話題:ひとりごと
もしもの話をします。半年後、地球に隕石がぶつかって爆発するってなったら、みんなどうするんだろう。
明日とか一週間後、とかだったら何もかも放り投げてしまえると思うんだけど、半年後っていうのがね…妙にリアルで厄介じゃないですか。
半年って意外に長くて、全て投げ捨てるにはちょっと無謀な時間だと思う。
昔、小学生くらいのとき授業中に、『もし明日が地球最後の日だったら』っていう話になったことがありました。
そのときはみんな、好きなもの食べる、旅行に行く、お金全部使ってみたい、とかいろんなこと言ってたんですね。わたしもそうだった。
そうしたら先生が、『でもね、みんなが今したいことって、誰かがきちんとお仕事してるからできることなんだよ。みんなは明日が最後なのにお仕事したいと思う?』
そう言った先生の言葉が今までずっと、わたしの中で消えないんだ。確かにそうだ、って納得しちゃってからずっとある。。だから尚更思う。
あと半年ですなんて余命宣告された世界で果たしてうまく生きられるのか。なにこれ何の話?ってだいぶ頭の中が壮大になってきました。でも続けます。これはひとりごとです。
生産性の欠いた世界で生きるにはすごい気合いがいると思う。自給自足だし無法地帯だろうし。相当なお人好しだらけの世界だったら別だけどね。そんなことはまずないと思う。
だからわたしは混乱こそするけど、意外にも世界は普通にまわるんじゃないかな、とも思う。あ、でもそう考えると半年間
って短いか。
あともうひとつ思うのが、今の技術でいくと隕石衝突の予知って半年が限界なのかなってこと。ますますどうでもよくなってきましたね。続くよ。
さすがに10年後です、とか言われても非現実的すぎて困るんだけどね。でも月単位で予知は確実な気がする。年単位だとどうだろう。
それまで生きると決めるなら3年が限界かな、とわたしの感覚では思います。余命宣告で3年以上なんてわたしは聞きたくない。見えるゴールはきっと変わらないんだから、そんなに先延ばしされてもなぁと思うのです。耐えられないかと。
いよいよ着地点がわからなくなってきたよ。なんでそんなこと考えるの?って理由は求めないでください。思いつくからです。
小説や物語のテーマとして地球崩壊が挙げられたら、ゴールはふたつだと思うのです。予告通り最後を迎えるか、何らかのアクシデントにより免れるか。
わたしとしては、崩壊するなら崩壊してほしい。きっとその予告日にむけて、なるべく全力で、生きたわけだから、きっちり終われよと。
もし助かった風なことになったとして、わたしは正気で生き続けられる気がしないです。生命エネルギー使い果たしてそうだもん。そもそも生に対する欲求が低いだけかもしれないけど。
だから同じ題材の話を読むなら、きちんと終わる話が読みたいです。しかし助かるなんて茶番に思えて仕方ない自分が残念すぎるような。もっとまっすぐ考えなよと言いたい。
という感じで始終よくわからないひとりごとでした。夜更けは思考回路が壮大になっていけませんね。資料作りに戻ります(笑)