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そして夏が来る

僕らには成す術もなく、ただ、立ち尽くすしか無かった。

カメラを向けるのは正直気が引けました。
しかし被災地に行った以上私は、自分の目で見て、記憶し、記録したことを周りに伝えなければいけないと思ったのです。多分テレビの映像では私の見て来たものは人に伝えられません。
テレビの映像で見るのと、実際あの中に立つのでは光景が全く違います。感覚も全く違います。あまりの惨状に言葉を失いました。

消え去った町の中に立ち尽くしてみて、自分の無力さを改めて痛感するのです。
被災者は2ヶ月近く、毎日それを感じて来たのですね。寧ろ時間なんて関係なく、その感覚は一生背負っていくのかも知れません。

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ボランティアに行ってきました。

本部で物資の仕分け作業、
唐桑で倒れた家屋や漂流物の撤去作業
避難所でパーテーションの組み立て作業、
絵を描いたり、子どもの遊び相手になる、
等々、本当に色々と手伝わせて頂きました。


唐桑は私が小さい頃からよくキャンプに行っていた地でした。
そこで被災者の思い出の物を拾って集めていた時、がれきの中から3時23分で止まったままの柱時計が出て来ました。
生き延びた方は少しづつ、人によっては本当に本当に少しづつですが前に進み始めています。でも、亡くなった方の時間はあの時から止まったままです。
地震発生から40分。そこですべてが止まってしまっているのです。

そんな中で今わたしに出来ること、すべきことは、おそらく、止まったその時間を再び動かすための手伝いなのだと実感しました。

時計と目の前の光景を何度も目に焼き付け、改めて現実を受け止め、今後その悲惨さを回避するためにこれから何をすれば良いのか考えました。
今までの常識をイチから見直すことは容易ではありませんが、絶対に必要なことです。




それから私の所属したボランティア団体では、本部の隣の避難所の裏に足湯とかも作ってんのです!
元家屋の木材を鋸で切ったり薪割りをしたり、そう言う作業から全部、チーム足湯で。
そこで作業していた時に被災した新高校生の男子と話をしました。
あんまり笑わない子なんだけど、足湯に入って話していたら少しずつ表情がほぐれていくのが分かるのです。こっちが元気もらっちゃいました・・・申し訳ない(´・ω・`)
受かった高校とは別の学校になってしまったらしいけど、それでも学校に行けるのが楽しみだと言っていました。私もキミが元気に学校に通ってくれるのを心から楽しみにしてるよ。9日から高校生活、がんばって!

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GWが終わります。
しかしこれからもっと人手が必要になります。

必要とされるボランティアは家屋の撤去作業要員だけではなく、
被災者の話を聞くこと、
子どもと遊ぶこと、
歌を歌うこと、
絵を描くこと、
避難所でのイベントを企画すること、
物資の仕分け作業をすること、
人や物資、みんなの心を届けること等、
もっともっと、とにかく沢山出来る事があると分かりました。

復興までは本当に長期戦になります。しかし先に言ったように、それとは逆にGWが終わってボランティアが急激に減ってしまいます。
みなさん、どうか力を貸して下さい。
被災地を忘れないで下さい。
人数が少ないとそれだけ限界も近くなってしまいます...しかし、このままじゃ絶対に終われません、私たちに出来ること、していきましょう。
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