど、昨日が一番うまくできたと思うし、昨日が一番満足度が高い発表だったと思う。ドキドキけっこう緊張もしていたはずだけど、発表が近づくにつれて、徐々に「早く発表を聞いて欲しい」という気持ちに変わっていった。良い意味で集中していたし、良い意味で興奮していたように思う。開き直りすぎていたのかもしれないけれど、あの時の高揚感は今まで味わったことがないかもしれない。それくらい昨日は、多分集中していたのだと思う。今は修論ロスとでもいうか、ここ最近は修論発表会のために生きていたので、それが無くなってなんだか淋しい気持ち。あの時はあんなにも早く終わって欲しいと思っていたのに、終わると淋しいって不思議な感情。修論発表の前の日,彼と電話をしたんだけど,彼の前でわけもわからず修論のことを考えて号泣した。彼はゆかが緊張して不安になっているのだと思っていたみたいだけど、そうではなかった。修論のことを考えただけで、なぜかわからないけど涙が出た。怖いとか、そういうのじゃない。なのに、涙が出てた。全然関係ない話かもしれないけど、昔お父さんと一緒に高校野球を見ていて、試合に負けた球児たちが泣いている姿をみて「どうしてこんなに泣くのだろう」って思った。そしたらお父さんは、「泣けるくらい頑張ったってことだよ」と教えてくれた。泣けるくらい頑張るって意味がわからなかったけれど、彼と電話して泣いている自分を客観的に見た時、ふとこの話を思い出した。まあちょっと意味は違うと思うんだけど、でも、頑張ったからこそ修論のこと思って泣いているのだろうかと思った。泣けてきたのは、弱さなんかじゃない。それは絶対に違う。彼は泣いているゆかをみて「弱いな〜」と思っただろうか。たかが修論で、と思っただろうか。生きている環境が違うから、社会人からみたらたかが学生の修論発表なんて、と思われてしまうかもしれない。でも大学院生の自分が置かれている環境の中では、修論発表会は絶対的なもの。それに一生懸命取り組んでいることはおかしいことじゃない。彼に分かってもらいたいという反面、分かってもらうのは難しいかなとも思う。だから言わない。でも、ここにはちゃんと記しておく。もう二度と戻らない時間の中で生きている。昨日の修論発表会、本当に悔いはない。100点満点はとっても遠くて、だけど、今できる精一杯のことが出来た。ここまでこれたのは指導教官の指導はもちろんだけれど、今まで出逢ってきた先輩方のおかげでもあると強く思う。先輩方に出逢えて、そして刺激を貰えたから今のゆかがここに居る。ここからはとても主観的な意見になるけれど、良い時代の研究室に所属できたと思う。良い、悪いって判断は様々だけど、ゆかにとっては平凡だった日々や未来を変えてくれた、ゆかにとって良いと思える答えや生き方を持っている先輩方だった。あの頃には当たり前だけどもう戻れなくて、だけどあの頃たくさんの素晴らしい先輩方に囲まれて過ごした日々はずっとずっと忘れたくない。修論発表を終えてそんなことをふと思った。話は変わるけど、研究室以外の人の発表を聞いて、「なんだこんなものか」と思った。正直言うと、こんなレベルでも全然修了できるのか、といつも通り唖然とした。だからこそ、桝井さんが発表が終わった後に言ってくれた「ちゃんと準備してきたことが分かる発表で良かったよ」という言葉がとても心に響いた。同期の人たちにはきっと分かってもらえないけれど、頑張って準備したことを先生方は分かってくれていると信じたい。数週間、準備をする日々は大変で辛かったけどでも日々なにかに向けて頑張ることの楽しさを久しぶりに感じられたし、ブラッシュアップする楽しさも思い出した。最後に今よりも一生懸命頑張っていた頃のゆかが感じていた気持ちをもう一度感じられたことが嬉しい。最近は4月から始まる仕事に対して言葉は悪いけどテキトーにやろうって思っていたけれど。でも今回の達成感とか面白さを思い出して、仕事も今みたく頑張っていきたいと思った。研究室の時のように全てを犠牲にするつもりはないけれど、あの頃よりもゆかは成長しているはずだから、うまく仕事と付き合っていけると思いたい。修論発表会、ゆかにとってとても良いきっかけになったと思う。卒業前にこんな風にポジティブに前を向けて良かった。とりあえず、よく頑張ったと思う。自分、お疲れさま。

そんなのってないよね


彼は時々本当に面倒くさいことを言う。面倒くさいという言葉は嫌いだから使いたくないし、本人の前では絶対言わないんだけどこの場所では好き勝手言わせてくれ、、彼まじでめんどくせえよ。彼と電話していた時にふと思い出して「クリスマスにプレゼントしたものは使ってる?」と聞いてみた。そしたら「ちゃんと着てるよ」って答えてくれて、去年誕生日にあげたニットも今時期たくさん着てるって。あげたプレゼントをたくさん着てくれるのすごく嬉しいし彼は優しいなあと思う。でも、ちょっとだけ嫌なことがある。彼はあまり生地を休ませずに洋服を着てしまうから生地が摩耗→毛玉たっぷりっていう悪循環をずっとしている。クリスマスに家に遊びに行ったら、一昨年のクリスマスにあげたニットがふと目にとまった。そのニットはnano・universeっていう高いブランドのもので一万円したもの。なのに、着すぎて毛玉が結構付いててなんか残念な気持ちになった。たくさん着てくれてるのわかるけど、そんな状態のニットを見たら大事に長く着ようって思ってないのかな。大切にしようと思ってくれてたら、毛玉とか取るものじゃないの。毛玉つくの嫌だから少し生地を休ませようとか、そういう配慮ないの。着潰して捨てるつもりなのか。プレゼントで貰ったものって大切にするものじゃないの。この人はどういう気持ちでプレゼントした服を着てるのか本当によく分からない。それに、毛玉付いてるの職場に着ていくのもどうかと思った。もっと身だしなみしっかりしてよって。彼はあまり周りを気にしないタイプだから全然そういうの気にしないのかな。正直、毛玉の付いた洋服を着てる人を見るとなんだか不潔に見える気がする。なのに彼は変なところで周りを気にしないから、彼に何と言ったら理解してもらえるのか分かんない。電話で、「もう少し間隔を空けて着てくれた方が毛玉つきにくいよ」ってアドバイスしたら。彼は「じゃあもう貰ったニット着ない方がいいのかな?」とか言い出す始末。どこをどうしたらその結論に行き着くんだろうと飽きれた。「2週間に1回とかのペースで良いんじゃない?最悪1週間に1回でも良いと思うよ」って言ったら、「じゃあ着るニット無くなっちゃうよ。また新しくニット買えばいいってこと?でもお金今ないから無理」だって。これ聞いて本当にイライラした。そんなに着すぎたらニット長年着れなくなっちゃうし、着れたとしても毛玉たっぷりヨレヨレのニットを着た彼となんて歩きたくないわ。 もっともっとプレゼントしたもの大切に着て欲しい。ただそれだけなはずなのに。どうしてこうも考え方が違うのか。多分,彼にとって大切にする=たくさん着ること(着潰すこと)なんだと思う。価値観の違いはどうしようもないし、いくら話したところで多分直らないだろうから「ニットほかに無いなら仕方ないね。たくさん着てあげてね」って言ってこの話は終わらせた。でも、電話切った後思ったことは、彼に高価な洋服をプレゼントするのはもうやめようと思った。よく考えれば,高〜い値段で買ってプレゼントした靴下も「たくさん履きすぎて穴空いちゃって捨てた」とかも言ってたな。今思えばムカつく。GUやUNIQLOで買ったものじゃないんだから、もっとちゃんと管理してくれよ。そして大切にしているなら、汚れたらすぐにクリーニングに出して。ボタンが取れたらどうにかして縫い直して。「引っ越しの準備で忙しくてクリーニングに行けてなかった」とか、「ボタン付ける裁縫セットないから」とかそんな言い訳聞きたくない。大切な人から貰ったものなら、それくらいちゃんとして。もう引っ越して3週間経ってるじゃん。土日は普通に出かけてるじゃん。クリーニングくらい行けないわけ?。彼ってもっとプレゼントしたものを大切にすると思ってたから、正直がっかりした。っていう話。彼にちょっと幻滅。

青い空に何を夢見ていたんだろう


イライラ案件が発生してしまった。いつも時々イライラしていることが再発生。イライラ案件とは、ずばり研究室の後輩のこと。研究室に所属する学生のレベルが年々ゆるやかに落ちてきている気がしてる。要は、研究室の質の低下。頭の良し悪しではなくて物事の取り組み方や物事への捉え方について言いたい。後輩たちは思っている以上に成長していないし何に対しても意識が低いような気がする。もうすぐ大学院2年生(研究室で最年長)になる後輩たちは、頼もしい先輩方(Not自分)の姿を見て一緒に育ってきた最後の世代だと思っている。それなのに一向に先輩らしくならない。個々を見れば研究を頑張っていると思うし、やることは(形式上)やってると思う。でもやっていることの質はどうかと言われると、うーん。って感じ。ゆかには、成長せずに停滞しているようにしか見えない。停滞って一番つまらなくて、もどかしいものじゃないのか。後輩を見ていると停滞または現状を何とも思っていないようにみえる。以前だったら、先輩の後ろ姿を見ながら、後輩たちが質を受け継いでいたはず。でもここ1〜2年、そういう兆しすらない。このままではダメだと後輩たちは危機を感じているみたいだけど実際はどうなのか。意識の低い後輩と同調したり叱らない姿をみると、助けてあげようという気持ちも消え失せて、いっそこのまま奈落のそこまで落ちてしまえと思う。研究室全体の質は、研究室全員の物事への取り組み方や考え方に繋がっていくということに気づいていないのか。先輩の後ろ姿が最も重要だということに気づいていないのか。特に残念だなと思うのは、少しずつゆるやかに、でも確実に研究室の質が低下していくさまを一緒に見ていたはずなのに、何の対策も施さずに現状に流されている後輩の姿をみると、イライラ以上に先輩方と過ごしてきた時間から何も得られなかったんだなとか、刻々と過ぎていった時間は後輩たちにとってただの時間だったのかなと思うと可哀想に思えてくる。というのも、今のゆかがあるのは先輩方のおかげだと強く思っているから。今はもう卒業してしまった先輩方の後ろ姿を見て、夢を見たし希望も持てた。短い2〜3年間だったけれど、先輩方と過ごした時間がゆかにはとても重要な時間だったと今でも思う。時間はみんなに平等に与えられていて、そして平等に過ぎていく。何も考えずにいたら、それはただ流れていった時間にしかならない。実は過ごす時間の中に何もないなんてこと本当はなくて気づきや大切なことを見つけられるものだと思ってる。多分それは視点や見方の違いなだけだと思う。どんなことも多分視点の違いで良くもなるし悪くもなる。過ぎていく時間が無駄になるよりは、意味のある時間にする方が良いと思う。だから後輩にも、そんな風に考えて研究室で過ごしてもらいたいと思う。それなのに、無駄な時間しか過ごしていないのではないと思えるからものすごく腹が立つ。前の記事でも言ったように、大学院生には学部生以上に磨かなければいけないことがあるからこそ尚更、限られた時間は非常に大切。時間が過ぎていって得られたものは何だろう?と思った時、もしも何も無かったのなら意味もなく2年間過ごしたということだし、これを後で後悔してももう遅い。大学院に行く意味、なんてそんなかっこいいこと言うつもりなくて、意味なんて後付けでもいいと思う。早めに後付けの意味を見つけ出すことがとても大切なように感じる。大学院の話ばかり言ってるけど学部生の後輩も同じで、研究室で過ごす2年間で得られたものが研究成果だけでは薄っぺらすぎる。それ以上に得られるものってたくさんあるはずだからそれを見つけ出して欲しいと思う。そして、その時間の積み重ねが就活に繋がっていると思う。行きたい会社に行けるか行けないかは、頭の良さじゃない。いくら直前に努力をしてもだめで、やっぱり日々の積み重ねなのだと思う。いろんな経験を積んでそこから自分なりに見出していれば、その経験がどんな時も自分を助けてくれるはず。だからこそ、成長は必要だと思う。親しい友達に上記したような後輩と研究室について愚痴を聞いてもらったら、イライラするのは時間がもったいない、とアドバイスをもらった。確かにその通りで、友達からは「イライラするよりも、このひと可哀想だな」と思ってあげた方が良いとも言われた。なかなか腹黒いというか品行方正なアドバイスではないけど、ひねくれたゆかにはとてもありがたく思えた。終わりよければ全て良し、じゃないけど。頼りない後輩たちにイライラするよりも、自分なりに大切に過ごしてきた研究室での4年間で得られたものたちを思い返して良い学生生活を過ごせたなと自己満足に浸っている方が心身ともに心地が良い。時間を有効に使えていない人こそ、多分本当に可哀想な人なのだとこの記事を書いていて気づいたし友達の腹黒いアドバイスもなかなか的を得ているなと思った。、という話。

おいしいご飯があればいい


ゆかの大好物はお寿司と吉野家の牛丼なわけだけど。2016年始まって初の回転寿しに行ってきた。回転寿し始めとか言うやつ。今の旬はぶり。寒ブリ。今日は長崎沖でとれたブリらしかった。すっっっっごく美味しくて、すっっっっっごく幸せだった。。またあの場所に戻りたい...。中トロを頼む気満々で行ったのだけど、想像していたよりたかすぎて撃沈...頼まずに帰ってきた。なぜ中トロなのか、それが今日の記事。2016年始まってすぐに感動したことでもあるので、ここに書いておきます。実は先日、近くのスーパーマーケットで養殖マグロのお刺身、しかも中トロが7切れくらいで158円で売ってて。安いし試しに買ってみて、初めて中トロを食べたんだよね。そしたら、めちゃくちゃ美味しくて。溶けて柔らかくて、それでいて甘い感じ。優しい脂で重たくなくて、その日から中トロの虜になってしまったわけです。今思えば、あともう1パックくらい買えばよかったなと後悔しちゃってる。。養殖とか本マグロとかあまり気にしないし、多分食べても味わからない自信あるんだけど。お寿司屋さんで一度本マグロの中トロとやらを食べてみたいと思ったわけです。まあ高すぎて断念せざるおえなかったので、次からはお寿司屋さんで中トロ頼むのはやめようかな。頼んでもいいけど、引越しする前、最後にお寿司屋さん行く時に頼もう。食べた時、あの感動がまた蘇ると良いな。またスーパー行ったら、逐一お刺身コーナーをチェックせねば。それくらい虜になってる自分がなかなか面白かったりする。食べ物のことで思い出したけど、回転寿司のあと31アイスクリームに行って来たんだよね。以前にTwitterのTLで流れててずっと気になっていた期間限定の新フレーバーのアイスが食べたくて。友達2人に付き合ってもらって行ってきたんだけど、なんとそのフレーバーまだ発売していなかった。「Coming Soon」って書いてあってぷちショック。。帰ってから調べたけど、一応全ての期間限定フレーバー発売中ってなってたんだよなあ。もしかして、田舎マジックか。試されている大地なのか。さすが北海道の田舎...。ま、新フレーバーは発売されていなかったけど、ばっちり代わりに違う新商品を食べて帰ってきた。500円くらい出してアイス食べることってなかなか無いから結構リッチな出費。今回は奮発して、フレッシュストロベリーサンデー。苺が3つも使用されている「リッチストロベリー」をオーダーしちゃいました。高かったけど、苺が甘くて、甘くて、酸っぱくなくて、かなり美味しかった。苺も今が旬な果物なのかな。最近苺の商品をよく見かけるから、冬は苺の季節なのかもしれない。調べてみたら、苺は1〜2月が旬の野菜であり果物らしい。この日、寒ブリに苺と旬な食べ物を2つも食べれたのか。今日改めて、ゆかはやっぱりお寿司が大好きで、美味しいお魚が食べられる場所に住んでいる幸福を改めて実感した日でっした。

結末は後でいいから

最近、顔面の調子が悪い。あごの下にはニキビがぽつんって2つ出来てるし、目の下にはうっすらクマもできてる。つい最近まで研究室に帰省やらなんやらでお土産のお菓子がいっぱいあったから、お菓子の食べ過ぎかな?と考えるけどそこまで馬鹿食いしてないし。昼、夜のご飯は一応ちゃんと気をつけてバランスよく食べているつもり。基本的にお茶しか飲んでいないし、スキンケアも全然変えていないつもり。寝る時間は確かに遅いけど、睡眠時間は結構ちゃんととってるつもり。睡眠時間が十分でもやっぱり早く寝た方が良いのかな。なんかそんな気がする。早く寝たいんだけど、1日が24時間しかないんだもん、寝るのもったいないとは思わないけど、寝るのをちょっと先延ばししたくなっちゃう、そんな日々。おもちゃ箱な思考はとても楽しいのだけど、体(特に顔)に支障が出るのだけは避けたいんだけど、なかなか。ね。笑。



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年始に家族で初詣に行っておみくじを引いたら見事に大吉だった。とっても良い1年になりそうだなと勝手にポジティブシンキングをしたあの日。今年はいつもと違うお願いをした。例年通りだと、ざっくりした感じのお願いをしていたのだけど。今年は、結構具体的にお願いをしたような気がする。具体的な内容については触れないけれど、彼との幸せと人との接し方についてをお願いした。今年の春から東京に引っ越して社会人としての生活をスタートするわけだけど、それは2年間におよんだ遠距離恋愛の終わりを意味するわけで。ようやく近距離恋愛になるということ。彼は1月から弟と2人暮らしという新生活を始めていて私と彼を取り巻く環境も少しずつ変化してきている。引っ越しに関しては結構前までうだうだイライラしていたんだけど、今は少し気持ちも落ち着いてる。これはすごく良い変化だと自分で思ってる。話がちょっと脱線したけど、環境は変化しているのだけど、ようやく近距離で恋愛できるわけで、ゆかも彼もそれをすごく心待ちにしているし、嬉しいことだと思ってる。ゆかとしては、ようやく社会人になれて彼と同じ立場は言い過ぎかもしれないけど、同じ社会人として生きていけることにすごく大きな意味を感じてる。今まではってか今もだけど、両親から送られてくる仕送りで生活をしているから自立しているわけでもないし、第一まだ学生ということもあって、特に彼自身が自分たちの将来について考えるスタートラインには立っているだろうけど、本格的に考えるまでは至ってはいないと思う。それを前はもどかしく思ったりもしたけれど、今冷静に考えてみれば多分間違っていないというか妥当かなとも思えるようになった。ゆかって、まだ見ぬ未来について話をするのが大好きで、「こうなったらいいな」とか「こうしたいな」とかいろいろ具体的なイメージが尽きない性格。彼氏にも自分のように2人の将来について一緒に語って欲しいし、語ってくれることにも愛を感じるタイプ。でも、彼は冷静で落ち着いている人だから、あまり遠くの将来の話はしないし、したとしても本当に堅実な話しかしてこない。だけど。卒業が近づいてきたここ最近は、本当にほんとに少しずつだけど、彼の口から語られる話に、何度もいうけどほんとにほんの少しだけ現実味のある将来の話が出てきているように感じている。「結婚しよう」とかそういうのじゃない。「一緒に住もう」とかまだまだ具体的ではないし、その話はまだもうちょっと先になりそう。ちょっと前に彼とそんな話をした時に彼の家族の中での立場だったり彼自身の考え方を知れたから、そこはあまり焦っていない。ただの心の持ちようかもしれないけれど、なんとなく、現実味のある言葉が聞けて、時は流れていて、その流れた2年という時間に無駄なものはなかったのかな?というちょっとした達成感みたいなものを感じている。現実的な話をすれば、危なっかしい弟と引っ越ししたばかりで、彼自身も引っ越し費用等でお金がないから1年後すぐに引っ越し!なんてことはできないかもしれない。お金をためるとともに、彼はいろんなことに対して決心したりする時間も必要だと思ってる。だから、現実的には、正直今イメージしている将来の2人は何年後にそうなっているのかは全く想像がつかない。何年でも待てるようなゆかではないから、何年か経っても全然将来に向けて準備していないなら別れることも正直考えてる。お互いの為にならないなら仕方ないかなって。だからこそ、彼とこれから過ごす1年や2年がほんとにゆかにとっては重要な意味を持っている気がする。彼は今の状態からどうやって同棲へと気持ちを持っていくか彼のそばでみていたいと思う。結婚は同棲の先だから、実はゆかはそこまで結婚について深く考えていない。でも彼は多分、結婚のことまで考えて同棲する決心をするはずだから彼の決心を見届けたいと思ってる。急かすつもりはないけど、自分の中で、社会人になった時から彼との今後についてどうするか、このまま進むのかリタイアするかのカウントダウンは始まるような気がしてる。だからこそ、今年はとても大切な1年だと思っているので、珍しく神社で彼との幸せをお願いした。なんだかんだ言って、彼は一緒にいると落ち着くし、結構頼りになるし、一緒にいると楽しい。所々クセのある彼だけど、もうすぐ付き合って3年になるから、彼の嫌なところも良いところもいろいろ知ってる。彼の態度や彼が下した決断にイライラすることも多々ある。LINEを読んでなんだこいつって思って、携帯を布団に投げつけたことも多々ある。お母さんには時々彼に対する愚痴ばっかり言ってる時も多々ある。こんなヤツとなんて別れてやるって思ったことだって多々ある。だけど、今も一緒に居る。今もTA中、彼のことを思いながらこの文章を綴ってる。愛にあふれた文章じゃないけど、確かに愛を込めて彼について書いてる。なんだかんだでゆかと彼は仲が良い。彼の愚痴をお母さんに話している時、ふと気づいた。あれ、でもなんだかんだ私ら仲は良いじゃんって。笑。しっかり見てるつもりでも、じつは見えてなくて。仲が良いこと、わかってたつもりだけど、でもふと気づいた時、あれ?って思った。もしかして、仲良い?って思った。分かってたつもりで、全く分かってなかった。これは一例に過ぎなくて、多分まだまだいろんなこと、わかってるようで絶対絶対わかってないこといっぱいある。だから、やっぱりまだまだ彼のそばに居たいと思う。彼について知らないこと、自分たちのことについて知らないこと、それを彼のそばで見つけていきたい。と、今は素直に思う。彼の嫌いなところ、ゆかは良い人間じゃないからきっと好きになれない。度々イライラし続けるのだと思う。でも、それでも、なんだコイツと思いながらも、この熱量がある限り、そして彼がゆかに失望しない限り、彼の彼女でいたいなと今は思っている。冷たい人間かな、どうだろう。でも漫画みたいな恋はやっぱりできないし、運命の赤い糸も目には見えないし。永遠なんてどこにもないから。だから限りある時間を彼と過ごしながら、彼との将来について考えていこうと思う。流れていった時は無駄じゃなかったんだなと思える、そんな未来を夢見てる。だって、ゆかの本質は、やっぱり恋する夢みる女の子だと思うから。
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