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ごめんね、愛してるC

 気付いた時には、真っ白いベッドの上に横たわっていた。壁も天井も真っ白な部屋で、どこか薬品の匂いが漂っている此処が、病院の一室である事に気付いた。
 ……なんでこんな所で寝ているのだろう。
 のそりと起き上がると、腹の辺りがずきんと痛み思わず顔を顰める。そこを摩り、思い出した。
 そうだ。鈴峯に、俺……。
 思い出された出来事は、まるで夢のようだ。けれど、此処が病院である事、そして腹の痛みがそれは夢ではないと物語っていた。
 茫然としていると、部屋の引き戸がゆっくりと開かれる。
「お、起きたか」
 扉の先にいたのは、相変わらず甘そうなミックスジュースを持った赤木だった。
 赤木はへらりと笑いながら、「お前にはこれね」と微糖と大きく書かれた缶を渡された。
 ベッドの脇にある簡易椅子に座り赤木はにやりと笑う。
「だから言っただろ」
 赤木の言葉にぴくりと眉が吊り上がる。何の話だ、と思ったが赤木は一言、「刺されるって」と言った。あれはまだ、鈴峯のことを何とも思っていなかった頃だった。それを思い出すと、どくりと心臓が鳴り、きゅうと絞られるように苦しくなった。
「まあ、まさか本当に刺されるとは思ってなかったけど」
「……うるせえ」
「しかし、鈴峯があんな事するなんてねぇ」
 鈴峯の名前が出て、思わずびくりと反応する。赤木をじろりと睨みつけるが、顔全体が真っ赤に染まっているのが分かる。それを見て、赤木はアハハと声を上げて笑った。
「すげえな、その反応。純愛を知っちゃったのね、芦田君ってば」
 二人の関係を赤木が何処まで知っているかは分からない。ただ、勘の鋭い奴だから、最初から俺の気持ちなんて知っていたのかもしれない。
「……鈴峯はどうしたんだよ」
 赤木の言葉に反論するのは肯定するのも同然だ。結局、赤木の言葉に芦田は何も答えなかった。
 それよりも、今は鈴峯の方が気になる。
「ああ……鈴峯、な……」
 赤木の顔が真剣な表情に切り替わり、芦田は思わずごくりと唾を飲み込んだ。





 芦田は傷が深いわけでもなかったので二週間で退院、一週間の自宅療養を取った。
 三週間振りに学校へ行くとクラスメイトにやたら心配された。普段話さない奴まで近寄って来ては「心配してたんだよ」と言ってくる。心の中で嘘付け、と罵りながら「ありがとな」と笑った。
 しかし、不思議な事に誰一人として鈴峯の事を口にする者はいなかった。
 まるで、最初から鈴峯なんてこのクラスにはいなかったかのような雰囲気に違和感を持つ。しかし、その違和感を誰かに聞く事も出来ずにいた。
 昼休みを告げるチャイムが鳴る。久しぶりの購買だな、と思っていると、名前を呼ばれた。
「芦田」
 見ると、廊下に久美が立っている。一緒に昼食を取ろう、と屋上に呼び出された。
「……怪我はいいの?」
 優しさや気遣い、というわけではなくただ気になったから聞いた、というように久美は尋ねる。それには「ああ」と頷くだけで返事をした。
「思った通りだったわね」
 久美の言葉に首を傾げる。
「本命、ちゃんといたんじゃない」
 何の話だ、と思いながらも、前に会った時にそんな話をしたな、と思い出す。
 あの頃は、鈴峯を好きだなんて自覚はなかった。けれど、もしかしたらその頃から好きだったのかもしれない。
 そうだとしたら、自分でさえ気づいていなかった感情を久美はその時には気づいていたということだ。女の勘って恐ろしい。
「……なあ、うちのクラスの奴らさ……あんな事があったのに、鈴峯の話を一切して来ないんだけど。……最初から鈴峯がいないクラスになってるみたいだ」
 久美の言葉には答えず、話を変える。久美は眉を寄せて苦笑した。
「……皆、自分のクラスに犯罪者がいただなんて思いたくないのよ」
 買ったパンを一口食べた。しかし、病院食の薄味よりよっぽど美味しいはずのそれは、味がしない気がした。
「ましてや、自分達が信頼してた子があんな事しちゃ……ね」
「……鈴峯の話、お前はどこまで知ってるんだ?」
「詳しい話は何も。ただ、クラスの子達が話すには芦田にパシられてて、それに耐え切れなくなった鈴峯君がプッツン切れた、って噂は聞いたかな」
 あながち間違っていない噂話。
 皆知らない。
 俺と鈴峯が体の関係にあったなんて。
「でもさ、芦田は鈴峯君の事好きだったんだよね」
 確信を持っている言い方に、眉を寄せる。
「正面から刺されてるのに、抵抗した跡が無かったんだって。刑事さんが言ってた」
「……跡?」
「うん。人間って本能的に危険を感じたら、相手の痕跡を残そうとするんだって。でも、それが芦田には無かった。どういう事かわかる?」
 首を横に振ると久美はくすりと笑った。
「人間って、自分で死のうと首吊りしても苦しさで喉を掻きむしるんだって。それは、苦しさに抵抗してるから、それが人間の本能なの。けど、人間が殺されかけて抵抗もしないなんてのは、即死でもない限りの理由は……、
 犯人と被害者は親しい間柄で、被害者は殺害される事を受け入れる為に、わざと抵抗しないみたい」

 鈴峯の犯罪を受け入れる?
 ……ああ、そうだった。
 鈴峯になら殺されてもいいと思ったのだ、俺は。
 そうすれば、自分の鈴峯への気持ちも伝わり、自分が鈴峯に付けた傷もこれで流せると思っていた。
 けれど、現実は鈴峯一人が犯罪者だ。
 何も知らないクラスメイト達は鈴峯を犯罪者としか見ない。

 俺は巻き込まれた可哀相な『被害者』。

 鈴峯は『悪い奴』。

 これで、今までの事が流せるって?
 冗談じゃない。自分は何の罰も受けていないじゃないか。
「……ねえ、これからどうするの?」
 これから……俺はどうしたいのだろう。
 久美の呟きに、何も答えられなかった。





 入院中、鈴峯の両親が見舞いに来た事があった。
 父親の方は土下座をし謝っていたが、その姿に思わず苦笑した。
「俺は、鈴峯を訴えたりしませんよ。だから、一つだけお願いを聞いて欲しいんです」
 その言葉に、漸く父親は頭を上げた。
「鈴峯が出て来た時、すぐに会いたいんです。……鑑別所から鈴峯が出る日、俺に迎えに行かせてもらえませんか?」


 鈴峯は鑑別所へと送られていた。
 芦田は「アレは事故だったから鈴峯を出してやってくれ」と頼んだんだのだが、鈴峯が「故意にやりました」と言って聞かなかったらしい。少年院にまでは行かないものの鑑別所には送られていたのだ。
 鑑別所は親族以外は面会謝絶している。今すぐ会って話したいのに、会えない事が辛かった。だから、鈴峯の両親には無理を言った。無理を言ってでも、鈴峯に会いたかったのだ。



 そして今日、鈴峯が鑑別所から出てくる。
 塀に囲まれた門の外で待っていると、鈴峯が出て来た。「鈴峯」
 塀のせいで俺の姿には気付かなかったのだろう。鈴峯の目は驚きで見開かれている。
「芦田、くん……?」
 動けなくなっている鈴峯の元へと近寄るが、それに反して鈴峯は一歩後ろへと下がる。
 それを見て、近づく事を止めた。
「……どうして、芦田君がいるの?」
 鈴峯はわけがわからない、と眉を寄せる。警戒してか、また一歩下がる。
「……迎えに来た」
「迎え?」
「そうだよ、……悪いか」
「悪くはないけど……学校は?」
「休んだ」
「なんで」
「迎えに来る為」
 鈴峯はやはり、わけがわからない、という顔で考えている。
「ねえ、芦田君。俺、君の事を刺したんだよ?」
「知ってる」
「……じゃあ、何で来るの。復讐でもしたいの?」
「復讐って……」
 ただ、会いたくて来た。
 それが伝わらないのは、酷く悲しい。けれど、自業自得だ。俺は今まで、鈴峯を奴隷のように扱ってきたのだから。
「迎えに行かせて欲しい、って鈴峯の両親に頼んだんだ」
「…………なんで?」
 鈴峯は睨むように目を細める。下がった歩幅は徐々に近付き、気付けば人、一人分の距離まで鈴峯に近づいていた。
 近くで見る鈴峯は少し痩せこけていて、それが悲しくなる。
「なんで、芦田君が迎えに来るの?」
 会いたかったから、なんて今更言えない。言葉にすれば嘘っぽいと思った。
「……さあな」
「なんで、うちの家族にまで頼み込んで来るの」
「……さあな」
「なんで、そんなに……泣きそうな顔してるの?」
 視界が潤み、ぼやける。
 多分、鈴峯には俺の気持ちなんて、とっくにバレていたのだ。泣きそうな俺に鈴峯は「ねえ、教えて?」と苦笑した。
 ああ、俺、格好悪いな。
 唇が、震える。額には脂汗が滲み、手はぐっしょりと濡れていた。
「……俺は、今まで自分の事しか考えて来なかった。女なんてヤル為にいるし、鈴峯の事も性欲処理の道具にしか考えてなかった。けど、」
 こんな酷い事、鈴峯を見ながらは言えなくて思わず俯く。
「これが好きとかそういうのか、俺には正直分かんねーけど、」
 俯いた先に、鈴峯の手が見えた。華奢な手。この手が、俺を撫でた時、ずっと触れられていたいと思ったのだ。
 鈴峯の手を掴み、顔を上げる。多分、今、顔真っ赤だなと思いながらも、鈴峯から目を外す事は出来ない。

「……俺はお前の事、手放すつもりはないし、お前が俺から離れる事は許さねえ」

 本当は、こんな命令をしたいわけじゃない。お互いに愛し愛されたいだけなのに、こんな素直じゃない言葉しか言えない自分に腹が立つ。
 けれど、そんな思いを見透かしてか、鈴峯は赤くなって、笑った。
「そんな事言われたら、期待しちゃうよ」
「……して、いい」
「分かってる? 俺の愛は芦田君を刺しちゃうくらい重いんだよ?」
「分かってる」
「……やっぱり、芦田君は自分勝手だね」
「知ってる。でも、もう……追い掛けて傷付けるだけの関係なんて持たないから」
 だから……。言いかけた時、鈴峯は俺の頬を撫でた。男の骨張った関節が浮いているのに細い指。その指が自分を撫でている事にじんわりと気持ちが揺れる。
 ああ、この指が好きだと思う。その指に自分のを重ねようとして、鈴峯に振り払われた。え、と思わず見ると苦笑しながら、鈴峯は俺を見つめる。
「……俺、芦田君に出会った事を後悔してるよ」
 突然、残酷な事を言い放つ。その言葉に、足元から崩れ落ちそうになって、ぐらぐらする。声も出なくて、体が震える。
 ああ、やっぱりもう鈴峯に好いては貰えないのかと、泣きそうになった。
「生まれ変わったら、絶対芦田君みたいな人好きになりたくない」
 ……そりゃそうだ。俺みたいな男を好きになっても、鈴峯は不幸になるだけだ。鈴峯の幸せを願うなら、離れなくてはいけない。
 ……けど、鈴峯から離れるなんて、出来るのだろうか。
「自分勝手で横暴で、俺の事なんか好きじゃない芦田君を好きでいても不幸になるだけだよ」
 その言葉にぼとりと涙が零れ落ちた。
 自分勝手で横暴。
 鈴峯の俺への解釈は間違っていない。けれど、鈴峯の事は好きだ。好きじゃないという部分は訂正したいが、俺を好きでいても不幸と言う鈴峯に、何かを言う資格は無い。
 鈴峯は俺の頬を伝う涙を拭う。
 穏やかで、幸せそうな顔の鈴峯がとても綺麗だと思った。
「……でもきっと、何度生まれ変わっても、俺は芦田君の事を好きになるんだと思うよ」
 照れ臭そうに笑う鈴峯なんて初めて見た。それに胸が締め付けられる。
「鈴峯……っ!」
 思わず抱きしめると、腕の中で鈴峯は笑っていた。
「芦田君の泣いてる顔見れるなんて、幸せだ。しかも、それって俺の為に泣いてるんでしょ?」
 鈴峯が笑う。けど、その声は震えていて、どんどん泣いてるような声になっていく。
 芦田はぐずぐずと泣きながら、抱きしめる腕に力を込めた。
 もう離せない。離したくない。
「……鈴峯、ごめん。辛い思いさせてごめん。傷つけて、ごめん……。信じてくれないかもしれないけど、」
 ああ、こんな事、言いたくない。
 今まで女に散々吐いてきた、軽い言葉だ。簡単な言葉を口から発する事がこんなにも怖いだなんて、思ってもみなかった。
「……ごめん、でも」



 ……愛してる。



 口づける寸前呟くと、鈴峯は「俺も」と笑い、目を閉じた。



END

**************

2011/7/12 ブログリより移動


読んで頂きありがとうございました!

カルア拝



























ごめんね、愛してるB

 あれから一週間、鈴峯から避けられている。
 昼休み放課後と彼を捕まえようとしても、気づけば鈴峯はいなくなっている。
 鈴峯は終わりにしたいと言っていた。もしかしたらもう鈴峯の中で俺達の関係は終わっているのかもしれない。でも、そんなの、認めない。認めたくない。
「ち……っくしょ、」
 なぜ、こんなにも鈴峯にこだわるのか、そんな自分の気持ちは見ない振りして、拳を強く握り締めた。





「なあ、お前女遊びやめたの?」
 赤木が紙パック入りのフルーツ・オレをチューと吸いながら言った。よくそんな甘ったるいの飲めるなと思いつつ、自分は缶コーヒーを飲む。渋い苦味に眉を歪めながらも、フルーツ・オレの甘さよりはマシだと思った。
 そういえば、赤木と帰るのは鈴峯との関係が出来た日以来だ、と思い出す。
 赤木は今日も市民センターに用事があるらしく、芦田と一緒に帰宅していた。
 何で女遊びをやめたなんて話になっているのだろう。そんなつもりは欠片もない。けど、なぜそう思われているのかは想像がつく。最近、女と関わる事が極端に減ったからだ。
「あー……やめたわけじゃないけど」
「久美ちゃんに聞いたけど、芦田に本命出来たって本当?」
「ぶっ!!」
 思わず飲んでいたコーヒーを噴き出してしまい、ゲホゲホと噎せる。大丈夫か?と背中を撫でる赤木に「誰のせいだよ」と呟く。
「え、マジなの? 久美ちゃんの冗談と思ってた」
「マジじゃねーよ。……んな奴いるわけねえ……」
 言いかけて、ふと目の前に一組のカップルが歩いている事に気付いた。
 その二人が焦れったいくらいの距離で歩き、その距離をもどかしくも楽しんでいるように見える。男は女の子の歩調に合わせ、気を遣いながら歩き、笑っていた。
「あれって……鈴峯じゃね? へえ、あいつ彼女いたんだな」
 ―――ちくり。
 胸に刺さった棘が痛い。
 目の前のカップルは、鈴峯と、鈴峯に告白していた女だった。
 鈴峯は、笑っている。穏やかに、幸せそうに。……俺は知らない。こんな風に柔らかい笑顔の鈴峯を。
 知っているのは、芦田を好きだと頬を染める顔、欲で潤んだ目をして誘うような顔、そして、自分を愛してくれない男に侮蔑の眼差しを向ける顔。
 鈴峯の全てを知っている気になっていた。けれど、自分は鈴峯の事を何も知らない事に気づく。
 次第に感じる空虚感。泣きそうになる。だって、何も知らなかったらお似合いのカップルにしか見えない。二人とも、地味で、鈴峯と関係を持つ前までの俺ならば、からかっていた。
 だけど、出来なかった。そんな事、したくなかった。
「はっ……あんな地味な奴でも彼女なんて出来るんだな」
 強がった声は心なしか、震えていた。赤木は呆れたようにため息をつき、「お前もいつか良い恋出来るよ」と意味の分からない事を言う。
 良い恋ってどんなのだよ?と聞こうと思ったが、面倒臭いのでやめた。





 翌日の放課後、何とか鈴峯を捕まえて、空き教室に連れ込んだ。鈴峯は、「何?」と顰めっ面で芦田を見る。あの女の前とは酷く違う顔に、こんな顔も出来るのか、と思わず笑った。
「……あの女と付き合ってんの?」
「……え?」
「あの、鈴峯に告白していた女だよ」
「……芦田くんには関係ないだろ」
 背けられる目。
 鈴峯が、自分を見ない事に苛つく。それが何を意味するのか知らない振りをし続ける自分は、なんて自分勝手なんだろう。
「もう、エッチもしちゃった? 鈴峯が女とのセックスで満足出来るとでも思ってるの?」
 もう、後ろでしか感じないだろ?
 そう言って、彼を抱きしめるように腕の中に納めて尻の辺りを弄った。腕の中で鈴峯は赤くなり、ぴくりと震える。
「……や、めろ」
「やめない」
「あ、芦田くんだって! 女の誘いに乗ってたじゃないか!」
 鈴峯は叫んで、精一杯の力で抵抗する。しかし、芦田の力の方が強かった。逆にその体を抑え、芦田は鈴峯の耳元で囁く。
「……だから、何?」
「……え」
 鈴峯はキョトンとした目で芦田を見上げる。そんな表情も可愛いと思う。口には絶対にしないけれど。
「俺が、どこで何しようが勝手だろ? 俺はお前の彼氏でもないんだし。鈴峯に女との事を言われる覚えはないよ」
 そう。鈴峯とは付き合っていない。だから、女と会う事を言われる筋合いはない。
 いつも、一回やっただけの女に、他の女と会う事を攻められると腹が立っていた。お前は俺の女でもないのに、と。
 なのに、何だ。
 鈴峯が、俺が女と会う事に嫌悪を示す事が、楽しくて仕方ない。心踊る。もっともっと、俺を憎めばいい。思わず口の端が上がって行くのが自分でも分かった。
 鈴峯の目にじわりと涙が溜まっていく。濡れた瞳で睨まれて、その表情にも欲情しそうになる。
「もう……もう、芦田くんなんて、嫌いだ。大嫌いだ!」
 泣きながら、身を捩り芦田の腕から逃れようと暴れる鈴峯の唇を奪い、キスで動きを封じる。鈴峯は逃れようと小さく抵抗したが、やがて芦田の腕の中で大人しくなった。
 やっぱり、鈴峯はまだ芦田の事が好きなのだ。
 どんなに拒もうと思っても、体は芦田にキスされた事に喜んでいる。顔を真っ赤にして、歓喜に震える鈴峯を愛おしいと思う。
 なのに、出てくる言葉は気持ちとは正反対のものだった。
「……鈴峯が、俺を嫌いだろうが関係ねーよ。お前は俺のセックスマシーンなんだから」
 残酷な言葉に鈴峯の目の奥が、じわじわと失望に凍りつく。
 もっと。……もっと自分に執着すればいい。
 歪んでいく思考に、思わず苦笑した。





 それからは毎日、毎日セックス浸けになった。
 授業中のトイレ、昼休みの体育倉庫、掃除時間の屋上――。
 放課後だけだった逢い引きは、日が経つに連れて増していく。
 最初は抵抗していた鈴峯も、芦田に何を言っても無駄だと気付いたのか、次第に何も言わなくなった。
 鈴峯があの女とどうなったのかは知らない。
 ただ、鈴峯は自分の事が好きなのだから、もうあの女とは終わっていて、悩む事はないと思っていた。


 ――だから、鈴峯から「もう会わない」と言われた時は意味が分からない、と首を傾げた。
「は?」
 放課後。
 いつも通り鈴峯を捕まえて、空き教室に連れ込む。二人っきりになると、鈴峯は神妙な面持ちで口を開いた。
「……俺、あの子と付き合う事にしたから」
「あの子……?」
「告白してくれた、女の子」
 胸がざわつく。頭の中で警告音が鳴り響く。
 だめだ、ダメだ、駄目だ。
 何が駄目なのか、分からない。ただ、鈴峯が他の奴のモノになるのは駄目だと思った。
「何、言ってんだよ……お前は俺の事好きなんだろ? なんで……そいつと付き合うんだよ」
 離れようとする鈴峯の左の手首を掴む。痛いくらいに手に力を込めると、鈴峯は顔を歪めた。
「……俺は、幸せになりたい」
 絞り出すような声。鈴峯の声は哀しみに染まっている。
「平凡に……普通に、愛したいし愛される恋愛がしたい。俺は人間だよ。セックスマシーンとか、芦田くんに物扱いされたくない……」
 俺だって、鈴峯を本気で物扱いしているわけではない。その言葉は、素直になれない自分が鈴峯を傍に置いておく為の言い訳に過ぎないのだ。
「鈴峯、俺は……」
 言いかけて、口を噤む。 今更……、好きだとでもいうつもりか。こんな、身体だけを強要して、酷い言葉を吐きまくって。
 それに、ずっと芦田を見てきた男なのだ。芦田の言う「好き」と言う言葉を、今まで女達に軽く使っていた事を、鈴峯は知っている。
 だからこそ、鈴峯に「好き」だの「愛してる」だの、そんな言葉を使おうとは思わなかった。しかし、何と言ったら鈴峯に本心が伝わるか、良い案が見つからない。
 本心は、簡単で軽く聞こえる感情だ。なのに、口にするのは難しくて、芦田は言葉に詰まる。
 すると、鈴峯が震える声で口を開いた。
「……俺、芦田くんに物扱いされても、酷い事言われても……それでも、芦田くんの事……好きだよ」
「……鈴峯」
 胸がざわざわと荒れている。
 嬉しいのだ、俺は。鈴峯に、どんな俺でも好きと言われて。
 だけど、胸のざわつきは止まらない。
 鈴峯の目の奥は暗い闇に包まれていて真意が見えない。ただ、獲物を射る目をしている事だけは分かった。
「……でも、そんな関係が嫌で、俺が終わりにしようとしても……芦田くんは俺を追いかけてくる。なのに、俺を捕まえた所で、芦田君は俺を傷つけてばかりいて。……そんなのは、もう嫌なんだ」
 鈴峯の手元が、キラリと光った。夕陽が反射したのだろう。
 これから何をされるのか、瞬時に理解した。
 けれど、それを止める事は芦田には出来なかった。それが、鈴峯に対する唯一の愛情表現なのだと思ったのだ。
「もう……耐えられないんだ」
 気付いた時にはドス、と鈍い音がして、自分の腹の辺りが熱くなっていた。
 見ると、生暖かい鮮血が自分の腹から溢れている。
 鈴峯の手には赤く染まったカッターナイフが握られていた。それで芦田の腹を刺した事を知る。
「……っ、」
 体の力が抜けていき、どさり、と床に倒れる。見上げた天井がやけに遠くに感じた。
 これは天罰だ。鈴峯を傷つけてきた、俺への罰。
 だから、鈴峯に刺されると分かっても、避けなかった。
 じんじん、じくじく、全身が痺れたように動かないし、耳が心臓になったかのように鼓動が煩い。意識が朦朧とする中、鈴峯を見上げる。
 鈴峯は握っていたカッターナイフを床に投げ捨て、倒れた芦田の傍に座り込む。
「芦田くん……ごめん……ごめんね」
 鈴峯は泣きながら許しを請うように芦田の手を握りしめていた。血に染まった手が、芦田の手も赤く汚す。ぬるりとした感触に、血はもっとサラサラしてるのかと思ってた、なんて関係ない事を考える。
 鈴峯の顔は涙と鼻水と血の汚れでぐちゃぐちゃだった。宥めてやりたくて、鈴峯に握られていない方の手を伸ばそうとするが上手くいかない。力が入らない手は少しだけ宙に浮き、彷徨っている。

 ――刺されても知らねーぞ。

 前に赤木に言われた言葉を思い出す。
 ストーカー女なんかじゃなく、鈴峯に刺されるのなら本望だと思った。
 きっと、人を好きになるというのはこういう事なのだ。
 相手に愛されたくて、独占したくて、自分勝手で我が儘な行為を後先考えずに行動に移してしまう。周りが見えなくなり、相手に夢中になってしまうのだろう。
「……芦田くんの事が、好きなんだ……」
 刺された痛さよりも、胸が痛くなった。
 鈴峯は、ただ芦田の事が好きなだけだった。お互いに愛し愛されたいだけだった。
 身体だけは芦田に愛され、鈴峯はそれでも幸せだった。けれど人間は欲深い生き物だから、欲が生まれていく。鈴峯は、いつしか芦田の心をも望んでしまっていた。
 叶わない望みに、鈴峯の心は壊れていった。
 その結果が、これだ。

(鈴峯を壊したのは……俺だ)

 何処で、何を間違ったのだろう。
 最初から、素直になっていればこんな事にはならなかったはずなのに。
 涙が溢れて、目尻を伝って耳に落ちた。
「な……く、な」
 必死に声を搾り出す。声を発する事にこんなに力がいるだなんて、思わなかった。手を伸ばし、なんとか届いた鈴峯の頬を、緩く撫でる。安心させたくて、笑顔を作ろうとするが、うまく笑えない。
「芦田……くん……」
 遠退く意識の中、鈴峯を泣かせてしまった事に罪悪感を感じる。
 こいつにこんな顔をして欲しいわけじゃない。
 もっと、笑っていて欲しい。
 同じ時間を共有して、同じ事をして、同じ事で笑っていたい。

 ……今さら無理かもしれないけれど、本当に、そう思ったんだ。



to be continue...

***************

2011/4/7 ブログリより移動


ヤンデレみたいになってしまった。
次がラスト!

読んで頂きありがとうございました!

カルア拝

ごめんね、愛してるA

※BLだけど女との絡みあり。






 それ以来、放課後は鈴峯とのセックスに明け暮れている。
 女とは続かない俺が、男と続くなんて自分もホモなんじゃないかと思ったが、それは断じて違うと否定する。
 単に鈴峯とは身体の相性が良いだけだ。
 セックスの際、耳につく甲高い声で鳴かないし、女みたいに演技もしない。男の身体だと感じれば勃起するし、快感を得れば射精する。女とは違い、身体の反応が手にとる様に分かるのは楽しかった。
 そして、鈴峯は女のように面倒臭い事は言わない。「会いたい」だの「他の人と遊ぶな」だの。
 同じクラスなのだから、話し掛けて来てもいいものの、鈴峯はそんな事をしようともしなかった。
 そりゃそうだ。
 接点のない二人が、突然一緒にいるのも怪しまれる。馴れ馴れしくしてこないところは好都合だった。





「ねえ芦田、最近忙しいの?」
 放課後、一人の女が声をかけて来た。脱色し過ぎた金髪はボロボロに傷んでいて撫でたいとも思わない。所謂ギャルメイクは、目の縁を真っ黒に囲んでいてパンダみたいだ。長すぎるつけ睫毛はお人形のよう、というよりは人間離れし過ぎていて、違和感窮まりない。
 この女―――谷内久美は、芦田のセックスフレンドの一人だった。
 とは言っても、実際には二回しか寝た事はない。しかし、一人の女とは一回寝たら二度と寝ない、がモットー(?)な芦田にしたら、二回寝た女というのはなかなか貴重だ。なぜ二回寝たかというと、単に久美がドライな性格で、しつこい女でない事が分かっていたからだ。
「別に忙しくはねぇけど……何だよ?」
「じゃあ今日、うちに来ない? 親いないんだよね」
「……は? なんで俺が?」
「誘ってんじゃん。わかるでしょ?」
 そう言って、久美はシャツの開いた胸元を見せ付けるように近づけてくる。
 ……どうしてだろう。
 前までは、女の胸の谷間を強調されて近づけられたら、ムラムラして、自らホテルに誘っていたくらいだったのに。
 今、目の前にある胸の大きさを強調する谷間を見ても、単なる脂肪の塊にしか見えなくて、何も興奮しない。
「……いや、今日は……」
「……芦田、本命でも出来たの? 最近、女と遊んでもいないって聞いてるよ」
「ほ……」
 ――――本命?
 この俺に、本命なんて作る気はない。だって、女と付き合うなんて面倒臭いし、ヤレる女なんてそこら辺に転がってるし……。あれ?何で俺、毎日、鈴峯とセックスしてるんだ?
 鈴峯のことを好きなわけではない。ただ、都合が良いだけだ。俺が誘えば鈴峯は断らないし、好きな時にヤレる。彼女面もしないし、教室では何もない振りをしている。セックスの相性も良い。
 それだけ。それだけのはずだ。
「……分かった、今日はお前んちに行く」
 帰り支度をしていた鈴峯に聞こえるように、わざと声を大きくして言う。
 俺は鈴峯一人に執着しているわけではない、と。見せ付けるように。
 鈴峯は、何事もないような顔をしていたが、教科書を鞄にしまおうとしている手が、微かに震えているように見えた。





 実際、俺の事を好きなのは鈴峯のはずなのに、囚われているのは俺の方なのではないかと思う時がある。いつも一回限りで関係を終わらせる俺が、鈴峯との関係だけは終わらせる気がない。
 もっと、もっと、鈴峯が俺に嵌まればいい。
 そう思っている現実に、芦田は混乱していた。





 久美の甲高い喘ぎ声が耳に響く。
 久しぶりに、女とセックスした。
 女の体は柔らかい。男とは違い乳房は豊満で、男を受け入れる部分は自然に濡れる。
 女の体はレイプされた時にも傷がつかないように膣が濡れるように出来ている、と聞いた事がある。人間の体は基本的に男と女がセックスするように出来ているから、手間隙かけて慣らす必要もないのだろう。
 しがみついてくる久美の腕が邪魔で、シーツに縫い付ける。
 甲高い声が耳につく。こんな声を可愛いだなんて思わない。煩いだけだ。
 セックスってこんな簡単だったか?
 鈴峯とのセックスは、まず後ろを慣らしながら性器を扱き、射精させる。彼の精液を指に絡め、それを潤滑剤代わりに再び後ろを解し、やっと繋がる。しかし、まだ慣れていない中が切れないように、慣れるまで待って、それから漸く動く事が出来るのだ。
 その焦らされた時間だけ、快楽を得る事が出来る。
 それを考えると女とのセックスは、なんて簡単に出来てしまうのだろう。簡単に突っ込めるし、すぐに女は感じたままに喘ぎ叫ぶ。
 鈴峯の場合は声を押し殺している。声が出るのを我慢する表情はそそられるし、ふとした瞬間に漏れる声は煽られてすぐに射精しそうになる。
 なのに、女とのセックスはなんて味気無いんだろう。
 くだらない、こんな行為。つまらない。つまらない。

――虚しい。

 女とのセックスって、こんなにもつまらないものだったか?
 ……否、違う。少なくとも鈴峯とこんな関係になるまでは、女とのセックスは楽しかったし、快楽を得られていた。

――楽しいのは、鈴峯とだから……?

 不意に湧いた疑問に、芦田は首を横に振る。そんなわけ、あるわけない。だって鈴峯は、単なる俺のセックスマシーンなのだから。





「ねえ芦田、してる時、誰の事考えてたの?」
 久美は下着を身につけながら、ボソリと呟く。その言葉を聞き流しながら、床に落ちた下着を拾い上げる。
「……女喰いまくりの芦田に本命が出来るとはね」
「は?」
 久美は喉の奥でくすりと笑う。動揺する芦田に、久美はごみ箱を指差した。
「前までは、ゴム付けない方が気持ち良いから生でやらせてってばかり言ってたじゃない? 一回目も、二回目も。けど今日は、何も言わずにゴム付けてたし。本命への気遣いかな、って思って」
「そ、れは……俺も大人になって、気の遣い方を覚えたっていうか……自分の為だよ、自分の」
「ふーん」
 女は笑いながら服に腕を通した。
 今までは、ただ気持ち良ければよかった。コンドームを付けてするよりかは生でした方が気持ちが良い。欲望のままにセックスしてきた。それで病気を遷されなかったのは奇跡だ。
 けれど、今日、鈴峯以外とセックスすると考えて怖くなった。自分に性病でも遷されて、鈴峯にもうつったら……なんて考えてしまったのだ。

 ……なんで、自分の事より鈴峯の事なんて。

 胸にモヤモヤした霧がかかっている。見えそうで見えない答えに首をかしげながら、鈴峯が病気になったら毎日セックス出来ないから、心配しているだけだ。そう思う事にした。





 鈴峯との逢い引きの待ち合わせは、放課後、一階の階段裏だ。そこには掃除用具の入っているロッカーが置いてあるだけで、人の気配はないし、人目に付きにくい。絶好の待ち合わせ場所だった。
 しかし、待てども鈴峯がくる気配はない。下校時刻を過ぎて20分。部活をしている生徒は外や体育館にいるようで、時々声が聞こえて来た。けれど、もう校舎の中は静まり返っている。
「くそっ……」
 何か、あったのだろうか。いや、でも帰りのホームルームで鈴峯を見たが、体調が悪い様子はなかった。
 じゃあ、帰った……?
 いや、それはない。鈴峯が帰る時は必ず何かしらの方法で芦田に伝えて来る。二人の関係がばれないように、馴れ馴れしい態度は取らず、話しかけて来るのだ。「これ、芦田くんの?」と落ちたペンを拾う振りして、さりげなく断りの書いたメモを渡して来たり。周りに気付かれぬよう、芦田との関係は何でもないかのように鈴峯は振る舞うのだ。
 宛てもないが、一応教室に向かった。三階の階段を上り目の前の教室を目指す。ドアを開けようとした時、中から声が聞こえてきて思わず身を隠した。
「好きなの。鈴峯くんの事が……」
 その言葉に、思わずドアに付いている窓枠から中を覗き見る。
「いつも優しくて……笑顔が素敵で。なのに、とても寂しそうな顔して笑ってる時があって……私が横であなたを支えてあげたいと思ってたの」
 その女は、隣のクラスの女だった。地味で目立たないタイプだし、好みでもないから名前は知らない。
 一瞬焦ったが、こんな地味な女を鈴峯が相手にするとも思えない。ライバル視する必要はないな、そう思った時だった。
「嬉しいよ、ありがとう。でも、突然で困惑してるから……考えさせてくれる?」
 鈴峯は困ったように、けれど、とても嬉しそうに微笑んでいた。





 30分の遅刻で、鈴峯は待ち合わせの階段裏にやって来た。遅れてごめん、なんて笑顔を作っている姿にムッと顔を歪める。
「……何で遅れたの?」
「いや、先生に呼び出されてさ、手伝わされてた」
 嘘をつかれた。鈴峯が自分に嘘をつくとは思わなかった。しかも、悪気のない顔で。
 驚きと苛立ちがぐちゃぐちゃに混ざり合い、頭が混乱する。
「……嘘つくな」
「え?」
「さっき、告られてたじゃねーか!」
 怒鳴るように言うと、ビクリと鈴峯は震えた。怖ず怖ずと、芦田の様子を伺うように尋ねる。
「……何で、芦田君が怒るの?」
 ……何でこんなに苛立つのか、なんて、こっちが聞きたい。
 鈴峯の問いには答えず、芦田は行き場のない怒りに震える。
「お前、考えさせてくれって言ってたな? それって、あの女と付き合うって事か?」
「……分からないよ、そんな事」
「分からない?」
「今は彼女の事を何も知らないけど……この先、彼女を好きになるかもしれない」
「はあ? お前は俺が好きなんだろ? そんな事、あるわけ……」
「そうだよ、芦田くんの事が好きだ。けど、もう……嫌なんだ。芦田くんに良いようにされるのは」
 鈴峯は泣きそうな声で叫ぶ。
 芦田は自分の事を拒否された事に驚いた。今まで鈴峯が自分に逆らうような事は言わなかった。
「芦田くんが……俺を好きじゃないのに、抱かれているのが……どうしようもなく、惨めで、辛い」
 見ると鈴峯の目は涙が溢れていた。ずきりと胸が痛む。どうすればいいか分からない。ただ、鈴峯を抱きしめたいと思った。
 手を伸ばし、腕を掴むと鈴峯は振り絞るような声で言う。
「もう、やめよう。……こんな関係、終わりにしたい」
 掴んでいた手を振り払われる。
 走り去る鈴峯を追うことも出来ず、芦田はただ呆然と佇んでしまっていた。



to be continue

**************

2011/3/27 ブログリより移動


まだ続きます!長くてすいません!


読んで頂きありがとうございました!

カルア拝


ごめんね、愛してる@【R18】

【注意】
この話には性描写が含まれる為R18です。
「続きから」の先がR18になります。
そしてちょっとだけ鬼畜。








 女ってマジめんどくせえ。

 やってる時の喘ぎ声はうるせーし、気遣ってるのかイッたふりするし、次はいつ会えるだの、浮気なんてしないでねだの、一回やっただけで彼女面するし。
 面倒臭いから連絡が来ても無視する。しつこければ着信拒否だ。
 それを言ったら友人の赤木には
「芦田……刺されても知らないからな」
と蔑んだ目で見られた。
 そう言われたって、殆どが一回やったきりの話だし、それくらいで刺されたりしたら、そんなのストーカー以外の何者でもない。
 まあ、それで死んでも俺はストーカーに刺されて死んだなんて可哀相ね、と思われるくらいだし、俺がどんなに酷い奴だとしても世間は同情してくれる。
「死んでからも世間体とか気にするのか?」
「……するだろ。だって死んでから有名になる偉人だっているじゃん」
 例えばピカソとか。
 言うと、赤木は呆れた顔して
「芦田が偉人になるような才があるのか?」
と溜息をついた。
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Brand Lover



「声出してよ、星野先生」
 切羽詰まった声が上から降り注いで来る。閉じていた瞼を持ち上げると、余裕のない顔で俺を見詰める生徒がいた。
 この生徒──野坂 光は、俺と関係を持って一年が経つ。野坂が三年生になったと同時に関係を持ち始めたのだ。いつも俺の事を切なげに「先生」と呼び、劣情の目で俺を見ていた。それに気付いた俺は、彼にチャンスを与えた。
 音楽担当の俺は、音楽室の掃除を任されていた。それを手伝って貰う口実を作り二人きりになる。あとは俺が誘いをかけ、それに彼が乗るか否かだった。予想通り、野坂は衝動のままに俺を抱いた。彼は俺が誘惑したとは思っていないのだろう。無理矢理してしまったと謝ってきたが、俺は「二人だけの秘密な」と笑って言ってやると、安堵して口づけてきた。
 あれから一年。俺達の関係は続いている。
 そして今日は卒業式前日。

──明日、野坂はこの学校から卒業する。

 自分が音楽担当の教師で良かったと思う。音楽室は離れの校舎の三階奥に位置しているし、多少声が出たり音を立てても、授業で使うクラシック音楽を流しておけば、全ての音を掻き消してくれる。誰かが近付いて来ても、鍵をかけているのですぐに部屋に入られる事はない。出入り口の扉の窓ガラスから見られるかもしれないが、死角になる位置で事に及ぶので、見られる事もない。逢い引きにはピッタリの場所だった。
「ここで先生を抱くのは、今日が最後ですね」
「……そうだな」
 行為が終わり、服を整えながら、野坂は俺を振り返る。着替え終わった俺は胸ポケットにしまっていた煙草を取り出し、火を着けようとした時だった。
「……終わりにしましょう、先生」
 予想だにしなかった言葉に、え? と彼を見上げる。野坂は座り込み、俺と目線を合わせ。そして、ゆっくりと口許に弧を描く。
「今日で、こういう事は最後です。一年間楽しかったですよ」
 煙草が、手から転げ落ちる。
 何を、何を言っているのだろう、こいつは。
 いつも熱っぽい目で俺を見つめて、欲情に塗れた声で「好き」と言っていた野坂が、今、俺に別れ話をしているということに、漸く気付いた。
 別れ話を、さよならを言おうと思っていたのは俺の方なのに。何で、俺がこいつに振られなくてはならない?
 呆然としながら野坂を見つめる。すると彼はふっと笑った。いつも俺といる時に見せる笑顔だった。
「驚いた顔してますね。まあ、俺が先生の事好きなのに簡単に別れるなんて、思ってなかったからでしょうけど」
 野坂は笑っていて、目は細まっているのに、目の奥の瞳は全く笑っていない事に気付いた。焼け爛れるような、熱い怒りに似た苦しそうな色の瞳だった。
 いつも、こんな笑顔を向けられていたのだろうか。
 その目が恐ろしくて、ぞくりと背筋が震える。
「俺が先生の事を好きな理由、教えてあげます。それは貴方が“先生”だからです」
「……え?」
 意味が分からなくて、眉間に皺を寄せる。野坂はふん、と小さく鼻で笑った。
「正確には、俺は“先生”というブランドに恋していました」
「ブラン……ド?」
「そうです。男がナースやスチュワーデスなどに惹かれ、女が弁護士、医者などの地位に惹かれるように、俺は“先生”という立場の人に惹かれ、“先生”と呼ぶ事に興奮を覚える」
 野坂が何を言っているのか分からなくて、首をかしげる。彼は理解出来ていない俺を見て、微笑していた。
「……卒業したら、貴方は俺の“先生”ではなくなる。つまり、俺は貴方の事を好きではなくなります。だからこれから俺は違う“先生”を見つけます。医者だったり、習い事の講師の方だったり。小説家や、漫画家の人でもいいですね。先生と呼べればそれだけでいいですから。……それだけで、俺は興奮するし」
 野坂の性癖に、愕然としながら、彼は俺の事を好きだったわけではなく、俺の“肩書き”に惚れていただけだった事を知った。その瞬間、頭の中が真っ白になり何も考えられなくなる。視界は霞み、喉の奥から大きな塊が込み上げて来た。
「……ねえ、先生は俺の何処が好きでしたか?」
 そういえば、俺は彼の事を何も知らないという事に初めて気付かされる。
 この一年間、俺達はセックスでしか繋がっていなかった。何処かに出掛けたり、お互いの家に行ったりなんてした事がない。それは、俺が教師でありバレたらまずいという理由もあったのだが、それ以前に野坂とデートしたいとかそういう感情が浮かばなかったからだ。俺達の関係は、否、俺は野坂の事を単なるセフレとしか見ていなかったという事に気付く。
 俺は彼を知ろうともしなかった。しかし、彼も俺を知ろうとはしていなかった。
 だから、気付いてしまった。野坂は、俺の事など最初から好きではなかったという事に。彼の、俺を好きだと言う言葉が、全て嘘だったという事に。否、全てが嘘だったわけではないだろう。彼が俺の「肩書き」に惚れていた、それはきっと真実なのだ。でも、それは同時に“俺自身”には興味が無いという事にも気づかされる。
 愕然とする。俺が弄んでいたと思っていた男に、逆に弄ばれていたなんて。そして、自分のこの沸き上がって来る感情に、胸が締め付けられるように苦しくなった。
 野坂は立ち上がり、扉へと向かう。
 最後に振り返り、見た事もない爽やかな笑顔で

「さよなら、星野…順平、さん」

と、野坂は初めて俺の名前を呼んだ。“先生”とは付けず、まるで“星野”という人間には興味がないというような声で。
 ぼとり、と涙が零れ落ちた。
 まさか、こんな事で泣くとは思わなかった。だって、彼との関係は遊びだったのだ。単なる暇潰し。退屈な仕事に刺激的なスパイスが欲しかった。だから、彼と関係を持つのは一年間と決めていた。彼は三年生で、卒業したら終わりにする関係だと……そう、決めていたのに。

──いつ、から……?

 彼がいなくなっても、刺激が失われるだけ。だから、彼が卒業したらまた新しい生徒と関係を持てばいい。そう思っていたのに。
 だからこの、虚無感と失望感は予定していなかった。だって、こんな感情は相手の事を想っていないと生まれないはずだ。
 再びぼとり、と大粒の雫が手の甲に落ちた。
 その涙は、自分が彼を愛していたことを証明している気がした。
……そう思った瞬間。

「あああああああああああああああ!」

 生まれて初めて、俺は悔しさとも苦しさとも名前が付けられない感情に、声を上げて泣いた。
 幸いにも、ここは音楽室。叫び声は、クラシック音楽が掻き消してくれる。
 俺が音楽の教師で、ここが音楽室で、本当に良かったと思った。






***************

2010/11/30 ブログリより移動。


失ってから気付く恋。

バッドエンドでごめんなさい。続くかもしれないです…。


読んでくださりありがとうございました!

カルア拝
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