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隣にいたい・前編/双忍


 満月ほど煌々と明るくない、控えめな細面の三日月が優しく光り輝く、穏やかで優しい夜のこと。

 その日は珍しく、夜間演習もやり残した宿題もなかった。
鍛練をする者の声も聞こえず、静かな暗闇が長屋を取り巻いていた。風は吹いていないが季節柄、身を切る程とは言わないけれど、寒かった。
こんな夜は寝るに限る。
普段眠れない分寝てしまおう。
そう思い、私はさっさと寝巻に着替え布団を敷いて、その中に潜り込んだ。
しかし布団に入ったはいいが、なかなか寝付けない。就寝に適した環境がこんなに揃っているのに。
私は自分の横に敷いた綺麗なままの布団一式を恨めしい思いで見つめた。


 「三郎、先に部屋に戻ってて」
先刻、食堂で晩飯を食べ終えた帰り道で雷蔵は私にそう告げた。
彼の手には手裏剣が一枚。手入れの行き届いた刃は少ない月の光もきちんと反射させ、確固たる存在感を示していた。
「なんだ、これから手裏剣の鍛練をするのかい?それなら私も―」
「だめ。帰ってて」
一緒にやるよ、と答えるより速く拒否されていた。
驚いて一寸詰まってしまったが、すぐに私の頭は反論をするため思考を巡らせ、指令を受けた口は指示通りに言葉を吐き出していく。
「なっ……そ、そりゃまたなんでだい?いつもは君の鍛練に参加しても構わなかったじゃないか。昨日だって一緒に組み手をしたし」
普段の雷蔵なら悩んで唸りながらも私の言葉に流されてくれていただろう。ただ、今夜の雷蔵は違った。彼は真っ直ぐに私の瞳を見ている。
「何を言われても、だめ。今夜は僕一人で鍛練するって決めたんだ」
長年付き合ってきたから分かる。一旦心で決めたことは頑ななまでに貫き通す。それが良くも悪くとも。雷蔵はそういう人間だ。
何故今日に限って鍛練を共にすることを嫌がるのか。思い当たる節がない。
「ごめんね三郎」
「ま、君がこんな風に言うからには何かしら理由があるんだろう。仕方ないから今日は早めに寝ることにするよ」
「……少し時間をおいてから月見酒だなんだって僕の鍛練見に来ないでよね」
「えっ」
「ふふ、もし来たらすっごく怒るからね!早く寝るんだよー、おやすみ!」
就寝の挨拶を言い残し、笑顔で雷蔵は走り去っていった。
ああ、焦った。目論見がすっかり言い当てられてしまうとは。これは雷蔵もまた私との付き合いが長いという証で、嬉しいといえば嬉しいが、なんとも複雑な心境だ。寒空の下、一人部屋を目指す足はなかなか進まなかった。


 雷蔵と別れてから時間はどれほど経っただろうか。頭から布団をかぶっている状況では判断もつかない。
だからといってこの生温かく息苦しい空間から出る気も起きない。しかし寝つける気もしない。

 記憶しているかぎり傍に雷蔵がいない夜は指で数えられるくらいしかない。
野外訓練で外で寝る時も一緒。演習の班が違くても、何かにつけて私は雷蔵の傍を確保している。まあ就寝時でなくとも雷蔵にくっついてまわっているのだが。
それにより同級生や先生方に怒られることも多々あるが、周りもだんだんと慣れてきてくれたようで、最近はお咎めも少ない。
担任の木下先生は私の行動を見越して雷蔵と同じ班に設定してくれる。理解のある先生を担任にいただけて幸せだ。
 明後日は戦地に赴いての演習がある。それぞれペアを組んで課題に取り組むらしいが、肝心のペアの相手は演習直前に発表するということで、相手は誰になるのだろうと同級生たちは見えない相手を思い、皆じれったそうな面持ちをしていた。
いつも通り、私は雷蔵とペアであろう。それ以外の可能性が思いつかない。
 「お前らはいいよなあ、相手が誰かなんて気を揉まなくたって分かり切ってるんだもんな。な、兵助」
「そうだな。雷蔵と三郎はペア決定だろうな」
「俺は一体誰と組むんだろ?兵助とだったらいいなァ」
「ちょっ、勘右ヱ門〜、俺は?俺とは嫌なわけ?」
「あはは、勿論歓迎だよ!」
仲の良い友人である竹谷八左ヱ門と久々知兵助、尾浜勘右ヱ門たちでさえ信じて疑っていなかった。
今までも、これからも、私と雷蔵が組むことは揺らぐことのない決定事項だ。


 「はあ……」
やはり寝られない。眠たくない。
未だ隣の布団は敷いた時のまま綺麗な形を保っている。
早く寝ろと言われ、多少ではあるが寝る努力もしたのだ。それでも寝られないのだから仕方ない。
鍛練を覗きに行くのは憚られるから、部屋を出た廊下で月見酒をしよう。
勢いよく布団を蹴り飛ばし、隠しておいた徳利とお猪口一揃いを手にして戸を開ける。

 「あれ、三郎」
目の前に広がる学園の庭に雷蔵の姿があった。鍛練を終えて戻ってくるところだったのだろう、少し息を切らせる雷蔵からはうっすらと湯気が立ち上って見えた。
雷蔵は不思議そうな顔でこちらに走り寄ってきた。
「なんで酒なんて持って出てきたのさ?」
別に悪いことをしようとしているわけではないが、なんとなく罰が悪いのは何故だろう。心を悟られまいと私は平常通りの表情を取り繕って言う。
「鍛練を覗きに来るなとは言われたが、月見酒をするな、と言われた覚えはないからね」
「なあに、その屁理屈」
可笑しそうに手を口に当てる雷蔵。
その姿を見た途端、喉の奥から欠伸が一つ飛び出した。
「あ、欠伸。なんだ眠いんじゃない。冷たい酒を飲んで変に目を覚ますより、布団に入ったほうが利口だよ」
「いや、私は眠くなんか……ふああ……」
欠伸がまた一つ。今までこなかったのが嘘のように睡魔が私に降りてきたようだった。
「まったくもう、三郎は素直じゃないんだから。いいから、ほら、ほら」
問答無用とばかりに雷蔵は無理やり私の背を押し、徳利たちを奪い、布団に放り込んだ。
抗議しようと思い雷蔵を見上げる。
「このお酒は預かっておくね。僕が帰ってくるまでに寝ていなかった罰だ」
どうしてそうなるんだ。文句を言うより早く、私は彼に、にっこりと笑顔で言い放たれた。
「安心してくれていいよ、飲む時は三郎も一緒だからね」
それは安心するに足る理由になるのだろうか。
そう思いながらも私は押し寄せる眠気に勝てず、傍にいる雷蔵の存在を感じながら、ゆっくりと意識を手放していったのだった。

寒い中、三日月は頑張って未だに空で輝いていた。

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プロフィール
つちのこさんのプロフィール
性 別 女性
誕生日 7月18日
地 域 埼玉県
系 統 ギャグ系
職 業 夢追人
血液型 O型
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