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しあわせ運べるように

お久しぶりです。
今日から7月、2011年も後半戦に突入しました。東京、神奈川はくっそ暑いです。どこに居ても蒸し風呂状態。
夏本番が思いやられますね。

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某んHKのアナウンサールームで今週一週間ブログを担当された井上二郎アナが「しあわせ運べるように」と言う歌を紹介しています。この曲は神戸が被災した時に復興を願い作られた歌だそうです。


何だか最近、今を投げやりに生きているような気がして。
久しぶりにこの歌を聞いて今の自分を見つめ直してみました。
良い歌や良い歌や。
神戸放送局に勤めていたじろーさんがこの曲を紹介して下さるとは。

そして週の前半は数か月ぶりに書くブログだと言わんばかりにじろ節全開だったのに・・・このギャップすごい\(^o^)/

そして夏が来る

僕らには成す術もなく、ただ、立ち尽くすしか無かった。

カメラを向けるのは正直気が引けました。
しかし被災地に行った以上私は、自分の目で見て、記憶し、記録したことを周りに伝えなければいけないと思ったのです。多分テレビの映像では私の見て来たものは人に伝えられません。
テレビの映像で見るのと、実際あの中に立つのでは光景が全く違います。感覚も全く違います。あまりの惨状に言葉を失いました。

消え去った町の中に立ち尽くしてみて、自分の無力さを改めて痛感するのです。
被災者は2ヶ月近く、毎日それを感じて来たのですね。寧ろ時間なんて関係なく、その感覚は一生背負っていくのかも知れません。

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ボランティアに行ってきました。

本部で物資の仕分け作業、
唐桑で倒れた家屋や漂流物の撤去作業
避難所でパーテーションの組み立て作業、
絵を描いたり、子どもの遊び相手になる、
等々、本当に色々と手伝わせて頂きました。


唐桑は私が小さい頃からよくキャンプに行っていた地でした。
そこで被災者の思い出の物を拾って集めていた時、がれきの中から3時23分で止まったままの柱時計が出て来ました。
生き延びた方は少しづつ、人によっては本当に本当に少しづつですが前に進み始めています。でも、亡くなった方の時間はあの時から止まったままです。
地震発生から40分。そこですべてが止まってしまっているのです。

そんな中で今わたしに出来ること、すべきことは、おそらく、止まったその時間を再び動かすための手伝いなのだと実感しました。

時計と目の前の光景を何度も目に焼き付け、改めて現実を受け止め、今後その悲惨さを回避するためにこれから何をすれば良いのか考えました。
今までの常識をイチから見直すことは容易ではありませんが、絶対に必要なことです。




それから私の所属したボランティア団体では、本部の隣の避難所の裏に足湯とかも作ってんのです!
元家屋の木材を鋸で切ったり薪割りをしたり、そう言う作業から全部、チーム足湯で。
そこで作業していた時に被災した新高校生の男子と話をしました。
あんまり笑わない子なんだけど、足湯に入って話していたら少しずつ表情がほぐれていくのが分かるのです。こっちが元気もらっちゃいました・・・申し訳ない(´・ω・`)
受かった高校とは別の学校になってしまったらしいけど、それでも学校に行けるのが楽しみだと言っていました。私もキミが元気に学校に通ってくれるのを心から楽しみにしてるよ。9日から高校生活、がんばって!

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GWが終わります。
しかしこれからもっと人手が必要になります。

必要とされるボランティアは家屋の撤去作業要員だけではなく、
被災者の話を聞くこと、
子どもと遊ぶこと、
歌を歌うこと、
絵を描くこと、
避難所でのイベントを企画すること、
物資の仕分け作業をすること、
人や物資、みんなの心を届けること等、
もっともっと、とにかく沢山出来る事があると分かりました。

復興までは本当に長期戦になります。しかし先に言ったように、それとは逆にGWが終わってボランティアが急激に減ってしまいます。
みなさん、どうか力を貸して下さい。
被災地を忘れないで下さい。
人数が少ないとそれだけ限界も近くなってしまいます...しかし、このままじゃ絶対に終われません、私たちに出来ること、していきましょう。

レベル7

福島は何も悪くない。福島県民は何も悪くない。
寧ろ東京に送る電力のために福島県民は原発と隣り合わせで生きてきていたんですよ。

それなのに福島から避難してきた人たちを迫害もとい差別する県外の人間が居るなんて。下劣にも程がありますよ。
私たち非被災者は苦しんでいる被災者を支えるべき立場に居る筈なのに。

こんな時にさ、そう言う小汚いことするなんて人間の底辺以下だと思うわ。




日本がんばろ、

マットー


帰省中です。

岩手の人々は強いです。
岩手の草花も強いです。
例え地震が来る度に家の前の道路の陥没が酷くなっていってもやはり私は岩手を愛してます。


まず、帰省すると岩手の人のナマの声が聞けて、ニュースじゃ聴かないような現実も知ることが出来ますね。
支え合ってる筈のご近所付き合いも実は結構シビアだったり‥。

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7日の夜中の余震は大きかったです。
地鳴りが凄かったから大きく揺れるのは分かったけど、揺れてる途中はさすがに家崩れる覚悟した自分が居た(^^;;


8日は天気が悪かったこともあり夕方にはもう家の中が暗かったんだけど、母と「キャンプみたい!」とか言って夕飯作ったりしてました。

キャンプ用品一式揃ってるし寒さは反射式ストーブで凌げるし、我が家はある程度なら停電に強いのではと思いました。

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気付いたら一橋さんが岩手に居てビックリしました at NHK
いつの間にーっ!久し振りーっ!
暫くは本社に戻らないのでしょうか??

それにしても渋谷でりゅーぶんが震災ニュースを読む度に「気が気じゃないだろうな」と思って胃が痛くなります。土日はりゅーぶんデーなので特に。
実家花巻だもん、震災のニュース読むのだって相当辛いだろうに。よく頑張っていらっしゃる。
でも自分が出来ることを全うしているりゅーぶんさんを見ると私もくよくよしている場合じゃないと感じます。

そろそろ、絵を、描き始めなければ。

募金してたら今月の生活費なくなってて焦った。私のような苦学生には募金にも限度があるのですね!不甲斐ない!

昨晩NHKで汚泥排除のボランティア要因がどこにも足りていないと言う話を耳にしました。私にも手伝えないだろうか‥‥
そしてまた前みたいな綺麗な三陸を一日でも早く見られるように願ってる。



多くの人は、テレビで震災のことを放送しなくなったら今回のことや被災地のことを忘れていきます。
現に民放には、もうそう言う雰囲気が流れています。
バラエティーで笑えるのは大いに結構です。非被災者は日本を明るくし、支えていかなければならないとも思います。

しかし、多くの人が笑って段々に被災地を忘れていくのを実際目の当たりにしてしまうと、とても怖くなります。
ついった等を見ていると物凄く実感出来るけど、やはり結局は他人事のようにしか捉えていない人が殆どなんではないでしょうか。

今回の震災、かなりの広範囲で本当に長期戦になると思います。例え何も出来なくても、気持ちだけでもどうか皆さんも一緒に戦ってもらえたら、と思っています。


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ここ数日、天気が悪くて寒かったですね。
新潟から帰ってきてからはずっと日中は膝掛け、夜は毛布一枚生活です。初めはさみーさみーって言ってたけど今はもう馴れました。岩手を思い出すと、当たり前だけど東京神奈川の3月はユルいです。寒さが。

とは言え神奈川もまだたまに雪が降ってるので薄着して風邪引かないようにしよーと思います。

それにしても桜咲いてるのに雪降るとかなんなの??
どっちかにせー
(´・ω・`)



今日は午後から新宿で会議。数週間まともに絵に触れてない私が会議に参加して良いのかと言う不安もあるけれど‥‥(^^;;
取り敢えず準備しまーす。
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